参ー五


 志恩は遠くを見るような眼差しで、『楢野優月は楢野家の当主に選ばれた』と言い、優月さんの事を話し始めた。


 桑真学園を卒業した楢野優月。それから数年が経ち、彼女が二十五歳の誕生日を迎えた年の夏の日。

 彼女はその日、八尾山の頂上にある八童薬王院へと向かい、次代の当主を決める評議会に参加した。

 同行者は八童志恩と倉敷葉月、明神冬夜や優月さんを当主に置くことへ賛成した評議員。勿論、この面子の中にはシゲシゲや倉敷皐月も居たらしい。

 

 石段を駆け上がる葉月兄さんと優月さん。

 この時、彼女たちと同行していた志恩は、優月さんの様子が普段とは違っているように見えたそうだ。

 

「なあ葉月、優月の隣に行ってやんないのか?」

「ああ、そのことなんやが、優ちゃんに断られたわ」

「あ⁉」

「なんでそんなに驚いてんねん。優ちゃんだって今年で二十五歳なんだぞ? もう立派な大人なんやで」


 葉月兄さんのあっけらかんとした態度に呆れる志恩。それでも彼は、葉月兄さんにもう一度強く言ったらしい。

 

「これから当主を決めるっつう大事な評議会が始まるんだぞ? 優月が何歳であろうと、お前の彼女なんだから安心させてこいや」

「なんやねん。そんなにワイと離れ離れになりたいんか⁉」


 捨て台詞を吐くや否や、葉月兄さんは優月さんの隣に向かった。

 ブツブツと文句を言いながら優月さんの傍に向かう葉月兄さん。けれど、志恩の目には恋人に寄り添う立派な彼氏だと見えたようだ。

 

 二人の後ろを歩き続けようとした志恩。その直後、彼は誰かに肩を掴まれた。

 後ろを振り返ってみると、そこには明神冬夜が居たそうだ。


「志恩さん。今回の評議会ですが、どのような結末を迎えると思いますか?」

 

 明神さんが言った。


 何かに怯えたかのようにあたりを見回し、評議員たちが作り上げた行列を確認する明神さん。

 息をひそめる彼の様子に驚き、志恩は彼を安心させるために虚勢を張ったらしい。

 

「心配するこたあねえよ冬夜。優月を当主に迎えたくない勢力は必ず出てくる。まあ、出てきたとしても、八童家の嫡男である俺と明神家のお前が居れば何とかなるだろ」

 

 大袈裟に振る舞い、明神さんの肩を叩く。志恩曰く、明神さんのビビり様は仕方ない事であるそうだ。

 周囲には自身よりも遥かに歳が離れた評議員たちの姿があり、その誰もが切歯扼腕といった悔しい表情を浮かべていたから、というのも明神さんが怯えていた事に繋がったらしい。


 二人は葉月兄さんと優月さんの跡を追った。

 薬王院を通り過ぎ、評議会が行われる奥之院へと集結した評議員一同。

 本来ならば、一般参拝者の参拝も可能な奥之院だったが、今回ばかりは関係者以外の敷地内は立ち入りを禁止したそうだ。

 

 ポッカリと穴の開いた円座卓の中心へと進む優月さん。その直後、騒然としていたはずの院内に静寂が漂い始めた。


 志恩の話では、奥之院に集まった評議員の半数は、軽蔑するような眼で優月さんを凝視していたらしい。

 恐らく、優月さんという存在に憎悪や嫉妬といった感情を抱いていたからなのだろう。


 院内の中央にある巨大な円座卓を囲み、評議会の議長である八童家の当主が話を始めた。

 勿論、今回の議決は、『楢野家の次代当主を楢野優月に任せるか』というものだ。


 本来であれば、次代の当主を決定する事など、他者の意見を介さないで決めるべきことだが、今回ばかりはそうではなかった。

 

 三十歳を満たない術師を旧家の当主に迎える事。その術師が祓い屋としての経験が少ない女性だという事。優月さんが掟を破り、葉月兄さんと交際していた事。

 等々、楢野家の本家と分家の意見が割れてしまい、今回の様に第三者の判断が必要とされる結果になってしまった。

 

 議決が開始された直後、着物に身を包んだ一人の中年女性が立ち上がった。

 

「楢野家の現当主、二十二代目祓い屋……楢野ならの正子まさこと申します。本日は私達の御家事情についてお集まりいただき心より感謝申し上げます」

 

 自身を楢野正子と名乗った中年女性。

 裾に施された牡丹の刺繍と袖に施された楢野家の家紋からするに、志恩は彼女が楢野家の当主で間違いないと思ったようだ。

 

