第32話 断罪
「……あの娘だ」
つぶやくとルーマノアはタルードスと目を見交わした。
まだ十代らしき少女。彼女がどうやらゴブリンたちに指示を出しているらしい。
「何者だ?」
タルードスが少女を睨みつけた。ルーマノアは肩をすくめると、
「わかるわけないでしょ。こんなの初めてなんだから。魔術師か、もしくは」
「面倒だな。あの小娘をしめあげて白状させれば済むことだろうが」
「馬鹿なの、あんた。彼女がゴブリンを支配していると仮定して、彼女が私たちに害意をもったらどうするの。ゴブリンやバグベアに命じてわたしたちを襲わせるわよ」
「それがどうした」
タルードスはあざ笑った。
「ゴブリンやバグベアごとき、俺一人でもどうということはない。逆らうなら皆殺しにするまでだ」
「やっぱり馬鹿ね、あんた。下手をすると村そのものを断罪しなければならなくなるわ。そんなおおがかりな断罪は審問会の許可が必要。勝手な断罪は処罰の対象となることくらいあんたでも知ってるでしょ」
「ううぬ」
さすがにタルードスはうなった。審問会が容赦しないことは彼自身がよく知っている。
「まあ、わたしに任せて」
ルーマノアが少女に歩み寄っていった。気づいた少女が会釈する。審問官を見たことがなきのか、ルーマノアの正体がわからないようだ。
ルーマノアは笑いかけた。
「こんにちは」
「こんにちは。旅のお方ですか?」
「ええ。わたしはルーマノア。あなたは?」
「わたしはペノワーといいます。この村の村長代理なんです」
「村長代理?」
ルーマノアは眉をひそめた。少女の村長代理など聞いたことがない。
するとペノワーが話し出した。こうなった経緯を。
「そんな……」
ルーマノアは声を失った。
旅の魔術師がゴブリンを退治し、さらにはペノワーに預けていった。そんなことがあるものなのだろうか。
にわかには信じられない話である。が、いくら疑わしくとも、眼前にペノワーの命に従うゴブリンたちの姿があることもまた事実であった。
いったいどうすればゴブリンたちを操ることことができるのか。方法の一つは魔法である。
魅了。精神に作用する魔法である。
が、この魔法の効果時間には限りがあるはずだった。眼前のゴブリンたちには解ける様子はない。
では、何か。永続的にゴブリンたちを従わせる方法とは。
さらにもう一つ、ルーマノアには気になることがあった。ゴブリンたちが理性的であることだ。
いや、精神的なことだけではない。顔つきや体つきすらも違う。思考すら。人間と同じほど知恵がまわるようなのだ。
その様は──そう、上位。従来のゴブリンより優れた存在であるとしか思えなかった。
何か、とんでもないことが起こりつつある。そうとしか考えられなかった。
「その魔術師って……どんな人なの?」
ルーマノアが尋ねた。その魔術師がゴブリンたちを預けた以上、何かを知っているはずだ。手がかりはその魔術師しかなかった。
「どんな人って」
ペノワーは小首を傾げた。
「優しくて良い人でした。シェーン様っていうの」
「シェーン……」
聞いたことのない名前。ゴブリンを進化させて使役することのできる魔術師だ。
よほどの魔術師であろう。審問官であるなら耳にしてもいいはずだった。が、ルーマノアに聞き覚えはなかった。
「その魔術師はどこに? できればお会いしたいのですが」
「もう旅立たれました」
名残惜しそうにペノワーがこたえた。
「もう旅立った?」
「はい。数日前に。北にむかうとおっしゃってました」
「そう。北に……」
うなずくと、ルーマノアはその場を離れ、タルードスのもとへと戻った。
「どうだった?」
タルードスが問う。すると得た情報をルーマノアは口にした。
「いったい何者なんだ、そのシェーンってやつ?」
「わからないわよ。だから会って正体をたしかめるの。うん?」
顔をしかめ、ルーマノアがこめかみをおさえた。ずきりと痛みがはしったのだ。
「どうした?」
「負の存在が近くにいる」
「負の存在?」
タルードスが笑った。もし負の存在が近くにいたなら、村がこんなに穏やかであるはずがないからだ。
「そんなのどこにいるよ」
笑いつつもタルードスは魔法を発動させた。負の存在を感知する神聖魔法である。
「なにっ」
タルードスの表情が変わった。負の存在を感知したのである。それも幾つも。
タルードスの視線がはしった。負の存在を探して。
「おいおい」
すぐにタルードスは悟った。負の存在が何なのか。
「ゴブリンどもかよ」
「そうみたいね」
ルーマノアがうなずいた。彼女もまた負の存在を特定していたのである。
「けどよ」
タルードスは怪訝そうに眉をひそめた。
