第12話

「俺、製菓の専門学校に行こうと思ってるんだ



だから、もうピアノを人前で弾く機会、合唱祭で終わりだと思う」



「えっ…」



製菓の専門学校…


初めて聞いた、先輩の進路



てっきり…



「てっきり、私音楽の学校に進学するんかと思いました…」




そう言うと先輩は振り返り、ははっと

なんだか力なく、ため息を吐くように笑った



「ピアノじゃ、食べていけないから…」



寂しそうな、先輩の顔



先輩がピアノを弾いている時や、音楽の話をしていた時の表情が浮かんできた



楽しそうで



嬉しそうで



生き生きした、顔



ピアノが



ピアノを弾くのが



大好きな顔




なのに…




「なんで、そんな事言うんですか…?


先輩あんなに…



あんなにピアノ、好きじゃないですか



あんな楽しそうに


生き生きと…



歌うようにピアノを弾く人が…!」




はっとして先輩は私の顔を見た





「それで…


それでいいんですか!?」



つい、語気が荒くなってしまった




先輩は

悲しそうに笑った





「ピアノはね…



好きだよ


すごく好きだ



幼稚園から、やっていたから…



でもね




ピアノの世界で生きていける人は、選ばれた人だけだよ」





街灯の少ない田舎町


薄闇の中


レンタルショップの灯りに照らされて、先輩の瞳が光って見えた




「勉強の合間の息抜きでピアノを弾くのも


感情的になった気持ちをクールダウンする時に弾くのも


自分の中に溜まった声にならない声を、ピアノにぶつけてみるのも



どんな時でも、ピアノは自分の表現方法や発散やブレイクタイムの一つだし…



これからもそうしていくつもりだよ



ただ、ピアノの道には

音楽の学校には進まない



俺は


好きな時に好きな曲を弾ける生活で、満足なんだ…」




そんな…




「先輩、それは本当に…?


本当にそうなの?



そんなの、嘘でしょ?」



だって



『好きな時に好きな曲を弾ける生活で、満足なんだ…』



なんて事を言う人が



『ピアノの世界で生きていける人は、選ばれた人だけだよ』



なんて…



「本当は…



先輩、本当は…!」





「手…繋いでいい?」




え…



私はそんな事を突然言う先輩にびっくりして頭が真っ白になってフリーズしてしまったら、先輩は私の返事を待たずに手を握った



するりと、私の指と指の間に指を入れる



わ…これって…こ、恋人繋ぎってやつじゃ…



私はそんな事で、先輩のピアノの事とか将来の事とか、他にも聞きたい事があったはずなのに一瞬で吹っ飛んでいった


先輩の大きくて、節高い手


先輩は手を繋いだまましばらく無言で歩いていたけど、途中でぽつりと言った



「自分で決めた道に後悔はしてないよ


しないよ


…しない」



え…



先輩は私の方に振り向く事もなく、ともすれば独り言のようにも聞こえた



私はそう言った先輩の、大きくて広い背中を見つめる




「合唱祭、伴奏も楽しみにしてて」



先輩がにこりとしながら、やっと振り返って言った



伴奏…


そう言われてはっとする



先輩が…最後のピアノを…弾く…



そんな事を思っていたら、険しい顔になってしまったのだろう


先輩が手を繋いでいない手で、私の眉間をつついた



「そんな顔、しないでよ


ね?」



そんな…



そんなこと言われたって…


私はますます眉間にしわを寄せて、顎にしわまで作ってしまう



「冬至ちゃんの為に楓、弾くから」



「えっ…」



「だから、みんなの歌と、俺のピアノ

聞いて」


先輩の真剣なまなざし


街灯に顔が照らされて、明暗がくっきりとして見える



「…わかりました…


先輩の伴奏…


楽しみにしてます…」



私は何となくそんな態度の先輩に納得はしていなかったが、渋々了承した

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る