間幕


 葉月を平安時代の桑都に残してから一か月が経った。

 十年ぶりに現代へと戻ったが、俺は本当に現代に戻ってよかったのだろうか。


 十年間も鬼童丸と名乗る”偽物の酒天童子”を追い続けたが、奴の消息は未だに掴めないままだ。八都の何処かに隠れているのは間違いないのだが、得られた情報は僅かだった。

 

 柚子葉に啖呵を切ったはいいものの、結局のところ俺は何も手にしないまま現代へ戻ってきてしまった。


 持ち帰ったのは、平安時代に活躍していた三大妖怪に君臨する”大天狗”様から得られた”六神術式”だけだ。


「「八童志恩様。次代当主の八童はちどう藤乃ふじの様が御呼びで御座います」」

 

 参拝者への対応を終えたらしく、双子が俺の部屋を訪ねた。


 八童志恩様か。すっかり他人扱いだな。まあ十年もほっつき歩いていればそう言われてもしょうがないな。


 案内されるがままに双子の後ろを歩き、俺は次代当主である”八童藤乃”が待つ部屋へと向かう。

 

「なああんずさん、うめさん。この屋敷には八童家の関係者しかいねえんだから、素の姿にもどったらどうだ?」

「では、耳だけは出しましょう。志恩様の目的は”ケモ耳”なんでしょう?」

「杏お姉さま、志恩様がケモ耳だけで納得できるようには思いません。ここは尻尾も出した方が良いでしょう」

 

 白い小袖の上に黒い袴を身に付けた下平杏、下平梅。否、俺より何倍も生き続けているロリババアたちは、指を数回弾き、頭頂部に白と黒の犬耳と猫耳を現した。


「志恩、これで満足したか?」

「これで満足しないようであれば、他の方法を試すしかありませんね」

 

 杏と梅はそう言って振り返り、上目遣いな眼でじっと見つめる。その後、二人は俺の両足に向かってきた。


 相変わらず容赦がないババアだ。コイツらに性癖を歪められなければ、俺は普通の性癖を抱いていたに違いない。

 

 コイツらの正体を知らない人物が見れば、俺はとっくのとう不審者だと思われ御縄を頂戴しているだろう。


 俺の性癖の一部を歪めた犬妖怪、下平杏。彼女の双子の妹、下平梅は、俺の両足に胸を押し付け抱きしめてきた。

 

 ロリコンには夢のような状況ではあるが、俺にとっては邪魔なものでしかなかった。


 柚子葉の思いを踏みにじらないよう、俺は食い物を前にした空腹の猛獣のような気持ちを押さえつけた。

 

 両足を抱きしめ続ける二人の幼女をそのままにし、俺は藤乃が待っているだろう部屋へと足を踏み入れた。


「あら、やっと帰って来たのですね、志恩御兄おにいさま」

 

 座卓の上座に正座する八童藤乃。俺の妹、藤乃は俺の両足に目を凝らしていた。


 両足に抱き着く杏と梅の頭に拳骨を振り下ろし、俺は座卓越しに藤乃の正面へと座る。

 

「よう藤乃。その恰好似合ってるじゃねえか」

「そうですか。要件はそれだけではありませんよね?」

「まあな。先日、柚子葉が楢野町で起こした”協定違反”のことで話に来た」

「倉敷柚子葉ですか。確かに彼女が犯した祓い行為は協定違反ですね」

「まあな。そんで――柚子葉の協定違反が取り消せねえか頼ったんだが、どうだ。取り消せそうか?」

「可能です。柚子葉さんが化け物を倒しただけなら罪に問われるでしょうが、その後、楢野葵が戦いを仕掛けていたことがありますからね。今回の件ではどちらも罪に問われることはありませんよ」


 両成敗という事か。それなら安心して良さそうだな。


 上座から立ち上がる八童藤乃。これで柚子葉の罪は帳消しになりそうだ。


 座卓を回り込み、彼女は俺の真横に座った。その直後、実の妹である八童藤乃は俺の腕に胸を押し付けてきた。

 

「本当に勘弁してくれ。俺たちは兄妹なんだぞ」

「そんなことは承知の上です。志恩御兄さまの匂いはとても癒されます」

「ああ。そういえば柚子葉もそんなことを言っていた気がするな……」

「はい? なんと仰いました? 聞き違いでしょうか? 今、柚子葉さんが”匂いを嗅いだ”と言ったように聞こえましたが……」

「まあな。実は俺、柚子葉と婚約したんだわ……」

「あ?」


 不服そうに口を尖らせた藤乃。どうやら地雷を踏んでしまったらしく、藤乃は眉を吊り上げて俺の頬を叩いた。

 