「八童志恩だ。やあ正子さん、”その節”は世話になったな」

「あら、生きていらっしゃったんですね八童志恩様。私が聞いた話では、狭間家が操る傀儡に殺されたかと……」


 両足を円座卓に乗せた志恩。志恩は教えてくれなかったが、正子さんとの間で何かがあったとこと。


 閑話休題。


 楢野優月は同学園を卒業したと同時に楢野家の当主候補に選ばれた。

 勿論、楢野正子の実子である優月さんは、嫡子という立場であることも相まり、優月さんが当主に選ばれるのは当然の事だった。

 しかし、そのことを良く思わない勢力も存在しており、それらの勢力は彼女を当主に置くことに異議を唱えた。


 八尾山の薬王院に集まった大勢の旧家。

 反対した勢力は、八童子市の旧家である”大和田家”と”中山家”、”三崎家”や楢野家の分家。等々、古くから存在する旧家に限らず、多くの人物たちが優月さんを当主に置くことを反対していた。

 

 その中でも声を荒げたのは、楢野家の分家にあたる進藤家の長男、進藤しんどういつきだったそう。

 

「楢野家の分家、進藤樹と申します。楢野家の現当主、楢野正子様の言い分は大いに理解できます。しかし、私たち分家や反対派の総意見としては、楢野優月様を楢野家の次代当主として認めることが出来ません」

 

 神妙な面持ちで進藤樹が言った。

 

 楢野家の分家の中でも上位に存在する進藤樹。彼は二十五歳だった楢野優月さんに対し、祓い屋としての経験や技術が足りないと言った。

 しかし、忌子として恐れられた優月さんは、この時点でも多くの化け物を祓っていたという。


 八童子市内での妖怪討伐数五十七体。県外での除霊数百体以上。

 その内の七割以上は単独での討伐であり、全国各地での累計討伐数は数百にも上っていた。


 誰がどう見ても祓い屋として、そして当主としても相応しいほどの実績を持つ優月さん。 

 しかし、楢野優月は桑真学園に通っていた際、旧家同士の交際禁止という掟を破り、自身にも許嫁という存在が居たのにもかかわらず、楢野家の嫡男である倉敷葉月との交際を隠していた。


「ここに居られる評議員の皆さまも存じておりますでしょうが、旧家同士の交際は片方の旧家の存続を危ぶむ行為でございます。百歩譲って”交際”だけならまだしも、倉敷葉月様と楢野優月が夫婦になってしまった場合、両家に存在する”秘匿術式”を晒さなければなりません。楢野優月が倉敷家に嫁いでしまった場合、誰が楢野家の次代当主を務めるのでしょうか?」

 

 釈然としない様子で声を荒げた進藤樹。


 志恩はこの時、進藤樹の意見には筋が通っていると理解したらしい。

 

 古くから八童子市に存在する旧家に伝わる”秘匿術式”の漏洩。それは均衡を保っていた旧家のパワーバランスを崩壊させることに繋がる。


「八童家の次代当主、八童志恩だ。進藤樹、お前の思いは十分に理解できた。だが、楢野優月は三十歳にも満たない術師だ。それに、楢野優月と倉敷葉月は交際しているだけであって、婚約を交わしたわけでもない」

 

 円座卓に身を乗り出した志恩。志恩曰く、ここで八童家の嫡男として発言していなければ、優月さんと葉月兄さんを守ることが出来なかったとのこと。


 それから数時間が経ち、時刻は午後八時を迎えた。

 多くの議論が交わされた結果、評議会は葉月兄さんと楢野優月さんに対し、”五年の執行猶予”を与えることになった。


 そう。結局のところ、楢野優月さんや葉月兄さん、明神冬夜や八童志恩は、評議会で下された”執行猶予”に安堵してしまい、問題を先送りしたのだ。


 俺は回遊式庭園の園路を歩き続け、志恩の背中を追っていった。

 

「ねえ――志恩」

「なんだよ柚子葉、そんな辛気臭い面見せんなよ」

「見せるなって言っても無理だよ。楢野優月さんと葉月兄さんに下されたのって”ただの執行猶予”でしょ。この問題ってさ、倉敷家の庶子である俺と八童家の嫡男である志恩とも関係ある話じゃないの?」

「まあ――考えてもしょうがないことだ」


 話をはぐらかす志恩。


 優月さんと葉月兄さんのその後が解からない以上、志恩から聞いた話は俺たち二人にも関係するものだと思えた。

 

