第33話


 幾ら電話を掛けてもちっとも通話は繋がらず、教室に戻ってその姿を待ち続けても一向に現れる気配がない。


 こっそりと教室を抜け出して校内をぐるりと見て回るも、美しい女王様はどこを探してもいなかった。


 一体どこにいるのかと、図書室や体育館裏など隠れ家として使われやすい場所も探してみるが彼女の姿はない。


 途方に暮れながら高等部の寮へと足を踏み入れて、エレベーターを使って目的階まで上がる。

 

 そして何度か訪れたことがある彼女の部屋の前まで足を進めれば、顔馴染みである1人の女子生徒が立ち尽くしていた。


 「長谷さん…?」


 駆け寄れば香水を付けているのか、爽やかさを含んだ甘い香りが鼻腔をくすぐる。

 困ったように眉根を寄せるその女子生徒は、律の付き人である長谷夢花だった。


 「何してるんですか?」

 「央咲様…!律様の担任教師から、教室に現れないので様子を見てきてほしいと言われたのですが……」


 解錠してもロックが掛かっているせいで、開くことが出来ないらしい。

 扉に手をかけて開こうとしてみるが、夢花の言う通りびくともしない。


 インターホンを押しても応答がなくて、部屋の向こうに本当に彼女がいるのだろうかと不安になってしまう。


 「……律!開けて」


 必死に声を荒げても、やはり返事はなかった。俯いている蘭子を見て、夢花が心配そうに声を掛けてくる。

 

 「……恐らく、テストの結果がよほどショックだったのだと思います。今まで以上に机に向かってらっしゃいましたから……」


 幼い頃から律に寄り添い続けた彼女だからこそ、言える言葉だった。主人をすぐ側で見続けたからこそ、今の彼女の心情を察してやれるのだろう。


 「……何年も1位をキープし続けるために、血の滲むような努力をされていましたから…プライドはもちろん、律様の中で積み重ねてきたものが壊されてしまったのかもしれません」


 万年2位として彼女を追い続けた蘭子と、抜かされまいと信じられないほどの努力を重ねた律。

 追うよりも追われる側の方が、よほど強いプレッシャーを感じていたはずだ。

 