「お、落ち着け藤乃。婚約と言ってもただの口約束だ。柚子葉が高校を卒業できなければ、その話は白紙に戻るだろうよ」

「なるほど! 正式なものではないのですね。それなら安心しました!」


 ブラコン気質な八童藤乃の性格。十年ぶりに感じた藤乃の”圧”は、一向に衰えてなかった。


 藤乃は独自の価値観で人を判断する。重さを計るはかりのように、自分にとって”有益な存在”であるか、”無益な存在”であるかという二つの存在でしか判断できない。


「志恩御兄さま。八童家を訪ねたのは柚子葉さんの一件だけではないのでしょう?」

 

 藤乃はそう言って部屋の外に居る杏と梅を呼び出す。


 彼女が言っていた通り、俺は藤乃に幾つか伝えなければならないことがあった。


 一つ目は、桑真学園の高等部三年に通う藤乃に対し、同学園の高等部二年へ通うことになる柚子葉を見守って欲しいこと。


 二つ目は、柚子葉を狙い続ける陰陽師達についての情報があるかどうか。


 三つ目は、薬王院で保護している”酒呑童子”の状態が気になるということ。


 一つ目の願いに関しては、藤乃曰く「柚子葉さんは二学年です。私ができることは、彼女に襲い掛かる火の粉を払うことしかできないでしょう。あまり期待しない方が良いと思います」とのこと。


 確かに彼女の言う通りだ。


 単位三部制の学園である中高一貫桑真学園での柚子葉との接近、それは物理的に考えてみても難しいと思える。


 二つ目の陰陽師についての情報の共有。

 数週間前、八尾山の滝場に現れた”天青吾朗”という陰陽師。


 八童藤乃や八尾薬王院に勤める善良な妖怪たちから得た情報によると、天青吾朗はあくまで陰陽師たちの一人でしかなく、天青吾朗は八尾山に張り巡らされた重結界を破って侵入したという。


 侵入方法は多重結界を相殺するほどの妖力と、結界に耐えられる程の肉体。

 

 恐らく、多重結界の一部を無効化したのは、多重結界の霊圧をもろともしない肉体を持つ仲間がいたからなのだろう。


 しかし、天青吾朗陰陽師は、様々な術式を用いたとしても、人間の肉体を持つ普通以上の人間だ。

 

 彼が多重結界に侵入できたのは、結界内に裏切り者がいるのか、天青吾朗に多重結界を突破するほどの肉体を持つ協力者がいたからに違いない。


「天青吾朗、いや、陰陽師たちの狙いは柚子葉さんに宿った”沙華姫”の霊魂だと思われます」

 

 藤乃はそういってお茶を啜り始める。

 

 正直なところ、藤乃や他の誰かの見解には納得できないものが多かった。

 

 八尾山に施された多重結界は、純粋な人間の侵入は許されるが、穢れた霊魂を肉体に宿した人間や怪段以上の霊的存在たちの侵入は許されないものであったはず。


 ただし、その情報は十年前までの俺の常識でしかない。もしかしたら一般の参拝者向けに結界を緩めたのかもしれない。

 

 藤乃が何を考えているのかは理解できないが、もしもそのルールを破ったのなら、いや、破らざるを得ない状況であるのだとしたら。

 

 何らかの危機が八尾山に襲いかかってきているのかもしれない。


 二つ目の頼みに関しては、八童家の庶子に格下げされたということもあってか、共有してもらうことは難しいようだ。


 三つ目の頼み。薬王院の封印石に封じ込められている酒天童子について。


 あんずうめの話では、十年前に一度だけ酒天童子は封印石から逃げ出したが、彼女はその日、「種はばら蒔いた」と言い、自らの意思で封印石に再び封印されたらしい。


 どうして酒天童子は柚子葉に自身の霊魂を注ぎ込んだのだろう。

 

 彼女の行為が柚子葉の命を延命することになったが、何か裏があるのかと思ってしまう。


「志恩御兄様は十一年前に起こった”倉敷結衣の刺殺事件”のことを覚えておりますか?」

 

