第5話――浮気…?

「おまたせ」

あなたがオレンジジュースの缶を私に手渡した。


「ありがとうございます」

「へえ、ふたりきりになると素直になるんだね」

「そんなんじゃないですから!」

あなたが笑い声をあげた。


あなたにからかわれているのがわかって、くすぐったい思いになった。

でも、一気に2人の立場というか、力量関係みたいなものが決まってしまったような気がして、少し焦った。


あなたが、微糖のコーヒーを開ける。


「コーヒー大丈夫なんですね」

「うん、そうなんだ。…って、昨日僕飲んでたよね?本当に何も覚えていないんだね」

「いえ…」


周りにコーヒーのにおいが漂ってくる。

スッキリした顔立ちもあいまって、改めてカッコいいな、と思う。


「なんでここにいるんですか?」

一番の疑問をぶつけてみる。


「いや、普通にバイトだよ。別に将来教師になりたいとかではないけど、今まで自分が学んできたことを生かして、できればみんなに楽しさを知ってほしいんだ。

ほら、例えば幾何ってあるでしょ?あれって、僕なんかは解法をじっくり考えることとか割と好

きだったんだけど、なかにはひらめかないって言って嫌いになる人もいる。だから、そういう人

に少しでも『面白い!なるほど!』って言ってもらいたくて。

…って偉そうなこと言ったけど、やっぱり時給が高いからかな。ここ、破格なんだよ。4000円」


「え、高くないですか?普通1000円とか…」

「ああ、そう思うでしょ?まあさすがに大学受験の予備校で1000円はないと思うけど」

「じゃあ、お仕事大変なんですかね」

「いやー、まだよくわからないな。だって初日だもん」

「ふーん」


でも実際、この人は本当に数学が好きなんだろうと思った。


「君、…坂井さんだよね、そろそろ帰りな」

「え、もう帰るんですか?」

「そうだよ、だって僕採点とかあるし。夜遅くなるといけないから」

「…そうですね、さよなら」

「はい、さよなら」


そういって、2度目の再開はあっけなく終わってしまった。


教室を出て、エレベーターで一階まで降りる。


あなたは、二人で話すときは柔らかな話し方だとわかった。

そして、ちょっとからかってきたりもするけど、基本は数学が好きで賢い、いい人だということも。


運命の出会いって言っても、意外とつまんないなー、などと考えて歩いていると、一階の受付の前で二人の男女が小声で話していた。たぶん、高校生ではない。頑張って聞き耳を立ててみる。


「待たないでいいのかよ」

「いいのよ。あなたと帰るから」

地理の松崎先生だ。大学生の先生で、美人だと生徒から定評なのだ。

でも、男の方には見覚えがない。


「レンが可哀想だろ。今日、授業初日なんだし」

「ふふ。気にしないわ、彼。きっと」


男が松崎先生の腰に腕をまわす。

2人は夜道をもつれるように歩いていった。

松崎先生のハイヒールの音が、フロア中に響き渡った。



え、初日?   

…まさか、葉村先生のこと?


当時、私は直感でわかった。



『大変なことに巻き込まれてる、先生が』



ただ、あのときの私は、何をすればいいかわからなかった。


下手に動けば、先生を傷つけてしまうかもしれない。


そもそも、松崎先生と、葉村先生との関係がわからないから、早とちりしないほうがいい。


私は、どうすればいいのか?



私は唇を噛みしめながら、家路についた。


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