第3話
荒く息を乱しながら、街頭に照らされながら整備された道を走っていた。
ワイヤレスイヤホンからはお気に入りのクラシックの音楽が流れていて、丁度曲が終えたタイミングで走るペースを落としていく。
学園の敷地内は夜になれば人通りも少なく、人目を気にせずにランニングに励むことが出来るのだ。
「……はあ、疲れた」
付き人である伊乃も付いてくると言って煩かったが、一人になりたいと突っぱねた。
たまには一人の時間が欲しい。じんわりと汗を滲ませて、リラックス出来るこの時間が蘭子は好きなのだ。
最後にお気に入りの噴水広場を通って帰ろうと、ゆっくりとした足取りで進んでいく。
ポシェットからボトルを取り出して、水分補給をすれば乾いていた体がジュワッと満たされていくのを感じていた。
「あ……」
学園内の噴水広場は夜になるとライトアップされて、なんともロマンティック。一緒に見る相手はいないが、恋人のいる生徒達からはデートスポットとして人気なのだ。
女学園なため勿論カップルも同性同士だが、決して珍しいことではない。
蘭子だって、同級生は勿論上級生や下級生と告白をされたことがあるため偏見の目はなかった。
「……あれって…」
噴水前で恥ずかしそうに俯いている中等部の制服を着た女子生徒と、その向かいで彼女を見下ろす背の高い女子生徒。
この場所で告白をする生徒も多いとは聞いていたが、その現場に居合わせたのは初めてだ。
「つ、筒井さん…?」
おまけに告白されているのが見知ったクラスメイトとなれば、驚いて当然だろう。
恥じらいで顔を真っ赤にさせる下級生とは裏腹に、筒井律は澄ました顔でちっとも感情を掻き乱されていないようだ。
手紙を渡されているが、頑なに受け取っていない。
「……手紙くらい良いじゃないですか!」
悲痛な叫びが聞こえた後、下級生は涙を流しながらその場を立ち去ってしまう。
酷く気まずい状況に、さっさと立ち去ってしまおうと後退りをした時だ。
切長の長いまつ毛に覆われた瞳と視線が交わって、思わず頬が引き攣ってしまう。
「げ……」
露骨に嫌そうな顔をしたのは向こうも同じだった。一度大きくため息を吐いてから、こちらに近づいてくる。
一体何の用なのだろう。ズカズカと距離を縮めてくる彼女に向かって、大きく声を荒げた。
「待って!」
「なに」
「いま運動して汗臭いから、近寄って欲しくない」
氷の女王と揶揄されるほど表情の変化に乏しい彼女は、女心というものが分からないのだろうか。
こちらの気持ちなんてお構いなしに、蘭子のすぐ側まで近寄ってきた彼女は至近距離でジッと見下ろしてくるのだ。
蘭子より10センチ近く背の高い彼女と隣に並べば、スタイルの差が露骨に出てしまうような気がした。
「ねえ離れてってば」
「いやだ。央咲さんの汗の匂いなら気にならない」
「私が気にするの!」
こちらが半歩下がれば、同じように律が半歩近づいてくる。
いたちごっこのようにそれを繰り返していれば、背中に硬い壁の感触が伝わってビクッと肩を跳ねさせた。
逃げるのに夢中なあまり、行き場を失ったことにちっとも気づいていなかったのだ。
彼女と目を合わせるには、自然と顔が上を向いてしまう。昔は身長も同じくらいだったと言うのに、成長と共にすっかり追い越されてしまったらしい。
時の移ろいを感じながら、彼女に見下ろされるのがどこか癪だった。
「今の黙ってて」
「言うわけないでしょ?それより、手紙すら受け取らないのは酷いんじゃない。可哀想」
「……央咲さんは私がラブレターを受け取ってもなんとも思わないの?」
「何が言いたいわけ?」
質問の意図が分からずに小首を傾げれば、律が再び溜息を吐く。
どこか小馬鹿にされたようで、ムッと唇を尖らせる。
「もういい」
「は?なによ。言いたいことあるならハッキリ言いなさいよ」
「だからもういいって……おやすみ」
話は終わりだと言わんばかりに、一方的に会話を終わらせた彼女はスタスタと寮の方向へ消えていってしまう。
一人残されて、不可解な彼女の様子に苛立ちが込み上げてきた。
「……本当意味わからない!」
いつもこうだ。筒井律はコミュニケーション下手で、一方的に会話を終わらされてばかりいる。
会話をしようとボールを投げても、訳のわからぬ方向にぶっ飛ばされてしまえばキャッチボールも出来ないのだ。
こちらが話しかけても向こうが跳ね除けてくるのだからどうしようもない。
込み上げてくる苛立ちをぶつけるように、その日の晩はいつにも増して勉強に励んでいた。
いつか絶対に、あの女を超える。それを目標に蘭子は長いこと筒井律の背中を追いかけ続けているのだ。
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