参ー四
頬に添えた手のひらへと指を絡ませる志恩。
彼は深く溜め息をついたかと思えば、『楢野家の人間は代々、呪いを相伝してやがるんだ』と言った。
楢野優月さんについて話し出した志恩。声には力が感じられず、俺の太ももに顔を埋めた様子からするに、何か後悔めいた感情を抱いているのが分かった。
「楢野優月。アイツは俺が桑真学園の高等部に通っていた頃、後輩だった女だ」
そう言った志恩は、彼の頬を摘まんでいた俺の指を握り、話を続けた。
八童子市の中でも古くから存在する楢野家に生まれた優月さん。彼女は生まれ持った霊力の多さと霊魂の強さから、十代にして楢野家の祓い屋稼業の担い手となる人物へと成長した。
同家系の成人を勝る霊力と霊魂。それらを生まれながらに手にした優月さんは、身内からまで忌み子として恐れられたという。
志恩の話によると、彼が桑真学園の高等部に通っていた頃、優月さんは毎日のように葉月兄さんと志恩、明神冬夜という人物と一緒に行動していたらしい。
一緒に行動していたと言っても、最初からそうではなかったようだ。
志恩が初めて優月さんと出会ったのは、彼が桑真学園の高等部に存在する生徒会へと入ったとき。
「八童志恩だ。お前が楢野家の天才児”楢野優月”だな?」
「私は天才児じゃありませんよ八童様。他の人より霊魂が強いだけです」
黒髪の長髪、片側だけに流した髪形。流し目のような目つきを覆い隠すサングラス。足の形がハッキリ分るような黒のボトムを履き、白いワイシャツの上にサスペンダーを身に付けた姿。
この時、志恩は優月さんの第一印象が”面倒臭い女”だと思ったらしい。
一学年にして生徒会副会長に昇りつめた志恩。彼は数か月後、同生徒会員の書記を務めていた優月さんから、”ある相談”を持ち掛けられた。
「志恩さんって、いつも倉敷葉月さんと一緒に居ますよね?」
「まあな優月。葉月と俺は赤い鎖で繋がってんだ。糸じゃねえから簡単には切れねえよ」
葉月兄さんとの関係を伝えた志恩。赤い鎖というのはキモ過ぎるが、確かに葉月兄さんとの関係は糸のようなものではない。
「赤い鎖ですか。何だか羨ましいです。あの……葉月さんと――」
志恩を一瞥するや否や、再びノートに何かを書き込む優月さん。それから彼女は、志恩に相談を持ち掛けた。
「葉月を紹介して欲しいって? いつも一緒なんだから、紹介も何もねえだろ」
志恩はその時、初めて優月さんが葉月兄さんに好意を寄せていると知ったらしい。
勿論、志恩にとっては寝耳に水であったそうだ。志恩や葉月兄さん、明神冬夜さんにとって、楢野優月という存在は可愛い妹のようなものであったからだ。
仲の良い四人組の半分が付き合うことになれば、四人の間に亀裂が生まれるのではないかと考えていたらしい。
それに、葉月兄さんと優月さんが付き合うとなれば、八童子市の旧家の間に存在する”協定”を破る事になるからだ。
ただの旧家同士や許嫁同士の交際であれば何の問題もない。
けれども、葉月兄さんと優月さんは、八童子市内に古くから存在する旧家の人間。
「まあ葉月に訊いてみるわ。優月がお前の事が好きだってよ、ってな」
「いや、そ、そそ、そんなじゃなくって!」
「いや、俺に相談するってことは、そういう事なんだろ?」
「ま、まあ、そういう事ですけど……」
この時、志恩は八童子市に存在する旧家の人間ではあったが、旧家の中に存在する掟には反対していたらしい。
理由は教えてくれなかったが、そのこともあってか、むしろ志恩は二人を応援することを決めたようだ。
