モテない僕が道端の胡散臭い占い師に占ってもらったら、箱根駅伝の話をされたのだが

波手無 妙?

第1話 僕はこの後どうしたか。

「では、こういうことですか? 今年中には僕に彼女ができて、来年めでたく結婚できる、と」


 占い師は僕の手を揉みほぐし、手相を舐め回すように確認してから、こう言った。


「ええ。あなたがそう望むのなら」


「望むなら、ですか」


 正直インチキだと思っていた。はなから信じるつもりもなかった、と言ってもいい。それにしても、望むなら、なんてそんな。僕は人生を通じて望み続けてきたにも関わらず、彼女はおろか女友達すらこれまでろくにできなかったのだ。でなきゃ得体の知れない路上占い師に一万円を投じたりするものか。組み立て式の簡易テーブルには窮屈そうにタロットカードが並んでいる。行燈に照らされ、辛うじて目視できる絵柄はどれも不吉っぽくて、明るい未来を暗示しているようには到底思えなかった。


 深夜でも歩道にはひっきりなしに人が往来していた。ビルのショーウィンドウに顔の見えない、真っ黒に酔いどれた人々が写り込んでは、また夜に同化していった。自転車のサドルよりも狭い簡易椅子からはお尻の肉が吹きこぼれ、大した時間も経っていないのに、お尻は痛くて限界に近かった。それでも僕が席を立たなかったのは、賭けた一万円に見合う助言をもらえるまで、引くに引けなくなっていたからだ。僕は雑踏に声が響かないよう声量に注意を払って占い師を問い質した。


「僕はこれまでもずっと彼女が欲しいと切に願ってきましたが、できませんでした。具体的に何を、どう望めば良いのでしょうか? 百度詣りする、とか?」


「その必要はありません」


 占い師はテーブルからタロットカードを一旦回収し、切りなおしてからまた裏返しにして並べた。その手つきは少しぎこちなく、もたついて見えた。色褪せたジーンズに、よれた薄手のボタンダウンシャツ、履き潰されたパンプス、占い師というよりも昼下がりの団地妻の出で立ちで、本当にプロの占い師なのかも疑わしい。暑いのはわかるけれど、黒いローブを着たりなんかして多少は胡散臭さを演出してくれないと、こちらものるにのれない 。


「あそこに立っている男が見えますか?」


 占い師は不可解にもその中指で、交差点を挟んだ先にいる男を指差した。


「はい。見えますが、あの人が何か?」


「あなたはあの男のようになりたいと思いますか?」


 僕は後ろを振り返り、改めてその男のことをくまなく見た。男の腕にはでかでかとした文字盤の腕時計、腹にはブランドロゴがそのまま留め具になっているベルトが巻かれており、肩にはショルダーフォンの掛け紐がめり込んでいる。どれもこれも、身に着けているもの全て高価であろうことは想像に難くないが、僕が最初に抱いた印象は高そうではなく、重そうだった。この前、日曜洋画劇場でやっていた映画で、ベトナム戦線に向かう米軍人が同じような重装備をしていたのを思い出した。


「なりたくないですね」


「彼はこの後、ディスコで知り合った女をシティホテルに呼び付けて朝まで性交渉に及びます」


 占い師の中指は真っすぐ、その男の脳天に狙いを定めていた。男はこちらには気づかず、ショルダーフォンで楽しげに話し込んでいる。


「よくそんなことがわかりますね」


「人を見る職業ですので、それぐらいのことは一目でわかりますよ」


 占い師はしたり顔で右の口角だけをあげ、不均衡な笑みをこぼした。なかなか中指を下ろさないので、いま一度振り返ってみると、中指の延長線上にある男の脳天には小さな穴が空いていて、蜂蜜のように粘度の高い鮮血が一筋、非常にゆっくりとした速度で垂れていくのが見えた。僕はびっくりして前に向き直ると、占い師はようやく手を下ろし、また話し始めた。


「では、後ろのショーウィンドウに映る若い女が見えますね」


 俯き加減で話す占い師の黒目が向かって左に動いた。確かにショーウィンドウには後ろの白いガードレールに腰掛けている若い女が映り込んでいる。あれ、こんな人いたかなと気になったけれど、もう僕には後ろを振り向く勇気はなかった。