「俺と志恩が付き合ってるのを他の人にバレれば、同じように評議会が開かれるってことだよね?」

「まあ、そういう事になり兼ねないだろうな。現段階で言えば、俺と柚子葉の交際を知っているのは、隻夜叉と猫屋敷先生、シゲシゲと千代子婆さんだけだから心配するほどでもねえよ」

「いや、もう一人いるよ。その人は”小泉静香”さん。彼女には志恩の事を”ただの友達”って言ったけど、彼女は桑真学園の高等部に通う三年生。志恩と小泉さんが顔を合わせたのは八尾山での参道で一度きりだったと思う」

「ああ、そんな娘が居たのか。あの日は色々あったからな――忘れててもしょうがねえよ」


 俯きながら歩き続ける志恩と俺。一瞬の沈黙が途方もない程の永遠に感じた。


 地面や池に視線を逸らし、何を考えるわけでもなく、ただ呆然と周囲を見渡した。池の水面に写る朝日へと目を凝らし、澄んだ空気を吸い込む。


 そう。俺が行った視線を逸らすという行為は、優月さんや葉月兄さんがやったように、問題を先送りにする行為と同じだった。


 近くの東屋内に進み、俺と志恩は東屋内にある椅子へと腰を下ろす。

 

「もう九月なんだよね。あと数日も経てば桑真学園に通わなきゃいけないし、志恩が現代に帰ってきたのも八月の頭だから、もうすぐで1か月も経つんだ……」

「え、そんなに経ってたのか? こっちの時代での時間の流れは速く感じるな」

「それでさ、最初は優月さんの呪いと忌具について訊く予定だったけど、俺としては葉月兄さんと優月さんの後日談の方が気になっちゃうな」

「ああ、話しが脱線してばっかりだからな、簡潔に話せばすぐに済むんだが。どうする? 忌具と呪いについて訊きたいか?」


 正直なところ、忌具や呪いについての話ではなく、葉月兄さんと優月さんの話が気になる。二人は旧家同士の掟を破ってまで、その後も交際を続けたに違いない。


 二人の話を訊くことで、俺と志恩に迫り来るだろう評議会への正しい答えが解かるのなら、そっちの方が重要だ。


 志恩の脱線話を訊けば、俺が知らない葉月兄さんの想いを聞くことが出来るし、優月さんの人物像が解かる気がする。


 それに、数日前に楢野町で出遭った楢野葵。

 あの出遭いは偶然なんかではないと思う。


 祓い屋の息子が夜道を歩き、妖怪や化け物、怪異や霊的存在を祓うためにボールペン1つ所持して徘徊していたなんて、誰が思っても変だ。


 彼が言っていた『七度返りの宝刀は”忌み物”』だという言葉。確かに隻夜叉も宝刀の事を”妖刀”とは言っていたが、俺にはそう思えない。


 俺が知る限り、七度返りの宝刀は倉敷家の当主に代々受け継がれるものだ。


 そして、宝刀に選ばれた人間だけが宝刀を鞘から引き抜くことができるという逸話。その逸話も真実であるかどうかも分からない。


 隻夜叉や志恩、シゲシゲは、七度返りの宝刀が俺を持ち主に選んだと言うが、今のところ、俺は宝刀を鞘から引き抜くことが出来ない。


 彼らは俺が持ち主だと言い張るが、それは本当の事なのだろうか。


 隻夜叉のように霊縛術を使い、宝刀全体に霊力の刃を施すことは出来たが、それはただの霊縛術であっただけで、宝刀を使いこなした事ではない。


 引き抜く条件が他にあるのなら納得できるが、現時点ではその条件を知る術もない。


 俺は多分、七度返りの宝刀について、もっと詳しく知る必要があるのだろう。


 等と考えに耽っていたが、俺のアゴへ添えられた手のひらに気づき、我に返った。


 添えられたはずの彼の手のひらは、アゴをゆっくりと持ち上げていき、隣に座っていた人物の口元へと寄せられていく。


 この先することを想像してしまい、惚れ惚れするような志恩の笑みに誘われ、我を忘れた。


「こういう場所なら誰も見てない。これから沢山の困難が俺とお前に立ちはだかるだろう。だが約束する柚子葉、俺はお前の霊魂を必ず取り戻してやるし、お前を絶対に幸せにして見せる。お前は今月の二十日に十七歳を迎えるが、俺がお前に与えられるプレゼントは”コレ”ぐらいだ」

 

 志恩はそう言って俺の唇を引き寄せ、唇を重ねてきた。

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