第5話 エスカ

 そんなこんなで印南いなみが引きずられててきたところには、製造の難しいトーチが信じがたいことに並んでいた。

 天文台に勤めて百日近く。今日の任務はなんだろな!

 芯は干皮ひがわか、見渡す限り数十本。外周と内周、ふたつの円を描いている。


 コラゾンなどが見れば――それは「地獄の門」に寄せたニラク的記号であることに気が付いただろう。


 ペンギンの油、セイウチのキバ

 絶対湿度があまりにも小さい氷の砂漠において、どうにかこうにか擦りまくれば火を得ることはできる……らしい。


「土台作りが難しいけどね。ただ氷の上に建てるだけでは融けてしまい、折角の炎も氷水にベチャリ。やっぱ手持ちが基本だよ、ええ」


 人を強引に連れまわしといて、サカリィは罪悪感を感じないようだった。

 どうにも根に持つタチらしい。


 ……この話の流れで「炉」の発熱方法につながらないあたり、さすがセドナの教育は徹底されているといえる。


「ここはセドナ行政局。実質的な閉門局の上位組織ね。……まあ、だからこそのカウンター・伏式門ふくしきもんがあるんだけど」


「行政局……? なんでそんな。ワクワクworkworkするなら天文台でいいだろ」


けいさー……。この数か月、天文台にいたせいで数回臨死体験したの忘れたの? まあそれならそれで訴えられないから、リィはいいんだけど」


「は、あれ? イガラックの件とかって前科持ちぼくが勝訴できるレベルなの?」


「…………印南の前では口を固くしないとね」


 はあー、とため息をつくサカリィ。それでも息が白くならないのも、ここが特異である一例か。


「んじゃ、ここでお別れね」


「んえ?」


「リィは別の任務だから」


「はー? おりゃどうすりゃいいのさ」


「ラジオトレースで指示は出すわよ。とりま、そこのトーチ一本引っこ抜いてって」


 そういう間にも彼女は手に明かりを持ち、さっさと歩きだしていた。


「南!」


 仕方がないので脂がしたたるカルシウムの塊を掴み、言われた方角へ歩き出した。











(…………大丈夫。気取られてはいない。一度の交戦もなしにここまで――霧の都だっけ? やってこれたんだ)


 女は初めて息を吐いた。

 そこでわずかに眉をしかめる。


(む。……つまんねーな、息が白くならないと。これだけ氷があるのに、空気は水が不足してるのか)


 肌が荒れるな、なんて文言モノローグがその後に続く予定だった。



 霧の都の濃霧の中で。

 冬の極夜の暗黒の中で。

 その女は寝そべろうとした。


「……いや! ターに任されたんだ! もう休みはなしだ。あたしは止まらない、止まってたまるか! 炉がなんぼのもんじゃ、おとといきやがれ!」


 大きな独り言は誰の耳には届くことはなかった。

 文字通り露となって冬に溶けていく。


 ずぶずぶ、と。

 なぜだか、その女の周りには水溜まりが多かった。


「整式を有理化の後に二次起こし――――解凍、導線接続。 オブジェクト、二代目『炉』に設定。オプション追加、反映完了――具象式、発動!」


 ずずずずずずず。


 大地は骨を砕いたように、一つの浅い海となった。








 他方。

 霧の都などと呼ばれてはいるが、冬のこの時期――寒さをどうにかしてくれる陽光すら望めない絶望の季節には、そんなもの、あってないようなものだった。

 少なくとも視界に関していえば、元から見えないんだから今更減ったって文句なし――愚かしきかな、本当にそんな風に思っていたのだ。


「ああっ、ちょっ、寒っ、なあ、これどうにかならないのか⁉」


『この町から出ないうちは何ともならない』


 顔の見えないパートナーの返事はエスカよりも冷たかった。


(冬、冬、冬か! ただでさえ極寒なのに、そのくせ冬ときた! あー! 寒い!)


 霧――すなわち微細な水滴。

 水蒸気ではなく、液体であるところがミソだ。

 ほんの少しでも肌に触れてしまえば、それだけで死んでしまうと思われた。

 その霧が……いつまでもどこまでも濃く濃く立ち込めているのだ。

 回避などしようがなかった。


 冗談を挟む余裕もなく、ツーマンセルの寿命が迫っていた。


『さっさと見つけたいな』


「激しく同意する。略して禿同」


『音しか略せてなくない?』


 はーっ、と深い息を吐いた。

 体温が減っていくだけなのに、どうしてもため息を吐きたい気分だった。


 手のひらを握って開いて、握って開いて。

 こうでもしないとポロリと何かの拍子にこぼれてしまう。

 何本かが。


『改めて確認しよう今回のオーダー。

 ことはラジオトレーサーが観測した不可解な執行者反応に始まる。

 私は座標指定に従い、棺の中に入ってもみたが……なんと、その執行者は発見できなかった』

 

(頭のネジ締めてもらえばいいのに……)


『しかしその反応は一度も途切れることなく、同時に彼そのものは一度も発見されることなく、ここ霧の都エスカまで移動している。

 ……こんな奥地まで侵入されるなんて、セドナ始まって以来の失態だ。

 迅速に執行者を処分し、こちらを助けに来て』


「終わったら一回家に帰りたいんだけどな……」


 ザク、ザクザク、ザクザク。

 自分でも速度が上がるのを感じていた。

 そうしているのではなく、自然となってしまうのだ。

 あったかいベッドはないが、せめてまともな人間の生活空間に帰りたいという願望が無意識に表れていた。


『……待って』


「なに」


『ほんのちょっと目を離したスキに……反応が、消えてる』


「貸し1な」


『冗談言ってる場合じゃないでしょ! 極夜でトレースも途切れたってのに、どうやって見つけるのよ⁉』


 ……じゃぶ。

 ふと、足元がひどくぬかるむのを感じた。

 これだけ霧が出ているのだから、それは――氷が融ける場所もあるだろう。


(なにこのデジャブ)


 ギチチっ……! と、大地が少年の挙動に抵抗した。

 両足に氷がこびりつき、さらに少しづつ胴体を登ってきている。


「やっ、ば……サカリィ!」


「今はちょっと」


「何のためにラジオトレース繋いでんだあああ‼」


 いつだったか味わった氷イスのように、人間に苦痛を与えるために最適化された拘束ではない。

 しかしそれゆえ、剥き出しの乱暴さと制御不能な命の危機を感じさせた。


(クソ、有り得ないだろ! この暗闇でどうやって俺の座標を……!)


 気温は零下1度。

 日光による熱量の補填が望めない中、絶望的な消耗戦が幕を開けた。

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