第4話
ゆっくりと唇にお気に入りの口紅を滑らせて、それに合うチークをブラシで色付けていく。朝の僅かな時間に、自分を可愛くする瞬間が蘭子は好きなのだ。
コテで巻いてもらった髪をツインテールに結ってもらいながら、マスカラを一本ずつ両手に握り込む。
「……マスカラ、ネイビーとブラックどっちが似合うと思う?」
「どちらかといえばネイビーですね。お嬢様は柔らかい顔立ちですので、ピンクブラウンなどハッキリしていない色味の方が似合いますが」
「そうしたらもっと可愛くなる?」
「もう十分可愛らしいです」
伊乃は思ったことを口にして、良いことも悪いことも惜しまず伝えてくれる。
彼女のように素直だったら、筒井律とも仲良くなれるのだろうか。
そもそも律はどうしてあそこまで口下手なのだろう。
昔から蘭子の周りは物事をハッキリと言う人ばかりだったため、どうやって付き合えば良いのか分からないのだ。
ビューラーでぱっちりに上げたまつ毛には、伊乃おすすめのピンクブラウンのマスカラが彩られていた。
色素の薄い蘭子の瞳によく合っていて、我が付き人のセンスの良さに感心してしまう。
自信のあるメイクをするだけで、いつもより自分が可愛くなっているような気がするのだから不思議だ。
上機嫌で校舎へ入れば、ちょうど下駄箱で靴を履き替えている律と居合わせる。
「おはよう」
「……おはよ」
声を掛ければ、酷く眠そうな返事が返ってくる。自分の変化を誰かに気づいてもらいたくて、薄く開いている律の瞳をジッと見つめた。
「なに」
「何か気づくことない?」
「えー……」
眉間に皺を寄せながら、グッと顔を近づけられる。
酷く近いところに彼女の顔があって、驚きから慌てて後ずさった。
「近い!」
「化粧でも変えたのかと思って……」
「そうだけど、近づかなくて分かるから!」
悩んだようにこちらを凝視する律の顔を、同じように蘭子も見つめていた。
鈍感で女の子の変化にちっとも気付かず、愛想だって全くない。
あの中等部の生徒も、一体彼女のどこに惹かれたのだろう。
もちろん顔は綺麗で美人だ。
「……ッ」
久しぶりにこんなに筒井律の顔を凝視したが、ここまで美人だっただろうか。
勿論成長期で少女から大人の女性に移り変わる時期だから、顔立ちは以前に比べて大人っぽくなるのは当然だ。
しかし、小さな顔に小ぶりな唇と鼻筋の通った高い鼻。なにより切長な目が、アンニュイな雰囲気を醸し出して酷く綺麗なのだ。
こんなに綺麗だったかと、筒井律の変貌に衝撃を受ける。見たところ、化粧は殆どしていないだろう。
歳を重ねるにつれて、筒井律はとんでもない美人に成長していたのだ。
つい見惚れていれば、その美人は何ともデリカシーのない言葉を口にする。
「あ、クマある。寝不足なの?」
「……も、もういいわよ!」
「けどまだ化粧分かってないし……」
「マスカラをピンクブラウンに変えたの!それだけだから」
今度は蘭子が彼女を置いて、一人でさっさと教室へ向かっていた。
綺麗で美人なくせに、そう言うところは無神経。
角を曲がって彼女を撒いたことを確認してから、手鏡で自分の顔を確認する。
たしかにそこには寝不足の証であるクマがあって、こっそりとため息を吐いていた。
「……いちいち言わなくていいのに」
蘭子だって女の子なのだから、そんなことをいちいち指摘されたら恥ずかしいに決まっている。
あの子に勝つために、必死に勉強をしていたせいで寝不足になったと知られたくない。
どうせこちらなんて眼中にないと分かっているから、必死に努力していると知られたくないのだ。
セミロングの柔らかそうなミルクティーカラー。小柄で華奢な体に、まん丸とした二重の瞳はまるで小動物のような可愛らしさ。
