第3話 伝説のスナイパー

 寒気、がした。


 あの執行者は死んだのか?

 少なくとも、印南を戒める氷は、手で剥がせるレベルにまで劣化していた。




 ゆっくりと。

 さっきまでの動きが嘘のようにゆっくりと。


 その人影は、こちらを見て小首をかしげた、ように見えた。


「――――君が」


 セドナの守り人か、と印南は視線に力を籠める。


 この町の安全保障を一手に担う、本当の化け物があそこに立っている。


 もちろん執行者にも怪物しかいないが、それはこちらから見た話だ。

 そのことごとくをねじ伏せてきた新掃者を形容するなら、やはりそれ以上の偉業であり異形――ということになるのだろう。


「やっと見つけたよ、会いたかったんだよ?」


 ……無邪気な子供のように。


 不快なノイズを散らしていく。


「ははっ、ああああっはははァ!!」


 ――具現式、演算終了。


 スズオオオっ!! と、猛烈な速さで空気をこすり、数多の銃弾が棺へ殺到する。


 例えるならペンギンの狩猟だ。


「――――!!――――」


 こちらを味方の新掃者だと誤認していたのか、敵の初動はわずかに遅れた。


 そう、その一瞬で、仕留められる。

 ……そのはずだったのだ。


「⁉️」


 着弾点には、実体化した鉛だけが残る。

 彼の者は跡形もなく消滅したか、あるいは……


「ははっ、そう来なくちゃなあ!」


 超高速戦闘が開始された。


「…………そこ……!」


 一発だけ弾倉に残しておいた式を、移動した標的へ向け直す。


 見えない聞こえない触れない―――だとしても、あのスナイパーの位置を捕捉する方法はあった。


 ラジオトレーサー。

 セドナの新掃者であれば全員に搭載されているアナウンス。


 昨日まではこれを利用するなんて出来っこなかっただろうが、彼は同じことをした女を知っている。

 さきほどの妖怪溶解野郎だ。


 たとえ印南が登録されていなくても、セドナでニラクを使えば強制的に、なかばお節介てきに接続しようとしてくる以上、逆探知も不可能ではない。


 スナイパーでありながらここまでの高速移動を可能にする能力には興味があるが、


「まあそれも、撃ち殺してからけばいいか……!」


 ――と。

 ここで、否。

 もしかしたら戦闘が始まる前にすら、勝負は決していたのかもしれない。


 超高速戦闘が開始された合図。

 ……同時に、終わった合図でもあった。





 ば、




 その破損音さえ置き去りだった。

 その狙撃手は、――




 キ、ン。





 ――固く握った拳で以って、彼の頬骨を殴りつけた。




 しばらくの間。

 彼は、わけもわからずあおむけに倒れていた。

 前科への危機とか、敗北の悔しさとか、そういうものは残念ながら凍結していた。


 ただ、何が起こったのか。

 それを理解するまでに、長くて短い時間が必要になっただけだ。


(このスナイパー、は……)


 誰もが知らなかった。その伝説の正体を。

 ただ距離の概念が必要ない程度の速さで動くしか取り柄のない、そのスナイパーの能力を。


(さしずめ、ステゴロスナイパーってとこか……)


