第18話


 どちらかが離そうと言い出せば、この手の温もりとおさらばしなくてはならない。離すタイミングは何度もあったはずなのに、あえて気づかぬふりをしていた。


 ゆっくりとした足取りで、ホテルまでの道を手を繋いで歩いていた。通常のスピードで歩いていれば、もうとっくに到着しているだろうに。

 

 泣き顔を見られたというのに、不思議と弱みを握られたような気はしなかった。

 こそばゆさを感じていれば、律が口を開いたことで続いていた沈黙が終わりを告げる。


 「蘭子が泣いてる所初めて見た」

 「……ッ言いふらしたら怒るから」

 「いうわけないでしょ」


 下ろしていた長い髪を、優しい手つきで耳に掛けられる。

 露わになった耳たぶに顔を近づけられて、そのままリップ音をさせながら口づけを落とされた。


 「…私しか知らない姿だもん。独り占めさせて」


 今までだったらきっと、必死に噛み付いていた彼女からのスキンシップを受け入れ始めている自分がいる。


 拒否反応よりも擽ったさの方が大きくて、律に触れられると体に熱が灯るのだ。


 それがどうしてなのかまだ分からないけれど、以前とは違う感情を、筒井律に対して抱いているのは確かだった。


 「もうすぐ着くね…」


 ようやくエントランスが見えてきて、名残惜しく思いながら手を離そうとするが、ギュッと握り込まれて離して貰えない。


 「ちょっと…」

 「なに」

 「手放さないと怪しまれる」


 だから離してと言っても、律は得意げに笑うだけで手を解こうとしなかった。

 手のひらにキスをされて、そこから伝わる熱と柔らかさにまた心が乱される。


 「見せつけてやれば?」

 「……変なこと言わないで!」


 いつものように噛み付けば、安心したように律が優しい笑みを浮かべる。ホッとした様子で、込められていた力を解かれていた。


 温もりが離れた手が、どうしてか寂しく感じてしまう。


 きっと彼女は蘭子の性格をよく分かっているのだろう。下手な励ましを素直に受け入れられる女の子ではないと分かっているから、こうして揶揄いながらいつものペースを取り戻させてくれたのだ。

   

 元気付けるために、わざと揶揄うような言葉を掛けてくれた。


 本当にこの子は知れば知るほど魅力的で、新たな一面を知るたびに後戻りが出来なくなっているような気がしてしまうのだ。





 蘭子自慢のツインテールは、伊乃によって絶妙に巻いてもらう必要があるのだ。

 自分でやろうか悩んだが、たまにはと髪の毛を下ろしたまま集合場所であるホテルのエントランスへ向かっていた。


 しっかりとブローをしたためサラサラで、手触りの良い状態に満足する。普段入念に手入れをしているおかげで、この髪質を維持することが出来ているのだ。


 この日はバスに乗って学園に帰ればそのまま解散なため、気楽な想いで集合場所にて佇んでいれば、背後から勢いよく抱きしめられる。


 「ごめんなさい、蘭子ちゃん…!」


 申し訳なさそうに紡ぎ出される声は、小柄で可愛い小動物のようなあの子だった。

 自らも被害者だというのに、必死に謝ってくるところが彼女らしい。


 「私が騙されたせいで夜に出歩かせちゃって…」


 酷く申し訳なさそうなひなを慰めるように、トントンと頭を撫でてあげる。

 今回の件で、余計な罪悪感などは抱いて欲しくなかった。


 「気にしないで?ひなが無事で本当に良かった」

 

 そっと微笑みかければ、ひなが泣きそうに顔を歪めながらコクコクと頷いて見せる。

 それ以上罪悪感を抱えて欲しくなくて、半ば強引に話題を変えた。

 

 「ひな、前髪巻いてないといつもより清楚だね」

 「ありがとう…蘭子ちゃんもなんだか今日、大人っぽいね」

 「そう?」

 「髪の毛結んでないからかな?そっちも可愛い」


 高い位置でのツインテールも気に入っているけれど、そんな風に褒めてもらえるならたまには降ろすのも悪くないかもしれない。


 集合時刻を迎えて出席番号順に数列に分かれて並んでいれば、斜め後ろから律に声を掛けられる。

 耳元で囁かれる声は酷く小さくて、こっそりと内緒話をするようだった。


 「なんだ、降ろしてるの?」

 「どういうこと」

 「昨日の夜、降ろしてる所見られてラッキーって思ってたのに」


 蘭子の髪型ひとつで一喜一憂するのなんて、この人くらいだろう。だけどそんな些細なことに気づいて心を弾ませている姿に、可愛いと思ってしまうのも事実なのだ。


 あれほどライバル視していたというのに、知れば知るほど筒井律についてもっと知りたいと思ってしまう。


 時々胸がくすぐったくて、だけど不思議と嫌ではなくて。


 一体この子は何なのだろう。蘭子の中で、彼女をどういう位置に付ければ良いのか分からないのだ。

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