 藤乃はそう言った後、彼女の背後に佇んでいた下平しもひらあんずうめさんに持たせていた絵巻を受け取り、机の上に広げた。


 十一年前の出来事か。そういえば今日の早朝、柚子葉も十一年前の出来事について話していた気がする。

 

 寝とられ編のピンク本を覚えられていたのは不覚だったが、あんなにドン引きされるとは思わなかったな。

 

「十一年前の出来事か。ああ、覚えているよ。俺が忘れるわけがない。八月の六日午後十一時、倉敷結衣は女子高生に殺された。あの日、俺を含めた怪段級や忌段級の術師があの場に居ておきながら、一方的にやられっぱなしだったからな」


 十一年前の八月六日。あの日、宝刀の持ち主であった結衣さんが居なければ、俺たちが死んでいただろう。


「そのような記憶があるのですね。志恩御兄様、その記憶はもはや、次元を越えた多次元の記憶と思ってくださった方がよいのかもしれません」

 

 そう言って藤乃は絵巻に指を差した。


 ブラコンという特殊な性癖を持つ藤乃だが、真剣な話をするときは上品に話すことが多い。

 故に藤乃が言っていた、「多次元の記憶」という発言とは、何を指しているのか数秒も掛からずに理解することができた。

 

「多次元の記憶。つまり、”俺が知っている過去が改変されようと”しているってことか?」

「おっしゃる通りでございます。何者かは分かりませんが、倉敷結衣の死をなかったものしようとしている人物がいるという事です」


 死んだ人間を生き返らせるということか。

 そんなこと、忌段の霊的存在であったとしてもすることが出来ないはずだ。


 過去を変えるという愚かな行い。どんな事情があれど、それを許すわけにはいかない。

 

 十一年前の八月六日。江ノ島での遠出から熱海への旅行に変化した後、暴走する楢野優月を止めるために身を挺して柚子葉を守った倉敷結衣。


 彼女の潜在的術式があったからこそ、楢野優月は自身の呪いの進行を抑えることができたし、脳死状態ではあるが生きていられている。


「この日の出来事を変えようとする人物。現実の理を歪ませ、倉敷結衣が生きている世界線を取り戻そうとする人物に心当たりはございませんか?」

 

 背後に佇んでいた梅さんへと絵巻を渡す藤乃。


 正直な話、倉敷結衣の運命を変えようとする人物には心当たりがあった。

 だが、ここで藤乃に伝えたとしても、さらに問題が増えるかもしれないし、今度こそ柚子葉が評議会に出廷しなければならなくなる。


 深く息を吸い込み、俺は立ち上がる。

 

「どこの馬鹿野郎がそんなことをしているんだろうな……」

「志恩御兄様。私が目を瞑っていられるのは一週間程度です。問題を大きくしたくないのであれば、私が評議会に柚子葉さんを出廷させる前に事を終わらせてくださいね」

「迷惑ばかりかけちまったな。そうだ、この前、駅前の仲見世通りで”都まんじゅう”を買ってきたんだ。お前にやるよ」

「あ、あの閉店したという都まんじゅうですか?」

「まあな。あそこの店主と道でばったり会ってさ、どうしても都まんじゅうが食べてえって言ったら、特別に作ってくれたんだよ」

「し、仕方ないですね、都まんじゅうの件もありますし、評議員には私から圧力をかけてみます」


 俺は薬王院内にある八童家の屋敷から出ていき、スマホを何度かタップした。

 柚子葉が設定してくれた三つの番号のうち、一番に設定されてある柚子葉の携帯へと電話を掛ける。


 何度かコールがなったが、柚子葉は無事に電話に出てくれたようだ。

 

「なあ柚子葉……」

「どうした鴉天狗。柚子葉童子に何か用なのか?」


 電話に出たのは片腕の青鬼。人間には”隻夜叉”と呼ばれているが、妖怪からは”茨城童子”と呼ばれる人物だった。

 

「おい隻夜叉。なんでお前が電話に出てんだよ」

「現在、柚子葉童子は七度返りの宝刀の力を使い、自身の過去に精神だけを潜らせている。ちょうど目を覚ましたようだが、柚子葉童子に変わるか?」

 

 そうか。やっぱり過去を変えようとしているのは柚子葉か。

 仕方がない。ここは目を瞑るべきなのだろうか。


 それから俺は隻夜叉に屋敷へと戻る旨を伝え、都まんじゅうを片手に参道を降りていった。

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