第19話

 

 午前中には学園に到着したからと言って、時間を無駄にするほど愚かではない。

 シンプルな部屋着に着替えてからすぐに勉強机に向かった蘭子は、いつも通り勉学に励むのだ。


 あと1ヶ月もすればまた期末テストが控えている。今度こそ学年一位を取るために、僅かな時間も有効活用しなくてはならないのだ。


 必死にペンを動かしていれば、制服姿の伊乃が部屋に入ってくる。

 学校が終わってからすぐに、彼女が着替えもせずに蘭子に声を掛けることは滅多にないのだ。


 「どうしたの?」

 「お嬢様、至急お出かけの準備を」

 「え……」

 「旦那様と奥様がお呼びです」


 滅多にない両親からの呼び出しに、驚いて飛び上がる。

 口角を上げながら溢れ落とすせいか、勝手に声が弾んでしまっていた。


 「私を!?杏斗あんとではなくて?」

 「はい、蘭子様をです」


 両親は8歳年下の弟、杏斗にかまってばかりで、蘭子は何かと後回しされることが多いのだ。


 まだ甘えたいばかりの弟を優先して、気づけば我慢してばかりいる。そんな2人が蘭子を呼び出しているという事実に、胸を躍らせてしまうのは当然だろう。


 シャープペンシルを放って、クローゼットの中からお気に入りのワンピースを幾つか引っ張り出す。


 「この時間だと外食かな?どのワンピース着て行こう…」

 「ご自宅に来るように申しつけられておりますので、服装はあまり気になさらなくてよろしいかと」

 「家でご夕食?でもお父様とお母様とお食事が出来るなら十分だわ。色々話したいもの」


 既に車は手配しているようで、身なりを整えてから伊乃と共に学園寮を出る。

 運転手に扉を開けてもらって、座席に腰を掛けてからも蘭子は上機嫌で伊乃に話し掛けていた。


 両親は忙しい故に、中々会えないのだ。平日はもちろん、休日だって働き詰めの2人に我儘なんて言えるはずない。


 「お父様、一体何のようなのかしら。もしかしてこの前のスピーチコンテストで2位を取ったこと…?それともボランティアで表彰をされた時……」

 「蘭子様」


 ニコニコと笑みを浮かべる蘭子とは対照的に、伊乃はどこか真剣な顔立ちをしていた。

 言いづらそうに言葉を詰まらて、罪悪感のようなものが伝わってくる。


 「……申し訳ございません」

 「なにが?」

 「……本当は知っていたのです。どうしてご主人様が蘭子様をお呼びしたのか」


 ギュッと目を瞑って、一度生唾を飲んでから、

意を決した様子で伊乃が言葉を続ける。


 「旦那様と奥様は蘭子様にお見合いをさせるつもりです」

 「は…?」


 一体何を言っているのか、口をあんぐりと開けながら彼女の言葉をゆっくりと噛み砕く。


 「お見合い……?」


 ようやくことの重大さに気づいて、込み上げてきたのは焦りに近い感情だった。

 お見合いと言われて瞬時に思い浮かんだ彼女の存在。

 

 どうしていまあの子を思い出してしまったのか、戸惑う蘭子を連れて無常にも車は走り出してしまったのだ。

 



 思い返してみればいつもこうだった。

 学校行事はいつも欠席で、家族みんなでどこかへ行った記憶も殆どない。


 久々の再会だというのに、両親は慌ただしく動き回っていた。

 蘭子が部屋に入れば、一度手の動きを止めてくれるのがせめてもの幸いだろう。


 「ただいま帰りました」

 「おかえりなさい、蘭子。呼び出しといて悪いんだけど、これからまた出掛けないといけないんだ」

 「いえ……」


 父親からぽんぽんと頭を撫でられて、懐かしさが込み上げる。

 幼い頃はこの手つきが好きだった。


 成長と共に両親の興味は蘭子から杏斗へと移り変わっていってしまったため、こんな風に頭を撫でてもらうのは久しぶりかもしれない。


 「詳しくは伊乃に話してあるんだけど、蘭子ももう16歳だからそろそろ良い人見つけて欲しいなと思って」


 少女のように無邪気に微笑む母親は、娘の蘭子から見ても綺麗で可愛らしい。

 蘭子が自分の身なりに気を遣って、女の子らしくあろうとするのは間違いなく母親の影響だ。


 「何人かリストアップしてあるから、今度会ってみてね」

 「……えっと…お夕食は…」

 「ごめんね、もう行かなきゃなの。シンガポールのお土産、蘭子にも買ってくるからね」

 「お仕事ですから、気は使わないでください」


 2人とも仕事に一生懸命なことをよく知っているから、それ以上は何も言えなかった。


 年がら年中世界を飛び回って、会社のために奮闘している彼らのことは心の底から尊敬している。


 「行ってらっしゃい」

 「行ってきます、明日も学校なのに呼び出してごめんね」


 名残惜しそうに強い力でハグをしてから、バタバタと出掛けていく2人を見送る。

 広い室内にポツンと残されて、何ともいえない気持ちでお気に入りのワンピースをギュッと握っていた。


 皺になってしまうと慌てて手を離すが、ため息を吐く気にもなれない。

 

 「蘭子様……」


 普段散々世話になっている彼女に心配を掛けないように、強がった笑みを浮かべる。自分では上手く繕っているつもりでも、依然として伊乃の表情は変わらない。


 「早く帰ろう」

 「ですが……」

 「杏斗も今日は英会話教室で遅いから…ここで一人で待っていてもつまらないよ」


 気にしていないふりをして明るく振る舞っているけれど、彼女にはどんな風に写っているのだろうか。


 痛々しく笑みを浮かべて、我慢をすることだって慣れているはずなのに、どうしてか胸がチクチクと嫌な痛みを上げるのだ。


 帰りの車内にて、ぼんやりと外の景色を眺めていた。両親に手を繋いでもらって歩く子供の姿や、仲睦まじく歩いている夫婦の姿をジッと見つめてしまう。


 きっとあれがごく普通の一般家庭の姿なのだろう。


 「申し訳ございません、黙っていて…」

 「いいの。それで、相手はどんな人なの」

 「お見合いを受けるのですか…?」


 狼狽える彼女を前にして、蘭子も戸惑ってしまう。いつもポーカーフェイスで淡々と業務をこなしている伊乃にしては珍しく、口元を震わせていた。


 「え……」

 「いえ……蘭子様がよろしいなら構わないのですが…」


 タブレットを渡されて、まるで履歴書のように纏められた相手の情報を冷え込んだ心で見つめていた。


 どこも央咲家としても繋がりを強くしたい企業の御子息ばかりで、所詮は政略結婚かと冷静に受け入れる。


 分かりきっていたのにどこか胸がチクチクするのは、両親とご飯を食べられなかったことだけが理由ではないような気がした。

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