第31話 ナキュルア


 色々と調べなければ。


 そうミレーヌは決意した。


 ギロチンにかけられる運命。そうなるには理由があるはずだ。


 魔女とみなされることが理由なら、なんとしても隠し通さなければならないし、もしそうだないなら原因を探らなければならなかった。


 それと、もう一つ。重大なことがある。


 それは時間だ。ギロチンにかけられることはわかってはいる。が、それが何時かはわからなかった。


 かすかに脳裏に残る記憶の残渣。そこにあるミレーヌの姿は現在とそう変わらなかったような気がする。それなら悲劇的な未来はそう遠くない時の彼方にあるということだ。


 すぐに動かなければ。ミレーヌは思った。


 ぐずぐずしていては間に合わなくなる。せっかく得た人生。何もせずに失うことは嫌だ。


 思えばたいしたことのない人生だった。平凡そのものだ。


 平凡が悪いとはミレーヌは思わなかった。実のところ、平凡であることが一番幸せであるのかもしれないとさえ思っている。


 でも、やはり物足りなさがあった。いわばぬるま湯につかっている感覚だ。日向ぼっこを楽しんでいる老人とはそういうものだろう。


 けれど──。


 今は違う。ファンタジーのような世界で、伯爵令嬢だ。願っても得られない境遇であった。


 この人生を楽しむために、何より生き残るために、足掻く必要があった。


 ミレーヌは居室から出ることにした。引きこもっていても事態は進展しないからである。


 状況を探らなければ。


 ミレーヌは廊下で見かけたメイドに声をかけてみた。


「ミ、ミレーヌ様!」


 メイドがびくりと身を震わせた。


 あれ?


 ミレーヌは内心首を傾げた。メイドの様子に違和感を覚えたのだ。


 いやにメイドがおどおどとしている。伯爵令嬢に声をかけらたのだから、それも仕方ないのかもしれないが、どうもそれだけではないような気がしたのだ。


「ええと」


 ミレーヌはメイドに歩み寄っていった。するとメイドが身を硬くした。


 やはり、おかしい。ミレーヌは思った。


 どうもメイドはかしこまりすぎている。まるで腫れ物に触るように。


「な、何かご、御用でしょうか?」


 震えながらメイドが声をだした。声もまた震えている。


 ここに至り、ようやくミレーヌはメイドが震えている理由がわかった。


 恐怖だ。メイドは極度にミレーヌのことを恐れているのである。


「あの……どうかしたのですか?」


 ミレーヌは訊いてみた。すると震えながらメイドは顔を伏せてしまった。


「い、いえ。何もありません」


「とは思えません。震えているではありませんか」


「す、すみません。お気にさわったのなら幾らでもお詫びいたします。ですから、どうぞお許しくださいませ」


 ひび割れた声で謝罪し、メイドは深々と頭をさげた。今にも泣き出しそうな風情である。ミレーヌがとめなければ土下座していたかもしれない。


「あなたは何もしていません。ですから気にすることはありません」


 告げると、ミレーヌは背を返した。走り去る

メイドの足音がミレーヌの背をうった。


 その後のことだ。ミレーヌは他のメイドの様子を探った。


 やはり異常なほどミレーヌを恐れているようだ。


 当初、ミレーヌは主人とメイドの関係はそんなものかなと思ったりしてみた。が、違う。シャルロッタに対するメイドたちの態度は全然違うのだ。


 主人とメイドという関係である、という一線は守りつつ、実にメイドたちはシャルロッタに対しては親しげなのだ。ミレーヌに対する時と違って。


 敬愛の情とでもいうのだろうか。シャルロッタに対した時、メイドたちの顔に浮かぶのは微笑みであった。


 ミレーヌに対する時、彼女たちの顔を過るのは恐れであった。嫌悪すら抱いているといっても過言でないかもしれない。


 どうやらミレーヌは嫌われているらしい。理由はわからない。


 その時だ。ミレーヌは一人の男の姿を見いだした。


 宮殿内において鎧をまとっている。金髪を短く刈った、端正な顔立ちの若者だ。印象はラスムスとは逆の快闊である。



「あの」

 