「あの、やっぱり、何となくわかったので、もう大丈夫です」


「いえいえ。一万円も先払いで頂いていますので、お代の分はしっかりやりますよ」


 占い師は有無を言わさずに続けた。


「彼女は大変酔っています。先程まで回転レストランで高級フレンチを男と楽しんでいたのですが、男はトイレに行ったきり戻って来ず、高額な食事代を肩替わりしたみたいですね。そこでホテル代を出してくれる、行き摩りの相手を探してかれこれ二時間もそこに座っています。いわゆるナンパ待ちです」


「へー、そうなんですかぁー」


 僕は焦りが占い師に伝わらないよう、平静を装った。インチキ占い師が口から出任せを言っているだけだ、と心の中で何度言い聞かせてみても、身体は正直で、背中が汗でひんやりと濡れていくのがわかった。


「少々お金はかかりますが、一声かけるだけで一晩共にできますよ。どうしますか?」


「今日は遠慮しときます」


 さっきまで男がいた場所には人集りができはじめていた。僕はどうやって話を切り上げてここから立ち去ろうか、思考を巡らせていた。


「残念。でもわかっていましたよ、あなたがそう言う事も。そんな関係はお望みではないのでしょう?」


 占い師は簡易テーブル上のタロットカードを一枚捲り、そのカードをそっくり其の儘、僕の前に差し出した。カードには羅針盤が描かれていた。


 だからどうした、と普段の僕なら言うだろう。けれど、占い師の御満悦そうな顔も相まって、羅針盤は謎の説得力を帯びはじめていた。何を暗示しているのですか、と占い師に聞こうとして顔をあげると、さっきまで確かにショーウィンドウに映り込んでいたはずの若い女が消えて無くなっていた。慌てて後ろを振り返ってみても、やはりガードレールには誰も腰掛けていなかった。思い返してみると、僕はその女をショーウィンドウ越しに見ただけで、直に目視はしていなかった。それゆえ、彼女が立ち去ったのか、消えて無くなったのか、初めからいなかったのか、僕には知る術がなかった。


 夜の街に小雨が降りはじめ、元々黒く、暗くてさらに黒いアスファルトに、雨が黒をもう一段上塗りしていく。交差点の向こう側には、こちらとは別世界みたいな大雨が降り注いでいる。雨音の中から辛うじて聞こえるサイレンはドップラー効果で歪み、救急車と警察車両、どちらのものか判断できない。


「願えば必ず叶います。全て上手くいきます。信じれば報われます」


 と、後ろからつぶやく声が聞こえた。僕はその言葉の響きにぞっとして、このまま振り返えらず直ぐに立ち去るべきだと思った。けれど、賭けた一万円が再び僕の後ろ髪を引いた。やはり、ただの占い師ではない。掛け金が大化けするかどうかの瀬戸際なのかもしれない。


「昔、母からこんな話を聞きました」


 僕が前に向き直ると占い師は引き続き話し始めた。


「私の家は代々占い師の家系で、母もそうでした。ある日、母の元に一人の青年が助けを求めてきました。彼の話はこうです。彼の通う高校は元女子高で、彼を除く全ての生徒が女子でした。しかも、親の資産は一億円以上、偏差値は70以上と厳格な基準が設けられ、それだけでなく芸能事務所のスカウトが入試に面接官として招かれ、容姿も厳しく審査されました。まさしく選び抜かれた特別な女子だけが通うことのできる高校だったのです。政財界や宗教法人、医師会、様々な権力組織に対して太いパイプを持つその高校に、特待生として唯一招かれた男が彼でした。選ばれたのが何故自分だったのか、本人にもわからなかったそうです。彼は一般的な中流家庭に生まれ、学力や容姿も特別優れているわけではありませんでしたから。ただ入学には一つだけ条件がありました。彼は卒業までにその学校の中からただ一人、花嫁候補を選ばなくてはなりませんでした」


「なんだか少女漫画みたいな話ですね」


 僕は茶化したつもりだったけど、占い師はくすりともせず、間髪いれずに続きを話した。


「全てを兼ね備えた女子千人の中から誰でも好きな相手を選ぶことができる。夢のような話だと思いその高校に飛び込んだ彼でしたが、現実はそんなに甘くありませんでした。いや、甘すぎたのかもしれません。ケーキも食べ過ぎると吐き気に襲われてしまうように。毎日毎日、何百人もの美少女達が代わる代わる彼の元に訪れ、自身を売り込みにやってきました。中にはあからさまに下着をチラ見せしてくる女子もいました。彼は美少女達の顔の違いを認識するだけで疲弊し、憔悴し、卒業を間近に控えても、たった一人を選ぶことができなかったのです」