その日、全生徒の視線はイレギュラーな存在である彼女に注がれていた。朝のホームルーム中、担任の声と共に入ってきた彼女は転校生として、ハキハキとした声で自己紹介をしている。
「じゃあ、自己紹介して頂けますか?」
「
英知高校は確か都内でも有名な頭の良い学園で、各中学の成績トップ10に入る生徒が集まる高校と言われていた。
ふんわりとした雰囲気だが、間違いなく頭の良い生徒なのだろう。
姫昌学園は初等部からエスカレーター式で上がってくる生徒しかおらず、転校生は殆どいない。初等部から在籍しているが、初めての転校生だろう。
おまけに高校生になって2ヶ月目という中途半端な時期ゆえに、皆興味津々と言った様子でひなを見つめていた。
「今日の日直は筒井さんですから、休み時間に案内してあげてくださいね」
担任教師の言葉に、一気に教室が緊張感に包まれる。
筒井律はその美貌も相まって、皆の憧れの存在なのだ。おまけに彼女の方から誰かと喋ることは殆どなく、近づきたくても近づけない。
だからこそ、彼女は影で氷の女王と呼ばれているのだ。
丁度時計の針が12時を迎える頃に、お昼休みを告げるチャイムが鳴り響く。いつも通り授業を受け終えてから、クラスでも気の強い女子生徒が転校生に声を掛けていた。
「佐藤さんは特技はなんですの?」
「特技?」
「ええ、乗馬やバイオリンなど……」
「これといった特技はないけど…犬を飼ってるから散歩に行くのは好きかな」
「良いですね、犬種はなんですの?」
「子犬の時に公園で拾った子だから、犬種は分からないの。雑種かな」
「野良犬を飼ってらっしゃるの!?」
信じられないとばかりに発せられた大声に、教室中がシンと静まり返る。
どこか嫌な雰囲気が教室内を支配したのを、蘭子は肌で感じていた。
「なんて野蛮な…!」
「佐藤さん、ちなみにお父様はなんのお仕事を…?」
「普通のサラリーマンだけど……」
「何か役職などはついてらっしゃらないの…?
「た、たぶん……」
「へえ……そうですか」
見下したような嫌な声色。馬鹿にしたようにクスクスと笑い出した彼女達に、ひなは居心地が悪そうな愛想笑いを浮かべた。
「ちょっとあなたたち」
家柄で人を見下すなんてみっともない。
姫昌学園に在籍する生徒として恥ずかしくないのかと、蘭子が釘を刺そうとした時。
ずっと沈黙を貫いていた氷の女王が、佐藤ひなの二の腕を掴んだのだ。
庇うように彼女を背中に隠して、クラスメイトから守るように立ちはだかっている。
皆が驚いた様子で、固唾を飲んでいた。
あの筒井律が、自らアクションを起こしたのだから当然だろう。
「……校舎の案内」
「え……」
「休み時間、なくなる。お昼はどうするの」
「お弁当を作ってきてて…」
「じゃあ、それも持って…早く行こ」
スタスタと歩き出す律の後を、ひなが慌てて追い掛けている。
ピシャリと扉が閉まって、二人が姿を消した後、教室内は当然ザワザワと騒めいていた。
「なんですの、あの転校生!」
「筒井さんに構ってもらうなんて…私でもろくに話したことないのに」
顔を真っ赤にさせてひなへの嫉妬心を口にするクラスメイト達。
平常心を保っているつもりで、蘭子も酷く動揺していた。
心臓がバクバク鳴っていて、まるでショックを受けているようだ。
あのタイミングで言い出したということは、間違いなく律はひなを庇った。
いつも他人に興味がなさげで、つまらなさそうに世界を見下ろしている頂点の女が。
なぜ、どうしてと、沢山の疑問符が浮かんでくる。
蘭子ですら、律にあんな風に助けてもらったことはない。
筒井律に手を差し伸べてもらった人がいる事実に、堪らなく胸がモヤモヤするのだ。
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