第23話


 窓の外からは雨がポツポツと降り注ぐ音が聞こえてきて、気づいた頃には辺りはすっかり暗闇に包まれていた。

 長い間図書室に篭っていたが、結局勉強はちっとも捗っていない。


 真っ直ぐに寮の自室へ戻る気になれずにこの場所へ来たのは良いものの、ただひたすらに長い時間が経過してしまった。

 

 これでは次のテストも律に負けてしまうだろう。

 今度こそ一位を取りたいのだ。初等部の頃から何度も挑戦してきた、蘭子にとっての課題。


 万年2位を脱却して、あの子を越えたい。

 一位という座を得て、ようやく何かが満たされるはずなのだ。


 もし、越えなければ蘭子は律と付き合わなければいけない。売り言葉に買い言葉を返して、約束の日まで刻々と近づいている。


 「…ッ」


 シャーペンを持つ手に力が入って、ポキッと芯が折れてしまう。

 あちらが一方的に取り付けて来た約束で、そんなもの気にせずに勉強をすれば良いと思っていた。


 勉強をして、結果さえ残せば何も問題はないと。


 相手にしなければいいのに、律の蘭子への想いが真剣だと知ってしまったからこそ、こんなにも惑わされてしまっている。


 「……何してるんだろう」


 この調子ではまた万年2位をキープしてしまうことになる。何とか気を持ち直そうとするが、やはり集中出来そうもなく、荷物を片し始めた時だった。


 ガラリと扉が開いて、蘭子以外誰もいなかった図書室に1人の女子生徒が入ってくる。

 

 目の前に影が差し掛かって顔を上げれば、そこにいたのは蘭子の心を支配している彼女だった。


 「……蘭子」


 貸し借り用カウンターの明かりだけがついた室内は薄暗く、影になっているせいで律の表情がよく分からない。


 彼女の考えが読めないまま、向き合っていた。


 「なに」

 「……お見合いするって本当?」

 「お見合いっていうか……まあ、とりあえず会うだけで将来的に結婚するかは分からないし……」

 「嫌だ」


 グッと顔を近づけられて、律の瞳が酷く寂しげに揺れていることに気づいた。

 肩を引き寄せられて、力強く抱きしめられる。伝わってくる体温と体の柔らかさに、一気に体に熱が熱っていくのを感じていた。


 コテンと額を肩に擦り付けられて、苦しげな声を漏らすのだ。


 「……行って欲しくない」

 「律……」

 「お見合いしないで……私のこと、好きになって」


 至近距離で顔を見合わせながら、改めて彼女の美しさを痛感していた。

 美人で綺麗なのに、笑うと可愛くて。


 様々な彼女の一面を知るたびに、もっと、もっとと更に欲が出るようになった。


 逸らすことが出来ずにジッと見つめ合いながら、少しずつ彼女の唇が近づいてくることに気づいた。


 初めてキスされた時はあんなにも恥じらっていたと言うのに、いまはキスをする雰囲気まで察してしまう。


 付き合ってもない、好きでもない相手とのキス。跳ね除けるなんて選択肢はとうの昔に捨て去っていて、当然のように柔らかい唇を受け入れてしまうのだ。


 「ンッ……」


 柔らかいそれが唇に触れて、一度軽く押しつけられてからすぐに離れていく。

 角度を変えてから再びキスを落とされて、それを何度か繰り返してから唇を舌先で舐められる。


 「…ッ、ぁ」


 引き結ばれていた唇の割れ目をチロチロとなぞられて、彼女の意図を察してしまう。


 両手で彼女を押し返せば、酷く軽い力だというのにあっさりと離れていった。


 「……っ、それはダメ」

 「どうして」

 「付き合ってない人と、そういうキスしないよ」

 「じゃあ、付き合って」


 ちっとも会話になっておらず、律の焦りが伝わってくる。


 いつにも増して余裕がなく、氷の女王と謳われていたポーカーフェイスな彼女の面影はどこにもない。


 頬に手を添えられながら、耳元で苦しげに囁かれる。


 「……蘭子を他の人に取られたくない」


 どう返せば良いのか。

 何と答えるのが正解なのか。


 グッと押し黙っていれば、暗がりに包まれていた室内がパッと明るくなる。

 慌てて律から離れれば、入り口付近に見回りの警備員が立っていることに気づいた。


 「あなたたち、もう消灯の時間ですよ」

 「すみません…」

 「……返事はまだ良いから」


 こちらを見ずに、スタスタと去って行く彼女の背中をじっと見つめる。

 決して生半可な気持ちではなくて、律はかなり重度の恋心を蘭子に対して抱いてくれているのだ。


 「……っ」


 人差し指で唇に触れて、先程の柔らかい舌先の感触を思い出す。


 ちっとも嫌じゃなかった。

 あんなところを舐められても嫌じゃなくて、むしろドキドキして。

 勇気を出して唇を開けばさらに彼女の熱を感じられたのだろうかと、そんなはしたない想いに駆られてしまうのだ。

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