負の存在。真っ先に思いつくのは悪霊の類である。さらにいえばスケルトンなどだ。
が、眼前のゴブリンどもは霊的存在ではない。またスケルトンとも違った。
では、何か。続いて考えられるのはゾンビーやヴァンパイアである。
ルーマノアは目をすがめた。ゴブリンの姿を確認する。
「あれは……噛み傷?」
ルーマノアは見とめた。一体のゴブリンの首筋に噛み傷らしき痕があることに。
「あれはゾンビーの……でも、それじゃあ」
おかしい。ゴブリンがゾンビーに汚染されたとしたなら村人を襲っているはずだ。
しかし、事実としてそのようなことはない。むしろ村人とは良好な関係をむすんでいるようなのだ。
さらにおかしいのはゴブリンの様子である。より上位の存在と変じているようなのだ。ゾンビーにしろ、ヴァンパイアにしろ、汚染されて上位の存在に変じるなど訊いたことも見たこともなかった。
「魔術師、か」
ルーマノアはタルードスに視線を移した。タルードスがうなずく。
シェーンという魔術師がゴブリンを預けていったという。ならば、その魔術師が何かを知っているに違いなかった。
「いくわよ、北へ。魔術師を追って」
「この村はどうするよ。ゴブリンは汚染されているぜ。放っておくわけにはいかねえだろ」
「そうね」
ルーマノアは躊躇った。
通常、負の存在に汚染された村は消滅させる。が、それはあくまで負の存在が脅威である場合だ。
その意味において、この村のゴブリンは少し違うように思えた。ゴブリンが危険であるとは思えないのだ。
けれどゴブリンが負の存在であることは事実であった。今は危険でなくとも、将来的にはどうなるかわからない。危険の芽は摘んでおいた方がいいだろう。
負の存在の撲滅。それが異端審問官のつとめであった。
「ゴブリンを殲滅するわよ」
「そうだな。ところで、よ」
ちらりとタルードスがルーマノアを一瞥した。
「村の奴らが邪魔するようならどうする?」
「決まっているでしょ。負の存在に加担する者はすべからず我らの敵。始末するまでよ」
こたえたものの、しかしルーマノアには躊躇いがあった。できるものなら村人に手はかけたくない。
本来、村人を殲滅するには許可が必要であった。が、村人が襲ってくるなどという緊急危急の場合は現場の判断が優先される。タルードスが村人を始末するなどという行為も許されるのだった。
「そうこなくっちゃな」
ニンマリとタルードスは嗤った。
「おい」
声をかけるとトルードスはペネワーは歩み寄っていった。
「えっ」
急に声をかけられ、やや驚いてペネワーがふりむいた。
「どうかしましたか?」
「ゴブリンのことだ」
「ゴブリン?」
さすがにペネワーの表情がかたくなった。いくらゴブリンが大人しいとはいえ、やはり怪物は怪物だ。何をいわれるかわからないと警戒しているのである。
「ゴ、ゴブリンがどうかしましたか?」
恐る恐るといった様子でペネワーが訊いた。もしかすると知らないところでゴブリンが危害を及ぼしたのかもしれないと危惧しているのである。
「どうもしやしねえよ。けどな」
すう、とタルードスは右腕をあげた。天を指すように人差し指をのばす。
「ここにいるゴブリンはゾンビーだ。放っておくわけにはいかねんだよ」
刹那、タルードスの人差し指が煌めいた。まるで小太陽が現出したかのように。
「な、なに?」
あまりの眩しさにペネワーが瞼を閉じた。その瞬間である。
ぐぎゃあ、と苦しげな絶叫が響いた。ゴブリンが発したものだ。
慌てて目を開いたペネワーは見た。ゴブリンたちが苦悶している様を。
灼かれている。ゴブリンたちが。まるで炎を吹きつけられたかのように。
「えっ……光のせいなの?」
「そうだ。邪悪を滅する聖なる光だ」
眩い光の中から嗤う声が響いた。慌ててペネワーが叫ぶ。
「お、おやめください、旅のお方! ここにいるゴブリンたちは魔術師様のお使いで、邪悪な者ではありません!」
「違うわ」
声はペネワーの背後からした。ルーマノアだ。
「いかに大人しくともゴブリンはゴブリン。だけではなくさらにはアンデッド。わたしたち異端審問官としては放っておくわけにはいかないのよ」
「い、異端審問官!」
ペネワーは息をひいた。異端審問官の何たるかを詳しく知っているわけではない。が、恐ろしい存在であることは聞き知っていた。
「そうだ。俺たちは異端審問官だ。邪魔するとおまえも異端と認定して断罪するぞ」
「そんな」
ペネワーは立ちすくんだ。骨がらみ呪縛されたように動けない。が──。
「ぐあ」
ゴブリンが断末魔の絶叫を発した。それがペネワーの限界であった。たまらずタルードスに駆け寄る。
