第17話


 いくら心情が掻き乱されているとはいえ、一人で山奥へ入っていけばどうなるかくらい理解出来る。


 行方不明者を増やさないためにも、ホテルの周辺をぐるりと回っていた。


 「ひな、いるの?」


 声を上げながら必死にひなを探すが、返事は一向にない。土地勘もあまりないせいで、呼び出される場所の候補すら浮かんでこないのだ。


 途方に暮れてため息を吐いていれば、遠くから轟音が聞こえてきて肩を跳ねさせる。


 「……っびっくりした…雷…?」


 天気予報で散々大雨だと予報していた通り、パラパラと雨粒が降り注ぎ始める。

 最初は小雨だったそれはどんどん激しさを増して、雨宿りをしようとすぐ側にあったテラス付きの休憩スペースへと逃げ込んだ。


 散歩中などに休める憩いの場として使われているのだろうが、夜で人気のないこともあって薄らぼんやりとしている。


 早くあの子を探し出したい所だが、すっかり足止めを食らってしまったのだ。


 ホテル付近の自然公園内のため、スマートフォンを確認すればまだ電波は届いているようだった。


 「……大丈夫なのかな、ひな」


 心配で不安に駆られていれば、スマートフォンの画面に律から着信がかかって来る。

 すぐに電話に出れば、先ほどに比べて落ち着きを取り戻した声色が聞こえて来た。

 

 「もしもし?」

 『蘭子?ひな戻ってきた。やっぱり悪戯だったみたいで、呼び出された場所に行ったら誰もいないから戻ってきたんだって』


 彼女が無事であった事を聞かされて、体から一気に力が抜けていく。万が一酷い目にでも遭っていたらどうしようと、道中心配で堪らなかったのだ。

 嘘をついた生徒のことは根掘り葉掘り聞きだして、絶対にそれ相応の罰を受けてもらおうと胸に誓う。


 「……っくしゅ」


 冷え込んでいることもあって、咄嗟にくしゃみをすれば、機械越しに心配そうな声で尋ねられた。


 『もしかしてまだ外にいる?』

 「けど自然公園の中だから。屋根がある休憩所見つけたから、雨が止んだらすぐに戻る」


 数秒ほど沈黙が続いた後、声を発したのは彼女の方だ。


 『それって入口奥の、右側にあった…遊具とかがあった所の近く?』

 「遊具…?」


 キョロキョロと辺りを見渡せば、隅っこのスペースに子供用ブランコやシーソーなどを見つける。

 「そうだよ」と返事をすれば、そのまますぐに通話を切られてしまった。


 「何なの…?」


 訳がわからずに小首を傾げてから、二人掛けの低いベンチに腰を掛ける。


 田舎町でひどく静かなせいか、この世界で自分一人だけのような錯覚を起こしていた。夜の公園に一人できたのは、もしかしたら生まれて初めてかもしれない。


 パラパラと葉っぱと雨がぶつかる音。雫が地面に打ちつける音。屋根に当たる音とどれも違って、つい目を瞑って聞き入ってしまう。


 肩の力を抜いてリラックスしていれば、息を乱した彼女の声が鼓膜を擽った。


 「蘭子」


 驚いて顔をあげれば、そこには額に汗を滲ませた律の姿があった。

 走って来たのか呼吸は荒く、スニーカーの踵は履き潰してしまっている。


 「なんで……」

 「朝まで降る予定だったから、傘持ってきた」


 そう言っている彼女の手に、傘は一本しか握られていない。

 戻る時、同じ傘に入って雨をしのがなくてはいけないだろう。


 呼吸を整えるため、律は蘭子のすぐ隣に腰を掛けた。

 

 「……ありがとう」

 「こちらこそ探すの手伝ってくれてありがとね。先生に報告して、いま嘘ついた子こっ酷く叱られてるから」


 こんな土地勘のない暗闇に、嘘をついて呼び出したのだから怒られて当然だろう。それ相応の罰を受けて、大切な友達の無事が分かってホッとしてしまう。


 「……これ、冷えてるかと思って」


 優しく肩に掛けられたのは、柔らかい質感のブランケットだった。

 

