第30話


 幾ら自分の価値観が揺らぎ始めたとはいえ、勉強の手を抜くつもりは毛頭なかった。

 たとえ思いがどうであれ、学生の本分が勉強であることに変わりはない。


 学校のない土曜日の昼下がり、机に向かって長い事ペンを走らせていた。


 「……ちょっと疲れたな」


 テストまで残り1週間しかない。このラストスパートが、結果を大きく左右するのだ。


 疲労から大きく溜息を吐きつつ、伊乃に作ってもらった琥珀糖を口に含んでいた。


 紅茶に溶かして飲むように言われているが、キラキラとした可愛さからついそのままま頬張ってしまうのだ。


 宝石のようにキラキラしていて、着色料でピンクと水色に色付けられていることもあり、蘭子のお気に入りなのだ。


 お代わりをしようと部屋を出れば、丁度私服姿の伊乃と出くわす。


 「蘭子様申し訳ございません、休暇を頂いてしまって」

 「何言ってるの。むしろ伊乃は働き過ぎだよ。もっと休んで良いのに」

 「いえ、それが私の役目ですから」


 普段世話ばかり焼いてくれている彼女だが、蘭子としてはもう少し肩の力を抜いて欲しかった。


 付き人として十分過ぎるほど働いてくれている彼女だからこそ、たまには年相応に無邪気に遊んで欲しい。


 だからこそ、こうしておしゃれをする姿が可愛らしく思えてしまっていた。


 「どこ行くの?デート?」

 「いえ…夢花に誘われて、買い物に付き合ってきます」


 夢花こと、長谷夢花は律の付き人である女子生徒だった。


 蘭子の一つ年上の高校2年生で、可愛らしいルックスと女子力の高さに憧れている。

 たまに顔を見合わせるたびに、付き人として分かり合える部分があったのか最近は親しくしているようだった。


 「長谷さんと?夏服買うの?」

 「いえ、筒井様の誕生日プレゼントを」

 「へえー…律の……え、律の!?」


 初めて聞く話に目を見開けば、同じくらい律も驚いているようだった。

 まさか知らなかったのかと彼女の瞳が語っていて、気まずさからつい逸らしてしまう。


 もうすぐ自分の誕生日だと、律は一言も口にせず教えてくれなかったのだ。


 「聞いてないのですか…?」

 「そ、それは……」

 「友達の誕生日なのに…」


 至極真っ当な返事をされて、居た堪れなさを覚えてしまう。仲の良い相手の誕生日を知らずに、スルーしてしまうところだったのだ。


 「いつなの…」

 「7月24日だそうです」

 「終業式と同じ日…」


 どうして律は教えてくれなかったのだろうと思うが、彼女の性格からして自ら誕生日を言ってくるタイプではないだろう。


 それどころか本人が特別な日と認識していない可能性すらある。

 

 凹む主人をスルーして、伊乃はいそいそと身支度を整えてしまう。

  

 「では、行って参りますので」

 「気をつけて……」


 ガチャンと扉が閉まる音が聞こえて来るのと同時に、ソファへと雪崩れ込む。


 クッションを両手に抱えてから、柔らかいそれに顔を埋めていた。


 「〜ッ知らなかった!」


 何も知らなかった自分への怒りと、教えてくれなかった律に対して寂しさが込み上げて来るのだ。


 どうして教えてくれないのだろう。

 蘭子のことが好きなら「祝ってくれ」と一言でも言ってくれれば、精一杯喜ばせるための努力をするというのに。


 その日は空いているため、誘ってさえくれたら一緒に誕生日を過ごせるのだ。


 「……っ何か欲しいものあるのかな」


 必死に頭を捻らせるが、思い浮かんでくるのは甘いスイーツばかりだった。

 自分の食べたいものしか案が出て来ず、仕方なくノロノロとソファから立ち上がる。


 ラッピング袋に伊乃が作ったキラキラな琥珀等を詰めて、もうすぐ誕生日を迎えるあの子の部屋まで足を進めていた。


 トントンとノックをすれば、返事をするよりも早く扉が開く。


 「どうかしたの?」

 「……これ、お裾分け」


 可愛らしいピンク色のラッピング袋を渡しながら、自分の不器用さに呆れていた。

 こんな言い訳を作らなくても、素直に聞けば良いというのに、回りくどい理由付けをしてしまうのだ。


 「蘭子は勉強してたの?」

 「もう来週だからね」

 「偉いね」


 良い子と頭を撫でられるだけで、身体中の体温が一気に上がるような気がした。

 頬が火照ってしまいそうで、それを必死に堪えていた。


 「……約束覚えてる?」

 「……ッ」

 「そのために1位になりたいの」


 真剣な瞳と交わって、キュッと胸が切なくなる。

 一位になんてならなくても、もう一度あの言葉を吐いてくれたら。


 熱い想いをそのままにぶつけてくれたら、また違う答えを導き出すかもしれないのに。


 顔を俯かせて、顔を見られないように必死だった。

 自然と頬がピンク色に染まり始めるのを自分でも感じる。


 言いようのない何かが込み上げて、キュンと胸が切ない痛みを上げるのだ。


 「……律」


 中途半端に口を開いて、キュッと引き結んでしまう。

 勝手に口から想いが溢れ出してしまいそうで、慌てて飲み込んでから違う言葉を吐き出すのだ。


 「誕生日だってどうして教えてくれなかったの」

 「それは……自分で言うのも変だし、第一蘭子は興味ないかなって…」

 「決めつけないでよ」


 咄嗟に彼女の手を取ったことを後悔するよりも、温もりに触れられる喜びの方が優っていた。


 蘭子の手よりも少し大きい手を、力を込めて握り込む。

 

 「……私は」


 たとえ律が一位じゃなくても構わない。

 自分が一位を取れなかったとしても、ありのままに受け止められる強さが芽生え始めている。


 今までは一位を取ることでしか意味を見出せなかったけれど、律のおかげで変われたのだ。


 成績を残さないと周囲から認めてもらえないだなんて、そんな悲しい事は思わない。

 彼女の真っ直ぐな想いが、少しずつ蘭子を溶かしてくれたのだ。


 「……蘭子、頬赤い」


 きっと酷く物欲しそうな目で彼女を見つめてしまっているだろう。

 頬が赤いのも、胸が鳴るのも全て律のせいだというのに。


 胸が甘くて、あまりの甘ったるさにクラクラしてしまいそうだった。

 先ほど口にした琥珀糖より余程糖度が高いこの想いは、すべて彼女に触れてしまったせいで芽生えたのだ。

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