江戸川忌憚

@sabineko19

第1話 環状○号線


 ーこんにちは、俺とお友達になってくれませんか


 新谷あらたに あらたは今でも偶に考える


 通っていた塾の講師と進路について話し込まず、いつもの時間に帰っていたら


 出掛けるときはいつも持っていくイヤホンを、家に忘れていなかったら


 夜の環状線を明るく染める色とりどりのテールランプを背に、ガードレールに腰かける見ず知らずの男と会うことはなく、丁寧かつぶしつけな第一声に、面食らいながらも返事をすることもなく


 ー今は夜の10時近いんで、こんばんは、じゃないっスか

 ーえ?時間によって挨拶は変わるんですか?


 自分なりの事件はあれど昨日も明日も変わらない、中学生らしい、概ね穏やかで過不足の無い生活を送ることができていたのではないか


 ーでは改めてこんばんは。俺とお友達になりませんか


 丁寧かつぶしつけで、奇怪で奇妙なあの男に、出会わなければ



 

 クーラーの効いた塾を出た途端にむわりと己を包む熱気が疎ましい。

「あっつ!」

 悪態をつきながら、新が15段ほどの階段を降りきる頃には、冷やされていた体は急速に熱を帯びていった。

 すぐ目の前に現れる環状7号線を走る車の群れがまた暑さに拍車をかけている気がする。このテールランプがなくなった途端に気温は2度くらい下がるのではないか。

「お疲れ様です、新君」

 ぽん、と放って寄越される気温も温度も感じさせない平坦な声音にもはや驚く事はない。今までアルバイトをしていたであろう男とは違って、1時間半クーラーの効いた自習室でのんびり課題をこなしていただけの自分は別に疲れてないが、形式的に労いの言葉を返す。

「お疲れさまっす、太郎さん」

 平日の夜8時から9時半までを塾の自習室で過ごすのが新のルーティンなら、平日の夜9時から9時半までを新の通う環状線沿いの陽明塾の前にあるガードレールに腰かけるのが、このどこかぼうようとした男のルーティンであるらしい。

「このくそ暑いのによくそんな甘いオレンジジュース飲むっすよね。好きなんすか?」

「こんなに暑い中こんなに甘いオレンジジュースなんて好きで飲むわけ無いでしょう。何もしないでガードレールの上に座ってるとどういったわけか警察官の方にお声がけ頂く事が多いんですよ」

 感情を表に出さない男らしくその面には苛立ちも腹立ちも浮かんではいないが、その声は少し不快げな色を帯びている。

「ああ、なるほど」

 でも、この男が所在なげにガードレールに座っていたらむしろ職務質問をしない方が職務怠慢になってしまうだろう。

 何度かその現場に立ち会った事もある新は深い納得を表した。


 鈴木すずき太郎たろう、という現代では書類の記入例でしか見ないような名前を持つこの青年は、新よりも4歳年上の18歳。保険証を見せて貰ったから本名なことは確かだが、その見た目がまた人畜無害そうな名前を裏切って所謂不良そのものなのだ。

 まっすぐな黒い髪に、高い鼻梁とつり上がり気味の鋭い三白眼がバランスよくおさまった顔はイケメンといえなくもないが、どこぞの部族もかくやというように大量の銀輪のピアスが耳を埋めつくしている。しかも耳だけに飽きたらず、口の端にも舌の先端にも銀色の輪っかが引っ付いているのだ。

 好青年らしい丁寧な口調と穏やかな物腰を大きく裏切るその風貌からは、違法薬物を嗜む危険人物、という印象を強く受けてしまう。165センチある新より頭ひとつ以上高いその背丈も、ヒョロリとした体躯も、不健康なほどに白い肌も、ついでに感情を表さない無表情もその印象に拍車をかける。

 新が立ち会った職務質問の際には、鈴木太郎、という名前さえも本名であるのに偽名だと疑われていたものだ。

「オレンジジュースさえ飲んでいれば、俺は怪しいものではなく、塾に行っている友達を飲み物を飲みながら待つ普通の少年なのだと分かって頂けるというわけです。偉大な飲料なのですよ」

「えー、それは、どうっすかね・・・」

 自信満々な友達には申し訳ないが、この男がこの見た目でガードレールに座ってジュースを飲んでいる方が警察官の方々は疑いをより濃くすると新は思う。その缶に有機溶剤を入れて嗜んでいるのだな、と思われるんじゃないだろうか。この胡散臭さを払拭するにはオレンジジュースでは絶対に荷が重い。