 ミレーヌは声をかけてみた。ラスムスは冷たそうで近寄り難い雰囲気があったが、若者はそうではないからだ。


「ミレーヌ様?」


 ミレーヌに気がつき、若者は振り返った。その顔に一瞬走ったのは嫌悪の表情である。


「ご快癒されたようで何よりでございます」


「ありがとうございます」


 ミレーヌは礼をのべた。すると若者の眉が怪訝そうにひそめられた。シャルロッタやラスムスと同じ表情だ。


 ミレーヌ自身は知らず、羞恥に頬を赤らめていた。若者が好もしい美青年であったから。


 そのミレーヌの様子に若者は違和感を抱いた らしかった。それは後でわかったことであるが。


 この時のミレーヌは自身を顧みる余裕などなかった。若者に見惚れてしまっていたからだ。一目惚れというやつであった。


「あ、あなたは──」


「騎士長のボガーゼ・ノワーですが。お忘れでございますか?」


 若者の眉がさらにひそめられた。慌ててミレーヌはごまかした。


「わ、わすれるはずがないではありませんか。騎士長のお顔を」


 ミレーヌはいった。これ以上不審感を抱かせないように。悪魔憑きだと思われては大変であるから。


「はあ」


 あまり納得していないような顔つきで若者──ボガーゼはうなずいた。


「で、何かご用でございますか?」


「い、いえ、用というほどのことは……」


 ミレーヌは声を途切れさせた。まさか好きになったから話をしたいとはいえない。


「そうですか。では、これで失礼いたします」


 一礼し、ボガーゼが背を返した。その背を見送っているミレーヌの瞳が濡れ光っていることに本人は気づいていない。


 こんな場合に不謹慎だ、と他人はいうだろう。が、こんな場合であるからこそ、無意識的にミレーヌは頼りがいのありそうなボガーゼに惹かれてまったのかもしれなかった。


 ボガーゼの背が見えなくなると、一つため息を零し、ミレーヌは自室に戻った。ひどく疲れていたからだ。


 ガチャリとドアを閉める。その時だ。


「ミレーヌ様」


 ナイフのような鋭く密やかな声がした。


 驚いてミレーヌは振り返った。そして、見た。部屋の片隅にうずくまるように跪いている人影を。

 それは部屋の暗がりに溶け込むような黒い衣服をまとっていた。顔も布で覆っており、人相もわからない。ただ布の間から覗く目だけが氷のように青く鋭かった。


「ひっ」


 ミレーヌは悲鳴をあげかけた。泥棒か何かだと思ったのだ。


 が、何かがその行動をおしとどめさせた。理由はわからない。冷静に考えてみれば泥棒がミレーヌ様などと呼ぶはずはないのだが。


「あ、あなたは」


「ナキュルアでございます。ご快癒なされましたこと、まことに喜ばしいかぎり」


 ナキュルアと名乗った者が深々と頭を垂れた。声からして女であるらしい。


「ナ、ナキュルア……」


 あらためてミレーヌはナキュルアと名乗る女を見た。得体はしれないが、どうやら敵ではないようだ。


「はい。ご快癒なされますのをお待ちしておりました。お元気になられたと知り、今宵はご報告のために参上いたしました」


 ひどく冷たい声音でナキュルアがいった。報告と彼女はいったが、無論、何のことだかミレーヌにはわからない。


「報……告」


「はい。ご命じくだされました件でございます。ラスムス卿に叛意ありや、否や」


「えっ」


 ミレーヌは息をひいた。ナキュルアの報告の内容が、まさかそのようなことであるとは思っていなかったのだ。


「それを……わたしが命じたという……」


「はい。ラスムス様は近頃シャルロッタ様に接近しているご様子。本心を探れとご命じくだされました」


「あ、ああ」


 確かに見舞いに二人で連れだって現れた。仲は良さそうである。


 けれどラスムスに叛意とはどういうことだろう。ミレーヌの内でギロチンとラスムスが結びついた。


 もしかするとギロチンの原因はラスムスであるのかもしれない。ともかくミレーヌはラスムスを疑っていたようだ。叛意というのだから、反乱のようなことをするかも知れないと疑っていたのだろう。