 僕は占い師の抑揚のない声を聴きながら、なぜ、今、この話を聞かされているのかずっと考えていた。これは何の話なのだろうか。作り話にしてはあまりにも雑だし、今のところ何か教訓めいたものがあるとも思えなかった。


「それで、お母様は彼にどんな助言を与えたのでしょうか?」


「箱根駅伝」


 今日はもちろん三が日ではない。夏真っ盛りのお盆前だ。でも聞き間違いではなかった。


「母は全校生徒に箱根駅伝のコースを走らせて、最も速く走り抜けたものに花嫁の権利を授けたらどうかと助言をしました。彼はその真意を理解していませんでしたが、その助言をすんなりと受け入れました。それほどまでに彼も追い込まれていたのです」


 占い師は続けた。


「先ほどは、箱根駅伝と申しましたが、正確には往復で全長200㎞を超えるコースを、襷を繋がず一人だけで走り切る箱根マラソンでした。普段はお勉学に励む、か細く可憐なお嬢様方達の中に完走できる者が果たしているのか、そもそも参加希望者はいるのか、彼は案じていましたが、それも杞憂に終わりました。棄権者は一人もおらず、約千人の美少女が新聞社のビル前に集結しました。スタートが切られると女子達は風のように速く東京の街を駆け抜けて、横浜の車道を占拠し、スカートをはためかせながら、驚くべきタイムで小田原中継所まで次々と到達していきました。信じられますか? それまでまともに運動もしてこなかった女子達が、特待生の男子陸上部が打ち立てた区間新記録を打ち破ったのです。ただし、あくまで参考記録ですが。しかし、やはり問題は心臓破りの山道を行く第五区です。ここでほとんどの女子達が膝を壊し、姿を消しました。それまで一位を独走していた、数少ない陸上経験者の女子も産まれたての子鹿のように膝がガクガクになり、山道に倒れこみました。そして、第五区を突破した両手で数えられる程の女子達だけが復路で大手町を目指し、一人、また一人と足が動かなくなっていきました。最初はこの企画に半信半疑だった青年も、死ぬ気で走り続ける女子達の姿を見て心を打たれ、最初にゴールテープを切った女子と婚約しようと、伴走車の中で決心がついたそうです」


「つまりその女子と文字通り、ゴールインしたわけですね」


 僕がまた茶化すと、今度はふふと笑って


「そういうわけです」と言った。


 どういうわけかはわからなかったが、話はそこで終わりだった。先ほどまで交差点の向こうにあった大雨の境界線が知らぬ間に僕の真後ろ、さっきまで若い女が座っていたガードレールの辺りまで迫ってきていた。足元にはあちら側から座礁してきた鰯が三匹、苦しそうに鰓を全開放してびたびたと跳ね回っていた。


「誠に申し上げにくいのですが、そろそろ先頭集団が来る頃ですので、私も準備しなくては」


 占い師は立ち上がり、両脚を屈伸させ、アキレス腱を伸ばし、ハムストリングをほぐしはじめた。その時、雨音をかき消す程の、足音の群れが後ろから迫ってくることに気がついた。交差点の向こう側から大勢の人が走ってくるのが見える。それも、物凄い速さで。真っ白なブラウスに、はためく濃紺のスカート、漆黒に輝くローファー、女生徒だ。


 人も車も雨も鰯も全てを掻き分けて、女生徒の集団が公道のど真ん中を突っ切り、交差点のその先へ、瞬く間に駆け抜けて行った。そして、その後に続いて老若入り交じった男達の第二集団が必死の形相で食らいつき、走り去っていった。道路案内標識を見ると、横浜方面に向かっていた。


 インチキだと思ってもらって構わない。でも本当に、男達が絶対に追い付けないようなスピードで、女生徒達は風のように速く駆け抜けた。そして僕はそれに続くでも、食らいつくでもなく、沿道からただ呆然と見送ることしかできなかったんだ。

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モテない僕が道端の胡散臭い占い師に占ってもらったら、箱根駅伝の話をされたのだが 波手無 妙? @miyou1008

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