 むしろ、今日はよく今まで無事にガードレールに座り続けていられたものだ。今まさに紺色の制服がこちらに向かって駆けてくるのではないだろうか。

 不安になった新は、いかがわしい見た目の友人から目をそらし、信号をふたつ挟んだ先にある交番の方を透かすように見やった。

「お前が俺に騙されているのだと警察の方に言われたこともあったではありませんか。俺達の友情を誤解されて、お前も腹が立ったでしょう?」

 不審人物を平凡な少年に変える奇跡を起こすというオレンジ色の缶を街灯に向けて捧げながら、太郎はやはりその憤りを一切表に出さない。お前も、と言うことは腹をたてているのだろうが。

「はぁ、まあ、うーん、いや、ええ」


 しょうがないかと思いましたよ


 正直に言うのはためらわれ、帰宅途中らしい人の群れの中に紺色の帽子を警戒しながら、新はごにょごにょと言葉を濁す。

 校則に縛られて前髪すら自分では決められない一般的な中学2年生と、目ためからして何にも縛られていなさそうな細長い男。あきらかに年齢も離れていて、とても友情を育むようには見えないだろう。

「俺達は正式に友情を誓いあった真っ当な親友同士なのに、まったく酷い話です」

 夜の10時に車の往来も激しい道路で、目付きの悪いピアスまみれのひょろ長い男に友人にならないかと打診され、気圧されて思わず承諾することを“正式に友情を誓いあう”というのかどうか、新には判断がつかない。

 これが同級生の身に起こったことなら、多分騙されていると思うから警察に相談したらどうかな、と提案をしていることだろう。


 そしてその提案を恨まれていた事だろう

 もし新がその提案をされていたら、そうして太郎と仲良くなる機会を逃していたら、きっと恨むだろうから


 ウウーーーウウーーーウウーーーウウーーー

 道行く人々の中に紺色の帽子も紺色の制服も見えない。

 大丈夫そうだ、と視線を鈴木に戻しかけた新は、突如けたたましく鳴り響いたサイレンの音にびくりと身を竦ませた。

「うわっ、何!?」

「驚きました。パトカーですね」

 他の通行人も突然のサイレンに驚いてその場に足を止める中、驚いたと言う割には眉ひとつ動かさない太郎と目を見交わす。

「交通事故っすかね」

 東京の主要道路のひとつなだけあって、この道路は車通りがとても多く従って事故も決して少なくない。突然の爆音に驚きはしたが、新はすぐに興味をなくした。

「事件じゃないですか」

 しかし鈴木は違うようだ。普段は眠たげに半分落としているまぶたを珍しく見開いて、パトカーが去った方を見つめている。珍しい事もあるものだ、と新はパトカーの代わりに太郎を見つめた。

「何でっすか」

 パトカー1台、サイレンを鳴らして通りすぎたくらいで事件があったと感じるのは少し過敏すぎはしないか。

 背の高い太郎の細い体越しに目の前の道路を見ても、色とりどりのテールランプの中に後続の特徴的な赤色灯は見当たらない。パトカーが1台出動する用事なんて、怪我人が出ない程度の交通事故ではないだろうか。

「スピードも出ていたのに、途中でサイレンを鳴らすのをやめましたから」

「へ?」

「先日テレビで見たんですが」

 パトカーが赤色灯を点灯させながらもサイレンを鳴らさない場合、その理由はいくつかある。

 パトロール中か、それほど緊急性の無い事故の対処か、スピード違反取り締まりか。

「そして、何らかの事件が起きていて、犯人を刺激しないよう現場に急行している場合なんだそうですよ」

 と説明を施す男はやはりパトカーが走っていった先を見ている。

「えー・・・いや、それだとやっぱ事件じゃないっすよ。1台だけだし、スピード違反の取り締まりじゃないっすか?」

 東京都心へと向かうこの道路は車の数も多い。スピード違反なんてしょっちゅうあるはずだ。

「ほら」

 しかし、新の問いかけを右から左に受け流したピアスまみれの細長男は、背丈と同じように細長い指でゆらりと道の向こう側を指し示す。

 退廃的かつ反社会的な顔面に似合わず生真面目に切り揃えられた爪の先にあったのは

「えっ」

 パトカーが去っていった方向に向けて走り出す通行人の姿だった。

「何かあったのでしょうね」

 更に、太郎は尻ポケットに入れていたらしいスマホを取り出し手早く操作をしてから、光る画面を新に見せてくる。

「ええぇ」

 写し出されていたのはSNSの投稿画面。共通して書かれているのは、新達がいる場所からさほど離れていないマンションの建設予定地で、

〈何かが出たらしい〉というものだった。

 

 

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