それから数日後、志恩の紹介や普段から一緒だったという事もあってか、直ぐに葉月兄さんと優月さんは恋仲になった。
恋仲といっても、志恩が恐れていたような仲間割れも起こらず、明神冬夜と八童志恩、倉敷葉月と楢野優月は以前通りの仲であったとの事。
本来であれば、旧家同士の交際は掟破りであったが、志恩と明神さんの計らいもあってか、葉月兄さんと優月さんの交際は直ぐにはバレなかった。
夏祭りや文化祭、体育祭や修学旅行といったイベントが過ぎ去り、四人はどんな時でも一緒に過ごしていたようだ。
それから二年が過ぎ去り、優月さんと葉月兄さんが三学年になった頃。
当然ながら、優月さんと葉月兄さんの交際は周囲に知れ渡った。
原因は優月さんを良く思わなかった女子生徒からの密告。
葉月兄さんに好意を寄せていた女子生徒の一人が突き止めたらしく、二人の交際の噂は学園内に留まらず、両家の親類達の耳にも入った。
薄っすらと生えた志恩のヒゲに手を当てる俺。
「ねえ志恩、あごのヒゲ剃り忘れてるよ?」
「ああ、起きたばっかだからな。そんじゃあ顔でも洗ってくるか」
俺の太ももから顔を上げた志恩。彼が立ち上がった直後、俺は彼の背中に飛び乗った。
「レッツゴー。レッツゴー」
「ったく、仕方ねえな」
志恩のボサボサの短髪に顔を埋め、彼の匂いを舌で味わう。
刈り立ての芝生や香水の匂いが鼻先を漂った。
「それでさ、優月さんと葉月兄さんの関係は理解できたけど、楢野家の”呪い”の話は?」
「ああ、そうだったな。すっかり忘れてたわ」
ダラダラと話を続けていたが、志恩が言っていた”呪い”についての話はまだだった。
正直な話、呪いの事よりも葉月兄さんと優月さんの話の方が気になるが、このまま葉月兄さんの恋バナを続けていれば話が逸れていくばかりだ。
二階から階段を伝って一階に辿り着き、洗面台に到着したと同時に彼の背中から飛び降りた。
「でさ、でさ、話の続きはー?」
「まあ、そんなに焦んなよ。楢野家に伝わる呪いってのはな、女系にしか相伝しない呪いなんだ。まあ、呪いっていうよりは、”呪縛”に近いもんだけどな」
顔をタオルで覆った志恩。それから彼は、楢野家の呪いについて話してくれた。
生まれ持って膨大な霊力と霊魂を手に入れた優月さん。
人知を超えた能力を持って生まれた彼女は、力を手に入れたと同時に”呪い”も受け継いでしまった。
齢十五歳にして、霊的存在を祓うのに必要な霊具や忌具の全てを使いこなし、数々の化け物を祓っていった彼女。
彼女が先代当主から相伝した呪いというのは、楢野家の祓い屋にしか発動できない特殊な術式だったらしい。
中等部の三学年にして、楢野家の当主候補に挙げられた優月さん。ある日、彼女は志恩や明神冬夜、葉月兄さんとの下校中に複数体の奇段級の妖怪に襲われたらしい。
勿論、幼い頃から祓い屋としての修行を重ねていた彼女にとって、最下級クラスの妖怪など敵ではなかった。
怪段級の鴉天狗である志恩、それらに並ぶほどの霊力を持っていた明神冬夜や葉月にとっても、大した相手ではなかったとの事。
「おい冬夜。この前借りた弁当代の事だが……」
「覚えてますよ志恩さん。返済期限から十日が過ぎたので、利子を含めた千五百円の返済をお願いします」
明神冬夜に借金をしていた志恩。
全く情けない話だ。誰かに借りを作るのが嫌なくせに、この時は友人に金を借りていたのか。
ブツブツと悪態をついていたせいなのか、志恩に頭を叩かれた。
「ねえ志恩、痛いんだけど。てか、友達に借金するとかヤバくない?」
「仕方ねえだろ。俺だって冬夜には借りたくなかったんだよ……」
