第13話


 ストラップ付きのミュールをコツンと鳴らしてから、ゆっくりと振り返る。喫茶店を出てからどうするか、何も決めていないのだ。


 時刻はもう夕暮れ時なため、このまま解散したとしても不思議ではない。


 「央咲さん」


 転校生である彼女も蘭子を下の名前で呼ぶようになったため、そんな風に呼ぶのはもう筒井律しかいない。


 結局喫茶店ではリリ奈とひなが喋ってばかりいたため、全然喋れなかったのだ。

 勿論二人の仲はちっとも縮まっておらず、お互い相槌を打ってばかりで自己主張は殆どしていない。


 「なに」

 「向こうに央咲さんが好きだって言ってたキャラクターのグッズ売ってた」

 「え……」


 行こうと誘いながら、彼女の足はすでに歩み出していた。腕を掴まれたせいで、蘭子も半ば強制的に足を踏み出す。


 慌てて振り返れば、こちらに向かって手を振る二人の姿があった。


 「行って来なよ。私はひなちゃんともう一軒お茶してくるから」

 「また学校でね、蘭子ちゃん」


 楽しげに次はどこへ行こうかとはしゃいでいる二人と、反対方向へ向かっていく。


 ローヒールを履いているため、律との身長差が縮まっている。普段より近いところにある彼女の横顔を見つめながら、あえてリリ奈が二人きりにしようとしていた事に気づいた。


 「……っ」

 

 どこか気まずくて、胸がくすぐったくなる。

 休みの日に二人で学園外を歩いているなんて、不思議な感じがした。


 筒井律は蘭子が好きで、だけど側から見たらひなを好きなように見えて。

 そんな彼女とどのように関係を縮めていけば良いのか、そもそも縮める必要があるのかどうかもよく分からないのだ。


 「……あれ?」


 いつまで経っても、律の言っていたキャラクターショップには辿り着く気配がない。どんどん閑静な住宅街へと進んでいて、ふとある疑問が浮かんできた。


 「……そう言えば、私の好きなキャラクターって筒井さん知ってるの?」


 触れられたくない事だったのか、律が分かりやすく頬を引き攣らせる。

 視線をうろうろと彷徨わせて、普段の彼女の姿からは想像できないくらい狼狽えているようだった。


 「もしかして、嘘?」


 暫くの沈黙が続いてから、恐る恐ると言ったように律が首を縦に振る。


 「何でそんな嘘……」

 「……私だって名前で呼びたい」

 「え……?」


 氷の女王と比喩される、透き通るように真っ白な彼女の頬が薄らとピンクに色づき始める。

 恥じらうように目元を潤ませて、それはどこからどう見ても恋する乙女のようだった。


 まさかそれを言いたくて二人きりになりたかったのだろうか。


 「もっと、央咲さんのこと知りたい。好きなキャラクターだって知らないし……桃宮さんみたいに、あーんして食べさせたい」


 こんなに饒舌に喋る女性ということすら、蘭子は知らなかった。社交性もなく、表情の変化にも乏しい。


 だけど実際深く知ってみれば、筒井律はそこら辺にいる年頃の女の子と同じで、ひとりの人間に執着して嫉妬や独占欲だって抱くのだ。


 「二人ばっかりずるい」


 クールで澄ましていると思っていた彼女の、意外な子供っぽい一面。

 思わず口元が緩んでしまいそうで、慌てて手で押さえる。


 咄嗟に胸に浮かんできたのは、可愛いという言葉だったのだ。


 「……レモンスカッシュありがとう」


 だけどそれを正直に伝えられるほど、蘭子は素直じゃない。ひなのように可愛らしく伝えられたらと、今だけは彼女の真っ直ぐさに憧れてしまう。


 「……炭酸本当は苦手じゃないでしょ」

 「どうして……」

 「何となくそう思った…私が珈琲苦手なの、気づいてた?」


 こくりと頷く姿から、彼女の優しさが伝わってくる。

 一番初めに筒井律を氷の女王と呼びたした生徒は、本当に見る目がない。


 「名前くらい好きに呼べばいいじゃん」

 「いいの?」

 「別にそれくらい…」


 ふんわりと花が咲き誇るように、優しい綺麗な笑みを浮かべて見せるのだ。

 こんなにも幸せそうに、嬉しそうに。


 ひどく愛おしげに見つめてくる瞳に、心揺れ動かされない人なんていないだろう。


 ひなに見せている顔とはまた違う、恋する女の子の顔をしているのだ。


 「嬉しい」


 可愛いと、そればかりが心に浮かんでくる。

 キラキラとした瞳があまりに眩しくて、直視することが出来ずに逸らしてしまう。


 今まで好意を向けられたことは何度かあるけれど、ここまで真っ直ぐとぶつけられたのは初めてなのだ。


 別にこれくらいでときめかないけれど、僅かに胸がぐらりと揺らいだのは確かだった。

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