「ええい、邪魔をするなといってるだろうが」
苛立たしそうにタルードスが手をふった。
無造作な怒りのこもった一閃。タルードスはやりすぎた。
あっ、とルーマノアが思った時は遅かった。凄まじい衝撃を受け、ペネワーの小さな身体が吹き飛んだ。
地に転がった時、ペネワーの首はありえない方向に曲がっていた。確かめるまでもなく、死亡しているのは明白だった。
「ちっ」
タルードスが大きな舌打ちの音を響かせた。
「よけいな真似しやがって」
「タルードス!」
ぎり、とルーマノアがタルードスを睨みつけた。男ですら戦慄しそうな怖い顔である。
ルーマノアの脳裏に一人の少女の面影がよぎっていた。怪物に殺された彼女の妹である。生きていればペネワーもいう少女と同じ年頃になっているだろう。
「なんてことをするの」
「ふん」
煩わしげにタルードスは鼻を鳴らした。
「そいつが悪いんだぜ。邪魔しようとするからよ」
「だからってこんな女の子を」
「なんだ。文句があるってのか。だったら相手してやるぜ」
「いいわね」
ルーマノアの周囲の空間が揺れた。凄絶の殺気によるものだ。
「ちょっと待て」
突然タルードスがとめた。そして周囲を見回す。
聖なる光の届かない場所。そこにゴブリンたちが集まってきている。ペネワーを殺したタルードスを敵と見なしているのだ。
「なんて酷いことをするんだ」
ゴブリンの一体が怒りのこもった震える声を発した。するとタルードスが嘲笑した。
「怪物のくせに。一人前の口をききやがって」
タルードスが聖なる光を強めた。火に炙られたようにゴブリンたちが後退る。
「喧嘩は後だ。まずはゴブリンどもを始末しねえとな。それから」
ちらりとタルードスが目をむけた。村人たちが駆け寄って来る。
全員が血相を変えていた。ペネワーが傷つけられたことに気づいたのだ。
「村の奴らを殺る。口封じってやつだ」
タルードスはニヤリとした。するとルーマノアが叫んだ。
「やめるのよ。村人たちは関係ないわ」
「とはいえねえ。負の存在に汚染されているかもしれねえからな」
タルードスが指摘した。
たとえ負の存在に肉体的に汚染されていなくとも精神的にそうなっている場合がある。その場合は断罪対象となるのだった。
「うっ」
ルーマノアは声を失った。悔しいが確かにタルードスのいう通りであるからだ。
緊急危急の場合は現場での判断が優先される。それが教会における異端審問官にくだされたルールであった。
その意味において、タルードスをとめるのことはできない。上位の、たとえば聖騎士でもなければ。
村一つくらいならを滅ぼしたとしても教会がもみ消してくれる。それほど教会は隠然たるたる力をもっていた。
「わかったろ。断罪の邪魔するなら、それなりの証拠を用意しろ。でなけりゃあ、おまえもまた断罪対象になる」
笑みを深くすると、タルードスは残る左手をあげた。掌を駆け寄ってくる村人にむける。
次の瞬間だ。空間が唸りをあげた。
タルードスの掌から迸りでたのは不可視の聖力である。駆け寄ってくる村人たちが人形のようにはじきとばされた。
異端審問官の戦闘力は戦職である聖騎士には及ばない。が、村人程度には十分であった。いや、十分すぎるくらいであった。
地に倒れた村人たちが動く様子はなかった。全員、口から血を溢れださせているところからみて、瀕死の状態であることは間違いないようだ。
「さあ、断罪の続きだ」
タルードスが狂ったような哄笑をあげた。と──。
「ぐふ」
ごぼり、と。タルードスの口から鮮血がこぼれでた。
「な……に!?」
じろり、とタルードスの目が下をむいた。胸を突き破り、手がある。
「ルーマノア……てめえ」
「緊急危急の場合、現場での判断が優先される。そうだったわね」
ずぶり。ルーマノアがタルードスの身体から手刀を引き抜いた。鮮血にまみれたルーマノアの右手からぽとりと血が滴り落ちる。
「タルードス。汚染されたと判断し、おまえを断罪する」
「くそっ」
呻き、タルードスは慌てて神聖魔法を発動させようとした。
止血。同時に肉体修復。その後に反撃開始。いや──。
心臓がやられた。肉体修復が追いつかない。だめだ。意識が薄れる。
ばたりとタルードスが倒れた。その目から光が消え失せていく。
「断罪終了」
タルードスを冷たく見下ろすルーマノアの口から声が流れ出た。
ゾンビー・サーガ ~異界転生と追放と、悪役令嬢と聖女と、真祖と死神と、そして……俺は不死王になる!~ @gankata
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