第31話
時刻ピッタリにスタートの合図が切られて、問題用紙を捲る。シャープペンシルを持つ力が無意識に強められて、一度落ち着こうと深呼吸をした。
きちんと勉強をしたため、ザッと目を通した所大体の問題が理解出来る。ケアレスミスさえなければ、間違いなく良い点を取れるだろう。
日々の努力の積み重ねが、こうして自信に繋がっているのだ。
「……っ」
斜め向かいで問題用紙と睨めっこをしている律の横顔を盗み見る。真剣な眼差しで、一位を取るために必死に問題と格闘しているようだった。
蘭子との約束のために沢山勉強をして、いまその実力を発揮している時なのだ。
コトンとシャープペンシルを机に置いた時は、まだ時間が15分も残されていた。
周囲からはまだペンを動かす音が聞こえてくるため、慢心せずに見直そうと解答用紙に目を通す。
ほとんどの問題に自信があって、今度こそ一位を取れるかもしれない。
しかし、もし蘭子が律を越えたら、あの約束はなかったことになるのだ。
律が一位だったら付き合うと、2人の間で結んだ約束。半ば強引で一方的な取り付けだったけれど、未だにその約束は取り交わされたままだ。
蘭子が勝てば、この約束はなかったことになる。
「……ッダメだ」
無意識に消しゴムに手を伸ばしそうになって、己を叱咤する。一体何を考えているのだと、愚かな自分の一面に驚かされていた。
あれほど一位に固執して、筒井律に勝とうと10年近く奮闘してきたといつのに、まさか彼女に負かされたいとでも思っているのだろうか。
間違いなく、価値観や感情に変化が現れ始めている。
律のおかげで、強がる鎧を下ろすことが出来たのだ。
数日間に渡るテスト期間を終えて、直感で言えば手応えはあった。どの問題も自信を持って解答することができて、ケアレスミスさえなければ今まで通り良い結果を残すことが出来ているだろう。
想像以上に手応えがあるせいで、もしかしたら今回こそ蘭子が律を越してしまうかもしれない。
長年狙っていた一位の座が掴めるかもしれないというのに、素直に喜べない自分がいた。
律を越したいけれど、越されたくない。
せっかくあんなに勉強したのだから結果を残したいという思いは確かにあるけれど、以前に比べてかなり薄れているのだ。
可愛らしくキュルキュルとした瞳と向かい合いながら、テストの結果が気になって仕方がない。休日に友人である桃宮リリ奈とお茶をしているが、先程からどこか上の空だった。
「それでね、夏は友達とプールに行く予定なの」
彼女が在学する学園も既にテスト期間を終了しているらしく、夏休みを目前に控えて胸を躍らせているようだった。
学校の友人と遊びに行く約束をしているらしく、先程から楽しげに顔を綻ばせている。
「……蘭子は筒井さんと進展あった?」
「え……」
「気になるじゃない、教えてよ」
興味津々と言った様子で、リリ奈が瞳を輝かせている。ここ最近蘭子の心を占めている彼女を思い出しながら、ぽつりぽつりと声を漏らした。
「……明後日のテスト次第で付き合うことになるかもしれない」
「げほっ…え、どういうこと!?」
驚きのあまり飲み物を吹いてしまったようで、苦しげにむせてしまっている。
以前会った際には絶対に有り得ないと否定していた友人の心変わりに、酷く驚いているようだった。
「……前から約束してたの。もしも律がテストで一位だったら、付き合おうって」
「え…なにそれ初耳すぎてびっくりしてる……」
繊細なレースのあしらわれたハンカチで口元を拭きながら、どこか納得したように頷いている。
物事をはっきりと口にするけれど、酷く広い視野を持っている所がリリ奈の良さなのだ。
「……けど、そっか」
優しく撫でられる手つきは、律から与えられるものとは違った。
大切な人を慈しむ感情は十分に伝わって来るけれど、そこから愛情や欲望などは滲んでこない。
「その約束を受け入れてる時点で、もう答え出てるんじゃないの?」
返す言葉がなくて、押し黙ってしまう。正論すぎるリリ奈の言葉がジンと胸に響いていくのを感じていた。
蘭子自身、ずっと考えていたこと。
本当に嫌だったとしたらさっさと断れば良かったというのに、それをしなかった。
期待を孕みながら、自分の心が彼女に傾くことを望んでいたのかもしれない。
明日はとうとう、テスト結果の発表日。
そして律の誕生日を迎えるのだ。
つい話し込んでしまったため、帰宅する頃にはすっかり遅くなってしまっていた。付き人である伊乃には休暇を与えていたため、主人のいない時間を目一杯堪能したようだ。
洗面所で手を洗ってからリビングルームへ向かえば、一つの段ボールを渡される。
「蘭子様、お届けものが届いております」
「……本当?間に合って良かった」
嬉々として開封すれば、中身には注文通りの品物がラッピングをされた状態で入っていた。
日時指定はしていたが、ギリギリだったため届くか不安だったのだ。ネット限定な商品のようで、一目見た時にこれにしようと即決だった。
「……喜ぶと良いですね」
優しい言葉に、頬を緩めながら頷いて見せる。
こんなにも誰かの誕生日プレゼントで悩んだのは、生まれて初めてかもしれない。
喜んでくれるだろうか、本当にこれで良いのだろうかと考えるだけで楽しくて、同時に顔を綻ばせる彼女を想像して胸をときめかせた。
「……よし」
ラッピングされたボックスのリボンをキュッと結び直す。
このプレゼントを渡す時、2人の関係性はどうなっているのだろう。
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