第15話
酷く当然なことを、蘭子はすっかりと忘れていた。少し考えてみれば簡単なことだったというのに、どうしてその可能性に気づかなかったのだろう。
お昼休みを告げるチャイムと共に嬉々として屋上へ向かって、扉を開けた先にいたのはひなだけではなかった。
いつも行動を共にしている律の姿もそこにはあって、ひなと共にお昼を食べるということは、二人の間にお邪魔させてもらう事になるのだ。
3人で縁になって座りながら、チラリと律の姿を盗み見る。
こちらのことなんてちっとも気にしていないような澄まし顔をしているが、昨日はあんなに熱い視線を向けてきたのだ。
「じゃあ、食べよっか」
手を合わせてから、ひながお弁当箱の蓋を開けてくれる。一人分しかないそれは、小さめのボックスに綺麗に収められていた。
綺麗に巻かれた卵焼きや、フレッシュな生トマトではなくて、冷凍食品である唐揚げを渡された箸を使って頬張った。
「……〜っ、美味しい!」
冷めているというのに、ジューシーで酷く美味しいのだ。噛み締めるたびに肉汁がじゅわりと溢れ出て、その美味しさに舌鼓してしまう。
目を輝かせながら冷凍食品の美味しさに感動していれば、隣にいた律がクスリと笑っている事に気づいた。
馬鹿にしている訳ではないと分かっているが、子供っぽい所を見られて気恥ずかしいのだ。
「そんなに食べてみたかったの?」
「別にいいでしょ、憧れてたんだから」
彼女がクスリと笑って見せるだけで、胸がじんわりと暖かくて、同時に擽ったくて。
今まで抱いたことのない心情の変化に、恥じらいを覚えてしまう。
「良かったら、それ全部食べていいよ」
「だめよ、そしたらひなは何食べるの」
「じゃん、みてこれ」
大切そうに彼女が両手で抱えているのは、食堂で使える無料チケットだった。好きなランチセットを一点選べるもので、嬉しそうにニコニコしている。
「律ちゃんが余ってるからってくれたので、今日は贅沢して来ます」
足早に彼女が屋上を後にしたことで、必然的に屋上には律と二人きりになる。
まだ梅雨の時期だというのに、先ほどに比べて体温が上がっていくのを感じていた。
夢中になるあまり、肩が今にも触れてしまいそうな距離まで近づいている事にも気づかなかったのだ。
「これも食べてみる?」
「メロンパンだ…」
グラニュー糖がふんだんにあしらわれたメロンパン。甘いものは好きなため、ゴクリと生唾を飲んでから大口で頬張る。
側の表面がカリカリとしていて、中身のフワフワな食感との対比が良い。
「蘭子って意外と子供舌なんだね」
「……伊乃には黙っててよ」
「藤原さん…?どうして」
「一生懸命作ってくれてるのに、冷凍食品も同じくらい喜んで食べてるなんて申し訳ないから…」
そっと優しく触れた手は、蘭子の髪を愛おしそうに撫でてくるのだ。
これまで知らなかった表情が、どんどん当たり前のものになって、至近距離で見つめられる特別感に慣れ始めている。
「蘭子は優しいね」
筒井律という存在が、蘭子の中で日に日に大きくなっているのだ。
恥ずかしくてくすぐったいのに、その感覚に喜びを覚えてしまっていてる。
「私は蘭子のそういうところ好きだよ」
嘘も偽りもない、真っ直ぐとした瞳。
じっと見つめれば、逸らすことなく見つめ返してくれた。
「この学園はお金を持っていない人を馬鹿にする子も少なくないから…自分の目で、体験を通して物事を判断する蘭子は格好良いと思う」
口元に手を伸ばされて、人差し指と親指で何かを取ってくれる。
「ここ、付いてる」
そのまま自然に自分の口元まで、メロンパンのパンクズを運んでいた。
きっと、彼女にとっては特別ではない普通の仕草なのだ。
だけどこの前見た時、僅かに憧れていたから。
取ってもらうひなを、羨ましく見つめてしまっていたから。
そんな些細な仕草に、こんなにも胸をときめかせている。
ジッと目を見つめていれば、僅かだけど彼女の瞳の色が変わったような気がした。
顔をゆっくりと近づけられて、背ければいいのに顔を向かい合わせたまま、目すら逸らせずに彼女に囚われる。
瞼を閉じれば、心臓の音が更に大きくなっているような感覚に襲われる。
彼女の吐息が唇に触れて、いくら経験のない蘭子だって何をされるか分かっていたというのに、跳ね除けなかった。
柔らかいもの同士がピタリと触れ合っても、酔いしれるように彼女にしだれかかったのだ。
「……ッ」
すぐ離れると思ったのに、一度離れてからまたすぐに重ねられて。
今度は角度を変えながらもう一度重ねられて、軽く吸い付くようにリップ音をさせてから離れていく。
きっとひどく期待をした目で、筒井律を見つめてしまっている。
「……休み時間なくなるよ」
「そ、そうだね」
この場で恋心を抱いているのは彼女の方なはずなのに、蘭子の方がよほど狼狽えていた。
キスをした後だというのに態度が全く変わらない。てっきりまた愛の言葉を囁いてくるかと思ったのに。
あんなに美味しいと思っていたひなお手製のお弁当が、一気に味がよくわからなくなる。
隣にいる彼女が気になるあまり、味わう余裕がなくなっているとでもいうのだろうか。
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