第6話 生まれずの町
「ゼェ、ぜぇ、ぜぇ……」
汗を
血は放る。
この程度では死なないといっても、ここまで損傷すればのちの作業に支障も出る。
総合して、芳しくない状況だった。
目的を完遂できるかどうかは、もはや
「は、ぁ……アアアアアアああああああああ‼」
――紫、であった。
瀕死の不死者を中心にして、いくつもの式が踊りだしたのだ。
あるものは偶数式、あるものは奇数式。
この小世界だけで通用する特大の記号を携えて、宿主を守るべく胎動する文字たち。
――まるで、重力。
その式ひとつひとつが周囲の氷を解きほぐし、その上で引き寄せていた。
三秒もしないうちに宿主の体を覆って再集合し、紫の人影を作り出す。
ズズズズズと津波のような量の水が、けれどそよ風のようにささめいた。
その合一が何よりも奇妙で冷たい。そんな寓意だ。
キシキシと脳がへこむ。
急速に体温が失われていく。
これが代償。
「地獄の門」の汚染を受け、そして小さな執行者が差し出したものだった。
「ハァッ、はぁっ、はぁっ…………」
肩で息をするというより、息をするために苦しんでいるような様子だった。
肺が貫かれたからか、どれだけ足掻いても空気が入ってこない。
しかも例のステゴロスナイパーにやられた傷がまだ残っている。
少女の細足なので威力は弱いが、その分しっかりと芯を打ち抜いてくる攻撃だった。
骨折や出血の伴わない負傷など寝て起きれば全快していたのだが。
代謝の止まった彼女の体では、それすら叶わない。
「けど、その代わり、だ……」
その最後の誇りから、顔面だけは氷から離して彼女は
再び汗にまみれた苦悩の顔が眺めるのは――
倒れた執行者が布団をかぶるように、
十発程度のスナイプであれば、間違いなく防ぎきれるほどの装甲。
彼女がこれを発想できたのはそのお国柄と、ついでに言えば「棺」を見ていることも影響していた。
「ぜぇ、
トーチを足元に
もちろん本当にこすりつけたら拘束は解けないばかりか唯一の光源を失ってしまうので、あくまで水の骨を観察するためだ。
ブーツは確実に氷に沈み込み……炎が青い結晶に反射し、もし彼に知識があれば希ガスの輝きを連想したことだろう。
だが――事実、彼はそこから発想を飛ばした。
「あいつ――この暗闇で通用するほどの暗視ができるのかと思ったけど、そうじゃない。見てすらいないのかも」
『……?』
「サカリィ。君が俺をガイドする手段は何だ?」
『自分で言ってたでしょ。ラジオトレーサーだよ』
「……そうだ。そうだよ‼」
『ちょ。近い』
ピキピキと背中を這いずり回る氷晶と伴う悪寒も気にせず、印南は叫んだ。
「ラジオトレースへの侵入だ」
『はぁ⁉ 無理でしょ! そんな事例……』
「初めて可能にしたのがヤツだから! エスカまでたどり着けたんだろう‼」
『……でも』
「きっと『棺』の内側には、通信っていう概念が今までなかったんだ。けれど新掃者と戦って、それを持って帰ったヤツがいる。ラジオトレースの存在を伝えたんだよ」
回線の向こうで少女が息を呑んだ。
『……いやいや。だったら反応が消えちゃダメでしょ! ラジオトレースが誤魔化されるなんてありえない。執行者本人がトレースに頼ってるんだったらなおさら‼』
しかし印南の脳裏には、即座に一つのコードが浮かんだ。
これまで幾度も大きな動きを起こしてきながら、天文台の包囲を逃れ続けた男。
「事実
『あの格がそうやすやすと産み落とされてほしくないわよ』
確かにそれは同感だ。けれど他にもやりようはある。
「言いそびれてたけど、この執行者はサカリィも知ってるはずだ。
覚えてるか? オーロラの日の妖怪溶解野郎だよ」
『氷を溶かして操るっていう?』
「ああ。……ってことはだ」
凍結が頭部に到達する。
氷の棺に閉じ込められる。
「息が続く限りなら、永久凍土を潜航できるんじゃないか?」
――その、一瞬前の出来事だった。
何かを
寸分の誤差もなく少年の真下に、排水溝の様子を逆再生でもしたみたいに、人魚か魔女か判断のつかない肉体が、直接息の根を止めるべく向かってくる。
『2つの反応を重ねることで、二次元上では一つにした……⁉ そんなことができるなんて……‼』
色白の少年は半分だけ残った唇で
「
……でもまあ、チェックメイト」
彼は狙撃銃しか扱えない。しかしだからこそ、だ。
ヒュン‼ ――と、女の突進より
そして彼はまるでキスでもするみたいに、左手の炎を右手の銃口に押し当てたのだ。
彼に予備動作は必要ない。氷に捕まったときから、ずっと引き金に指が当たっている。
そのまま固定されていても、芸術として通用するほどの
「――穴だらけだぜ」
唸りを上げて回転する文字と図形の束、狙撃式。
実弾とは違う、湿った発砲音が連続した。
こんな至近でさえ後発具現化
大地そのものが的に回ったような衝撃に、執行者の右腕は打ちのめされた。
しかし彼女はそこから眉間までの射線に水の骨を展開している。
キュイイイぃィィい‼ と悲鳴じみた着弾音が、
だが――
「
「いや――右手を地面から離した」
ビキビキ、バギン! という音が全身から発せられていることも意に介さず、
(ヤバい……!)
極限まで思考を削ぎ落とした女は、神経伝達より先に危機を察知した。
再び潜航するべく足元を融解し、膝までを沈み込ませる。
「くっ……!」
「読み狩った」
息の間もなく女のブーツに鈾弾が突き刺さった状態で出現する。
透過を最も利用した新掃者である彼が最も好む戦術だ。
「――――――――!」
思えば。
スナイパーである彼が標的をきちんと視認したのは、これが初めてだった。
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