それから俺と志恩は洗面台から廊下に進み、居間を通り抜けて縁側へと向かった。
縁側に吹き抜ける澄んだ早朝の空気を吸い込み、縁側に置かれた座布団へと腰を下ろす。
心地の良い秋風が肩まで伸びた髪の毛の隙間を吹き抜ける。
「それで、その明神冬夜って友達とは連絡が取れたの?」
「ああ、スマホを契約して直ぐに連絡してやったよ……『早く金を返せ』ってせがまれたがな」
「え⁉」
「いや……だから――金を返せって……」
俺から視線を逸らし、口ごもる志恩。落胆した様子で肩を落とした彼の姿。
先ほど澄んだ空気を吸い込んだばかりだというのに、淀んだ空気が彼の周りを漂っている気がした。
「えっと、その時に返さなきゃいけない金額が”千五百円”って事は……」
「それ以上考えるのは辞めとけ。冬夜の事だ、そのうち忘れてくれる」
天を仰ぎ、何かに祈りながら涙を流した志恩。
志恩が平安時代に行ったのは十年前。そして志恩が明神さんからお金を借りたのは、さらに十年前。
彼の話が冗談でなければ、当時借りていた”千五百円”という金額は、とてつもない金額になっているのだろう。
それから彼は呆然としながら、二十年前の話の続きを語ってくれた。
「志恩さんと明神さん、葉月! ちょっと離れてて!」
優月さんの言葉に反応した志恩。彼は葉月兄さんと明神さんに視線を送り、優月さんから距離を取った。
下校時間が夜の九時を過ぎていた事もあってか、周囲には暗闇が漂い街灯の光だけが頼り。
志恩が目視した限りでは、四人を囲んでいた奇段の妖怪たちは数十体であったらしい。
数では圧倒的に不利な状況であったが、四人にとっては何の問題もなかった。
自慢の霊縛術を使い、キーホルダーに変化させていた錫杖を巨大化させた志恩。それに合わせ、他の三人も霊縛術で霊具や忌具を変化させて応戦したそうだ。
この時、志恩は妖怪たちを祓おうとしたが、優月さんを発信源とした緑の炎が周囲に現れ、彼は目を瞑ったらしい。
志恩が目を閉じたのは一瞬だった。その刹那、志恩を含めた三人は優月さんが発動した結界により、結界外へと弾き飛ばされたようだ。
けれども、再び目を開けた時には結界の姿がなく、目の前に居たはずの妖怪たちは塵に変化していた。
何が起こったのか理解できなかった志恩。一瞬の出来事に理解が追いつかず、彼は目の前に居た優月さんの元へと駆け寄った。
「一体何なんだよ優月。お前、あの数を一人でやったのか?」
「まあ、そういう事になります。奇段の妖怪であれば、私の”重霊力パルス”で封殺できますからね」
志恩の話によると、優月さんが発動した”重霊力パルス”というのは、彼女が霊縛術を付与した四色ボールペンによる術式とのことだ。
「なあ柚子葉、もしかして楢野葵はボールペンを持っていなかったか?」
縁側に倒れ込む志恩。彼はポケットからスマホを取り出したかと思えば、既視感のあるボールペンが載った写真を見せてきた。
差し出されたスマホを受け取り、楢野葵が使っていたものと同じ物であるか確認する。
「なんだか似てるけど、ちょっと違う気がする。でも、街灯の光だけではよく見えなかったし、楢野が使っていたのは、四色のボールペンだったかも」
「なるほど。だとしたら、楢野家の技術部門が改良したんだろうな」
志恩にスマホを返そうとした直後、何者かの手によってスマホを取り上げられた。
薄っすらとした白い指先と鋭利な爪からするに、スマホを取り上げたのは隻夜叉なのだろう。
「ビックリしたよ隻夜叉。あんた何時からそこに居たの?」
「うむ。鴉天狗と柚子葉童子の声が聞こえたのでな。余を差し置いて”忌具”を語るなど、話にもならんからな」