 弾丸は氷でも砂糖菓子でもない。

 何も貫けない自分自身。

 遠距離で戦うのではなく。

 遠距離から狙うから「スナイパー」。


「はっ、脳筋もいいところだ」


「失礼ね。リィには透過力が何もないんだ。

 セドナ始まって以来のLv.αレベルアルファ。最低であるLv.Kの更に下。まったくのゼロ。

 紙一枚突破できないし、癖の強い力だ」


「「……………………あ?」」



 揃えて口に出た。

 それは、互いの顔を見合わせたときのことだった。


「草加、印南。何してるの、兄《けい》は」


 厳しい日差しに焦げた肌と、日差しを吸って輝く金髪。

 何より目元を覆うサングラスには見覚えがあった。


「お前、お前、お前の名前は………………」


 その女を知っていた。

 冷たい女だと知っていた。


 彼の心をどんどん凍らせていく、そんな女だと知っていた。


「サカリィ? サカリィ、ヤコン……?」


 数年ぶりにその名を口にして、ようやく彼は気が付いた。


「っ」


 口の中を埋める、血液の苦々しさに。


「……


 同い年の少女とは思えないほどぶっきらぼうな物言いだった。

 けれどその言葉に、懐かしさと嫌悪感を垣間見たのだ。


 印南は答えなかった。

 そんなことぐらいわかるだろ、と。彼なりの意地の張り方だったのかもしれない。


「は、ハハ、ははははは」


 初めてだった。

 少しの潤いもない乾いた笑い。

 こんなに残酷なことができるのは、彼の十余年で初めてだった。


「興めもいいところだな。君ごときが、英雄として祭り上げられるなんて、セドナも末の末ってもんじゃんか‼」


「……‼」


 眉をゆがめながら、サカリィと呼ばれた少女は倒れた印南の胸倉を両手でつかみ、顔の高さへ持ち上げた。

 彼としては立ち上がる力が残っていなかったので好都合。

 可能な限り嬉しく振舞おうと努めた。


「だってそうだろう⁉ 確かにお前は三桁もの執行者を撃ち殺してきたかもしれねー……なのにさ。そんな英雄の唯一の汚点が、まだこうして生き残っちまってるんだぜ⁉」


「っ‼」


 サカリィは怒りのままに、少年を掴む手を放す。

 彼は何の抵抗もせず、コメススキの茎のようにしな垂れて、氷の床に寝転んだ。

 青い地面は相当な硬さのはずだ。


「君は。サカリィ・ヤコンは、俺一人救えなかった英雄だ」


「なら」


 サカリィの目が入れ替わる。

 まさしく、塵芥を嘲弄する瞳へと。


「独りでいるくせに他人に頼る。けいの『方法』がそんなものだっていうなら……悪寒の原因を他人に押し付けて生きていくなら……もうやめちまえよ」


 ふと、風で金髪が棚引いた。

 寒さのせいか、隠れていた耳は真っ赤に染まっている。


「いちばん嫌いな氷の中で野垂れ死ね。もしくは一生檻の中でシバリングしてろ‼」


 言うだけ言うと、サカリィは獣のブーツで印南を踏みつけた。

 正確には、一撃で意識を刈り取れる急所を。










「――――あ」


 目を覚ますと拘留所だった。


 ブーツが硬い床を踏む、キャスキャスという音が聞こえる。


「狙撃手、サカリィ・ヤコン」


 とはいっても、拷問器具も自白剤も用意されてはいない。

 あるのは氷で敷き詰められた外壁と……


 毛皮に身を包んだ、金髪の女だけだった。


「――――新掃者、草加印南そうかいなみ


 心底忌々しそうに、その名は告げられた。


 この部屋には二つの椅子がある。

 一つはサカリィが腰を掛けているもの、もう片方は印南を戒めるものだ。

  とある技術によってセドナは極地でありながら金属を得ることに成功しているが、できるだけ節約はしたい。ならどうするか。 

 両足を通す用の穴を用意し、下半身を徹底的に冷やす氷椅子だ。


「ラジオトレーサーに複数の未登録新掃者の接続記録。これは全てけいのだね」


「……、」


 体がいつまでも冷えていく。

 思考の冷酷な部分は腐っていく。


「……五年前だっけ? リィは警告したよね? 今のまま行くと、いつかそこに……いや、逢着するって」


「……ああ。確かに言われた」


「無免許でのニラク使用。

 セドナの住民への攻撃。

 確かけいは前科を恐れてたよね。――ほんと、呆れる。

 この罪状でよくシャバに戻れると思ったものだ」


 呼気が冷たい。

 手のひらが乾く。

 この砂漠はこんなに真っ白なのに。

 彼には、黒い景色だけが視えていた。


「話題を変えよう。

 Lv.Xレベルクリット


「えっくす? なに?」


「有史以来最強の執行者――生まれたのよ。

ヤツの透過は鉛でも氷でも止まらない。けれど攻撃の特性上、有効打を持つ新掃者もいる。

それはこの大陸に2人だけ。一人は勿論リィ。そして二人目は……」


「俺、か。

 ……そりゃあ、悪いことをした」


「思ってないくせに」


「さすが古い馴染みだ。頼りにしてるぜ?」


「あっち行けよ。寒い」


「拘束したの君でしょぉ⁉」


 ……牢屋くんだりまで来たくせに、サカリィにはさっさと片付けようとする仕草がない。

 沈黙を破ろうとしてくれないので、少年はいたたまれなくなって切り出した。


「俺を解放するってんだろ。……いいよ、協力するよ。

 その代わり寝食はここじゃない、自宅でおこなわせてもらう」


「驚いたな。『俺はセドナをムチャクチャにするぜ!』とか言って断るのかと思った」


「他ならぬサカリィの頼みだから」


「嘘」


「あ?」


 呼吸を溜めるサカリィ。南極圏の空気が脳を浸し、急速に思考が加速する。


「隠し事だ。けいが自由を謳歌しようともせず、逆に自分から居場所を縛り付ける? ……有り得ない」


「人には任せられない仕事だからなあ。俺、そもそも人間嫌いだし。昔からね」


 金色の眉に不自然な力が加わる。

 ……彼らはお互いのことを話しているようで、実体は少し違うのかもしれない。


「兄はそんなヤツだったか? 違う。何事も一人で解決しようとするヤツだったか? いいや違うわよ‼ 

 兄の立場がその『役割』に不足するなら私たちを頼れ! 

 人間が嫌いだとかいう前に思う存分、人間を利用してみなさいよ‼」


 ぐい、と鎖を繋いだままで手首が掴まれた。

 その手は確かに少女の力でありながら、焦げ、冷たく、決して健全とは言えない数の傷があった。

 ……不思議な感覚だ。


「リィが思い出させてあげるわ……。

 兄があの日護ろうとした人間はね、まだあったかいままなんだって。

 兄がしたことは、絶対に無意味じゃないって‼」

 

 ようやく。

 至近で瞳を覗き込まれてようやく印南は、サカリィが遮光もなしに彼を見ていることに気がついた。


「セドナ安全保障部門、セドナ閉門局。名誉部隊員サカリィ・ヤコンの名で命じる」 


 砂漠の天気がうつろいゆく。

 もう引き返せない、決定的な終わりへと。


草加印南そうかいなみ

 兄はこれから然るべき期間、閉門局最大基地『天文台』に勤務、

 セドナを護ること」


 そのセリフを受けたときには、印南の足はすっかり冷え切って、一歩も動けなくなっていた。

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