 ミレーヌの脳裏にまざまざとラスムスの顔が蘇った。よくいえは怜悧な顔つきなのだろあが、いかにも何か企んではいそうではある。


「そ、それで叛意はあるのですか?」


「それは」


 こたえかけて、ナキュルアは不審そうに眉根をよせた。またこの表情である。


「ミレーヌ様、どうかなされましたか?」


「い、いいえ」


 慌ててミレーヌは否定した。そして、まずいと思った。


 シャルロッタやラスムスだけでなく、腹心の部下らしきナキュルアまでもがミレーヌに違和感を抱いている。やはりミレーヌになりすますのは無理なのかもしれなかった。


「な、なぜそう思うのですか?」


 思い切ってミレーヌは訊ねてみた。他の者よりナキュルアの方が口がかたそうに思えたからだ。


「それは……」

 

 こたえにくそうにナキュルアはいいよどんだ。


 するとミレーヌはさらに促した。今後のためにも不審の芽は摘んでおいた方がいいからだ。


「どうしたのですか。理由があるなら早く教えてください」


「そのご様子です」


「わたしの……様子?」


 ミレーヌはぎくりとした。気づかれたと思ったのだ。


 内心の動揺を隠し、慌ててミレーヌは尋ねた。


「わたしの様子がどうかしたのですか?」


「はい」


 ためらいがちにナキュルアはうなずいた。


「いつものミレーヌ様とは違うご様子で」


「いつもの……」


 ミレーヌは声を途切れさせた。やはり気づかれたと思ったのだ。


 まさにナキュルアの指摘は正しい。ミレーヌの様子は違っているのだ。中身が違うのだから。


 まずい。内心、ミレーヌは焦った。


 目覚めたばかりだというのに、もう疑いをもたれている。こんな状態ではすぐに正体が露見してしまうだろう。


 ミレーヌはミレーヌのことを何も知らない。疑いをもたれ、もし詳しく調べられたら、きっとぼろがでてしまうだろう。


 そうなれば悪魔にとりつかれた魔女と断罪されてしまう。待っているのは処刑だ。


 ミレーヌのことをよく知っている人間に近づきすぎるのはまずい。ミレーヌは思った。


 この世界で生き抜くための条件。それは原因そのものを取り除くことだろう。それはミレーヌを知る者を始末する事であるのかもしれなかった。


「ナキュルア」


 ミレーヌはナキュルアを見た。そして訊いた。


「わたしの様子が違ったといいましたよね。どこがどういうふうに違っているのですか?」


「それは……」


 少し考え込んでから、ナキュルアはこたえた。


「優しくおなりになられました。大度も言葉遣いも」


「優しく……」


「そうです。病にお伏せになる前のミレーヌ様は冷酷で尊大。まさに氷の王女様のようでございました」


「そう」


 ミレーヌはうなずいた。メイドたちの様子がおかしい理由がはっきりとわかったのだ。


 怯え。やはりメイドはミレーヌに恐怖していたのだ。


「わたしは身の危険を感じています。わたしに害意を持つ者がいるなら、それは誰か。調べてください」


「はい」


 ナキュルアはうなずいた。そして探るような視線をむけた。


「それで……害意をもつ者かいたとして、どうなさるおつもりですか?」


「さあ」


 ミレーヌは困惑に眉根をよせた。どうすればいいか、今のところはわかっていない。


「まだ決めてはいません。でも必要なら」


 生きる。そのためには全力を尽くさなければならないだろう。


「排除しなければならないかも」


「ふふ」


 ナキュルアは笑った。


「それでこそミレーヌ様です」

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