 可愛らしい水玉模様で、お礼を言いながらそっと包まる。こんな可愛らしい柄を購入する女の子らしい一面もあるのかと、また新たな発見に喜んでいる自分がいた。


 「……暗い所、怖くないの?」

 「え……」


 不安げに揺れた瞳で、律が身を縮こまらせている。彼女らしからぬ表情に、もしやとある可能性が思い浮かんだ。


 「もしかして律は苦手…?」

 「苦手っていうか…お化けとかでたら嫌だなって…」


 あの筒井律がおばけに怖がっているなんて、きっと学園中の生徒が驚くだろう。

 怖いものなんてひとつもないと言うふうに澄ましていた律の意外な弱点。


 「おばけ苦手なの?」

 「苦手っていうか嫌い」

 「意外!」


 限られた人でなければ知らないであろう事実に、無意識に声が弾んでしまう。

 それを揶揄いと捉えたのか、律はいじけるように唇を尖らせていた。


 「呆れたでしょ。高校生にもなってお化けが怖いとか……」

 「それよりもなんか、嬉しい。そんな一面あるなんて知らなかったから…」


 彼女の新たな一面を知れてはしゃいでいるなんて、今までの蘭子だったら考えられなかっただろう。


 自分で言っておいて、ジワジワと恥ずかしさが込み上げてくる。


 「……ごめん、変なこと言って」


 恐怖の中迎えに来てくれたというのに、今のリアクションは失礼だったかもしれない。

 必死に耐えて、律は蘭子を迎えに来てくれたのだ。


 「……ッ」


 自分のために振り絞ってくれた勇気に、ときめいてしまうのは当然だろう。


 怖いだろうに蘭子のために迎えに来てくれたという、たったそれだけの事実に胸が弾むのだ。


 「……どうして律は私のことが好きなの」


 初めて想いを打ち明けられた時から、気になっていたこと。

 今までずっとライバル視していた彼女がどうして蘭子に恋心を抱いているのか、知りたいと思ったのだ。


 スッと鼻筋の通った、綺麗な横顔をジッと見つめる。

 氷のように凍てついているとばかり思っていた彼女も、実は普通の女の子で可愛らしい一面が沢山あった。


 一瞬でも気を抜けば引き込まれてしまいそうなほど魅力的な女性だと、そう思い始めている自分がいる。


 「可愛いから」

 「見た目が?」

 「それもそうだけど……一生懸命な所が」


 紡ぎ出される言葉に、ジッと耳を傾ける。面と向かって想いを告げるのは恥ずかしいのか、彼女の横顔はじんわりとピンク色に染まっていた。


 「勉強も、運動も…得意だけどめちゃくちゃ才能があるわけじゃない。それでも一生懸命に努力して、人望も厚い所が格好いいってずっと思ってた」


 吐露される想いを真正面から受け止められるほど、蘭子はまだ大人ではないのかもしれない。

 目線は彼女からスニーカーの爪先部分へと移って、恥じらいを必死に押さえ込もうとしていた。


 「……ッ」


 僅かに震えた律の指先。

 寒いのか、暗闇が怖いのか。

 それとも緊張しているのだろうかと、気づけばそっと手を伸ばして包み込むように握り込んでいた。


 触れた手の甲からは温かい熱が伝わってきて、冷え込んでいるわけではないのだとホッとしてしまう。


 「え…」

 「いいから、続けて」


 辺りがぼんやりと薄暗い事を、これ程までに感謝することはこの先もう二度とないかもしれない。

 耳が赤いことに気づかれたら、きっとまた冷やかされてしまうだろうから。


 「……中等部の頃、私がクラスで浮いてた時…蘭子が私を輪に入れようと必死になってたことも知ってる」


 あれは確か中学2年生の頃。同じクラスだった2人は当然仲睦まじく会話をするような仲ではなかった。


 クラスメイトの中には優秀で無愛想な律に対して良い感情を抱いていない生徒が一定数いて、蘭子は彼女が孤立しないように必死だった。


 当時学級委員長を務めていたため、律が浮かないようにとサポートに回っていたのだ。


 「中学3年生で文化祭委員を蘭子がやってた時も、誰よりも遅くまで校舎に残って頑張ってたことも知ってる」


 手を握る力が、無意識にギュッと強められる。

 キュッと胸が締め付けられて、言いようのない何かが込み上げて来るのを感じていた。


 「クラスメイトが入院した時も、その子が授業に遅れないように内容をノートに纏めてあげてたでしょう」


 下唇を噛み締めて、それ以上感情が揺さぶられないように必死だった。平常心を保とうにも、どんどん胸の音が大きくなってしまうのを止められない。


 「何が好きか、いつがきっかけかって聞かれると難しいけど…そういう頑張り屋さんで優しい所が好きなの。努力家で…一生懸命な蘭子が好き」


 瞬きをするのと同時に、勝手に瞳から雫が零れ落ちていく。抑えようにも我慢が効かず、次々と涙が溢れていくのだ。


 こちらの変化に気づいた彼女が、珍しく慌てた様子で背中をさすってくれる。


 「ら、蘭子!?どうかし……ッ」


 華奢な肩を抱き寄せて、精一杯に力を込めて抱きしめる。胸元に顔を埋めれば、お風呂上がりなのかふんわりと石鹸の香りがした。


 蘭子のお気に入りの香水の香りも、お風呂で流されてしまっているだろう。

 お互いが自然な香りを纏った状態で、心の内を曝け出しているのだ。


 「……ッ」


 堪らなく胸が熱くなって、身体中が火照ってしまっているだろう。

 嬉しかったのだ。

 央咲蘭子は2位が当たり前。

 優等生として、完璧に何でも出来るのが当然として、学校は勿論家庭内でも演じてきた。


 だからこそそれが当たり前ではないと、凄いことなのだと褒めてもらえたことが嬉しくて仕方なかったのだ。


 「……蘭子」


 名前を呼ばれながら、遠慮がちに背中に腕が回される。

 トントンと背中を叩かれながら、その心地よさに心が解されていくのを感じていた。

 あれほどライバル視していた彼女の前で弱いところを見せられた理由は、考える必要もないだろう。


 長年満たされなかった何かを、律が優しく注いでくれているのだ。

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