 「……あ」


 寮の部屋は基本的にどこも同じ構造をしているため、もしかしたらと一つの打開策が思い浮かぶ。


 ギュッと手を握り締めてから、真っ直ぐに扉を見据えながらある頼み事をした。


 「あの、寮母さんから右隣の部屋の鍵借りて来てもらうことって出来ますか?」

 「鍵ですか…?しかし、簡単に貸してもらえるかどうか…」

 「中で人が倒れてるって言えば、貸してもらえるかもしれない」


 お願いしますと頼めば、夢花が大急ぎで寮母の部屋まで向かってくれる。

 1人きりでその場に残されて、今度は優しく扉をノックしていた。


 「ねえ、律」


 あまりに小さ過ぎて、これでは当然彼女に届くはずがない。


 律は器用だと思っていた。運動も勉強も、何でもできる天才だと思っていたけれど、努力をしていたのは彼女も一緒。


 些細なことに一喜一憂して、人を思いやれる優しい女の子であることを、ここ数ヶ月で痛いほど実感させられたのだ。


 これまで律を目の上のたんこぶのような存在だと思っていたけれど、ただ、蘭子の努力が彼女に及んでいなかっただけ。


 「お待たせしました!」


 渡されたルームキーを使って、隣室の鍵を開く。

 申し訳ないと思いながら部屋に上がり込んで、迷いなくベランダに出ていた。


 「……よし」


 大きく深呼吸をしてから、手のひらでベランダの隔板を破壊する。こんなに力を込めて何かを殴ったのは生まれて初めてで、ジンジンと手の甲が痛んでいた。


 もし母親が見たら、心配で卒倒してしまうだろう。

 バリバリと音を立てながら扉を壊して、身を屈めながら隣接しているベランダ間を移動していた。


 「痛いなあ…っ」


 血は出ていないが、普段あまり力を使わないのが仇となったのだ。律と夢花が暮らす部屋のベランダへと移動してから、一か八かで扉に手を掛けた。


 「……よかった」


 幸いなことに、ベランダ扉の鍵は掛けていなかったらしい。カラカラとスムーズに空いて、ホッとしながら上がり込む。


 もしここも閉まっていたら、窓ガラスまで破壊しなければならなかっただろう。


 何度か訪れたことがあるおかげで、迷うことなく彼女の部屋の前まで到達することが出来た。


 律とネームプレートの掲げられた扉を、ノックもせずに開く。


 「律」


 カーテンで締め切っているせいで、室内は酷く薄暗い。虚な瞳で布団にくるまって、力なく横たわっている彼女の姿にギュッと胸が締め付けられた。


 蘭子の声に反応した瞳は、ゆっくりとこちらに視線を寄越したあと、信じられないと言わんばかりに大きく見開かれる。


 「なんで…ロックしてたのに…」

 「隣の部屋のベランダから侵入してきた」

 「は……?」


 まさか蘭子がそんな事をするとは思わなかったのか、呆気に取られている様子だった。


 ズカズカと彼女のすぐそばまで近づいて、包まっている布団を剥ごうと引っ掴む。

 しかし嫌がるように抵抗されてしまって、彼女と向き合う事が出来ない。


 「……出て行って」

 「やだ」

 「どうして……私もう、一位じゃないんだよ」


 苦しげに震える声と同時に、強められていた力が徐々に弱められる。布団を離してくれたおかげで、ようやく正面から律と向き合うことが出来た。


 「……ッ」


 まるで凍てついていた氷が全て溶けてしまったかのように、女王の瞳からは大粒の涙が溢れ落とされていた。


 両手で顔を覆いながら、途切れ途切れに自分の思いを吐露してくれるのだ。

 

 「……私は蘭子の友達じゃなかったから」

 「……っ律」

 「友達の多い蘭子の視界に入るためには、ずっと蘭子より前にいるしかなかった。一位を取って…疎ましいって思われたとしても、ずっと一位で居続けたかったのに…」

 「だからずっと一位を取るために努力してたの…?」


 唇をギュッと引き結んでから、律がコクリと頷いて見せる。その姿に堪らなく胸が締め付けられて、愛おしさが込み上げてくる。


 天才だと謳われていた彼女が、長年一位を取り続けていた本当の理由。

 血の滲む努力を重ねて、好きな相手から疎ましく思われたとしても、蘭子より前にいたかったのだ。


 空気にならないように、自分の存在感を出す方法がそれしか思いつかなかったのだろう。


 「……律、顔あげて」


 両頬に手を添えて、そっと顔を上げさせる。目を赤くさせながら泣きじゃくる姿に、どうしたら泣き止んでくれるだろうと考えていた。


 もう律は十分勇気を出してくれた。

 蘭子のために想いを打ち明けてくれたのだから、今度は蘭子が勇気を出さなければいけないのだ。

 涙を指で拭ってから、そのまま彼女の目元を手で覆い隠す。


 ゆっくりと顔を近づけて、何度か味わったことがある彼女の唇に自身のものを押し当てていた。


 ふっくらと柔らかい唇同士を、ただ重ね合わせるだけのキス。時間にすれば僅か数秒であろうに、羞恥心と興奮で胸が苦しくなるのだ。


 「……蘭子…?」

 

 覆っていた手を離せば、あれほど流れていた涙はピタリと止まったようだ。困惑でゆらゆらと揺れている瞳をジッと見つめながら、本当はずっと前から言わなければいけなかった想いを打ち明けた。


 「好き」


 瞬きと同時に、残っていた粒が彼女の瞳から零れ落ちる。

 羞恥心で頬を赤らめながら、噛み締めるようにもう一度想いを口にしていた。

 

 「……律が好きなの」


 軽く唇を噛み締めながら、グッと感情を堪えているようだった。震える手を握り込みながら、律の耳が赤くなっていることに気づく。


 きっと蘭子だって、同じくらい頬を桃色に染め上げてしまっているのだ。



 「……どうして、なんで私なんか…」

 「律のことを知って、好きにならない人なんていないよ……可愛くて、律とだったら恋をしたいと思ったの」


 恥ずかしさではにかみながら、ギュッと体を引き寄せる。力強く彼女を抱きしめながら、あやすように背中をトントンと叩いていた。


 「…もっと早く言えばよかった。テストの結果なんかどうでも良いって…律が好きっていっておけば、こんなに泣かせずに済んだのにね」


 ごめんねと謝れば、律がゆるゆると首を横に振る。こんなに待たせてしまったというのに、本当に律は優しいのだ。


 「……十分、誕生日にずっと好きな人から告白されるなんて…こんな大事なプレゼント他にない」


 あまりに可愛すぎる言葉に、蘭子の方がプレゼントを貰った気分だった。

 ぱっと見分かりづらい彼女の魅力。知れば知るほど、筒井律にのめり込んでいった。


 彼女の魅力を知って、好きにならない方がおかしいのだ。


 「本当に私で良いの?」

 「律がいいの。何度も言わせないで」

 「……そっか…」


 今まで見た中で一番、愛おしげにこちらを見つめながら律が微笑んでみせる。


 こんなに幸せそうな顔を見られるなら、もっと早く伝えればよかった。

 強そうに見えて、案外脆いところもある律が愛おしくて堪らない。


 淡い桃色の恋心がようやく成熟して、好きな人と結ばれることができた喜びに胸を震わせながら、絶対に何があってもこの子を守ろうと胸に誓っていた。

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