タップやスライド、スワイプやピンチなどを用い、スマホを器用に使いこなす隻夜叉。志恩よりも現代世界に順応する彼の姿は、さながら現代女子高生を彷彿とさせるようなものだった。
彼は四色ボールペンの画像を拡大した直後、スマホを差し出してきた。
「この画像が加工物でなければ、このボールペンは四色でなく五色のボールペンだ」
彼はそう言って俺の隣に座り、肩に腕を回した。
隻夜叉の話によると、画像のボールペンは”
霊具や妖具、呪具や忌具には強さや力関係が存在しているらしい。
霊具は妖具に勝り、妖具は呪具に勝る。そして呪具は霊具に勝るとの事だ。
「霊具と妖具、呪具の関係性は理解できたけど、楢野葵が持っていたような”忌具”はどんな強さなの?」
「その話は俺がしてやる。隻夜叉は黙ってろ」
「何だと? 怪段級の妖怪程度に忌具の事が語れると言うのか?」
俺を挟み、睨み合った両者。彼らは立ち上がった直後、庭園に飛び降りた。
携えた刀の柄頭に手を添えた隻夜叉。それに対し、志恩も妖縛術の一種を発動したのか、小型化されていた錫杖を巨大化させた。
そよ風が葉を揺らす音や鳥のさえずり声、澄んだはずの空気が徐々に淀んでいき、隻夜叉と志恩の周りを瘴気が漂い始めた。
「ちょっとストップストップ。こんな場所で戦ったら、屋敷がボロボロになるんだけど!」
「まあ、それもそうだな」
「柚子葉童子が言ったとおりだ。鴉天狗、忌具の話は余がするぞ?」
柄頭に置いていた手をアゴに寄せた隻夜叉。彼はこちらに近づき、忌具について語ってくれた。
話を開始した早々、隻夜叉は「本来、忌具というのは存在しない物体だ」と言う。
「え、存在しないってどういうことなの?」
「忌具という道具。それらは元々、霊具や妖具、呪具であったのだ……」
隻夜叉が言うには、忌具は一定の条件を満たした霊具や妖具、呪具の成れの果ての事を言うそうだ。
「じゃあ隻夜叉、もしかして俺が持ってる”七度返りの宝刀”も忌具って事なの?」
「違うな。童子が持っている”今”の宝刀は、ただの霊具に過ぎん」
「え、じゃあ、今は違うってことは、昔はそうだったって事?」
「その考えで間違えない。倉敷家が保管しているその宝刀――元々は”酒呑童子”が身に付けていた忌具だ」
酒呑童子。隻夜叉が愛していた鬼の妖怪の事か。
彼は忌具の所有者が酒呑童子であったと呟いた後、名残惜しそうな笑みを浮かべて屋敷に戻った。
「まあ、そういう事だ。あんな説明じゃあ納得できねえだろうから、俺が代わりに説明してやるよ」
錫杖に妖力を込めた志恩。彼が持っていた錫杖は徐々に姿を変えていき、一羽の鴉へと姿を変化した。
手のひらから庭園に降り立った鴉。
既視感のあるトウモロコシ好きの鴉は、快調なステップをしながら足元に近寄ってきた。
「久し振りだね、ヤタ君。元気にしていた?」
「そいつは喋れねえよ。それより、忌具と優月の呪いの話だ」
首をキョロキョロと動かすヤタ君。彼を持ち上げて抱きしめてあげた。
「うん。優月さんの呪いと忌具の事だよね」
「まあな。優月の呪いは忌具と関係するから、よーく覚えておけ」
「そうなんだ。じゃあ、ちゃんと聞かなきゃだめだよねヤタ君」
「楢野優月、アイツは桑真学園を卒業後、正式に楢野家の当主に選ばれたんだ」
回遊式庭園の小島や東屋、いや、それよりも何処か遠くを見つめながら、志恩は優月さんの呪いと忌具について語ってくれた。
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