第30話 審問官

村へと至る会堂にその二人の男女の姿はあった。


 鎧の役目も果たす黒い聖衣をまとっている。異端審問官だ。


「もうすぐね、件の村は」


 女が口を開いた。冷然たる美貌の持ち主だ。名をルーマノアという。


「そうだな」


 ぶすりとした表情で男がうなずいた。聖衣の上からでもわかるほどのがっしりとした体格をしている。名はタルードスといった。


「ゴブリンと共存する村……本当かしら?」


 ルーマノアは首を傾げた。そのようなことは聞いたことも見たこともない。


 ゴブリンは狡猾な怪物だ。そして奴らの獲物は人間である。捕食者と獲物が共存できるはずがなかった。


「さあな」


 タルードスのこたえは素っ気なかった。ゴブリンとの共存など興味はないのである。


「いってみりゃあわかるだろ。それにゴブリンとの共存などどうでもいいね。要はぶっ殺せばいいんだろ」


「ふん」


 嫌悪にルーマノアは顔をしかめた。


「馬鹿はいいわね。何にも考えなくていいから」


「誰が馬鹿だ」


 ぎろりとタルードスはルーマノアを睨みつけた。


「いつも小馬鹿にしたような物言いしやがって。その減らず口をたたけねえようにしてやってもいいんだぜ」


「やるならいつでも相手してあげるけど。でも異端審問官同士の争いは御法度。あなたのせいで断罪対象者にはなりたくないから遠慮しとくわ」


「ちっ」


 タルードスは大きな舌打ちの音を響かせた。




 それから数刻後。二人の異端審問官は村にたどり着いた。


 報告にあったとおり小さな村だ。塀がぐるりと村を取り巻いている。


 小さな門から中に足を踏み入れたとたん、二人は足を凍結させた。異様な光景が二人の眼前にあったからだ。


 ゴブリンがいた。村人たちとともに。


 反射的に二人は身構えた。が、ゴブリンたちが襲いかかってくる様子はない。


 それどころかゴブリンと村人が談笑している。意思の疎通があるのだ。


「お、おい、こいつは……」


 タルードスが声を失った。報告にあったとはいえ、実際にこのような光景を見るとは思わなかったのだ。


 ゴブリンと人との共存。そのようなことが本当にあるとは。


「……まだ共存していると決まったわけじゃないわ」


 ルーマノアが辺りを見回した。村人を脅かしているゴブリンがいないことを探しているのだ。


 眼前の光景を見ても、まだルーマノアには信じられなかった。怪物と人との共存など。


 今まで何度もルーマノアは怪物と戦ってきた。どれも邪悪な存在であった。ゴブリンもまたそうだ。


 ゴブリンどものために酷いめにあった人たちを何人もルーマノアは目の当たりにしてきた。ゴブリンにとって、人間は餌であり、玩具でしかないのだ。


 その時だ。一体のゴブリンがルーマノアたちに歩み寄ってきた。


「旅の方ですか?」


 ゴブリンが笑いかけてきた。邪気のなさそうな笑みだ。


「あ、ああ」


 タルードスがぎごちなくうなずいた。


「そうですか。良い旅を」


 会釈してゴブリンが立ち去っていった。呆然としてルーマノアとタルードスが見送る。


「あ、おい。なんかおかしくないか?」


 ややあってタルードスが口を開いた。そうね、とルーマノアがこたえる。


「わたしたちが知っているゴブリンとは違う。顔つきにしろ、体格にしろ、怪物というより人間に近いわ」


「面白い。もう少し調べてみるか」


 タルードスが歩み出した。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 ドワーフの国は、ペネワーの村から歩いて数週間ほどかかるそうだ。


 森沿いに続く街道。これを辿っていくと山脈にでるらしい。


 フェサッド山脈。その山脈にドワーフの国がある。


 とはいえ、山脈の頂上を目指す必要はないらしい。ドワーフの国は山脈の中腹に存在しているのだ。


 山脈の岩肌。そこを穿って作り上げた街がドワーフの国なのである。


 俺達は街道を使い、フェサッド山脈を目指した。街道をたどっての移動なので迷う事はない。ガガもいるので、安心して俺は足を運んでいた。


 歩き始めて、およそ五時間。俺は一度も休憩していなかった。


 これまでもそうだったが、ほとんど疲れていない。ゾンビーの体力は底なしであるのかも。


「そういうわけじゃあねえ」


 俺の心を読み取ったかのように、ガガが口を開いた。


「そういうわけじゃない?」


「ああ。疲れてないわけじゃあない。ただ、その感覚がないだけだ。体力は確実に減ってるんだ。気をつけた方がいいぜ」


「気をつけた方がいいって……このまま歩き続けたらどうなるんですか?」


「ぶっ倒れるだろうな、そのうち。まあ、ゾンビー──つうか、アンデッドだから死にはしねえけどな」


「アンデッドでも活動するにはエネルギーがいるんですね」


「当然だ。いかに負の存在であろうともな。そのためにゾンビーは生きた人間を襲うし、ヴァンパイアは血を求めるんだ」


「ヴァンパイアも血が必要……だからバベルは他の真祖たちに封印されてしまったんですね」


「そうだ。いかに最強の真祖であるバベルでも、血を摂取しなければあんな様になるってこった。まあ、獣なんかから摂取するという方法もあるんだがな。が、誇り高い真祖のことだ。そんなことはしねえだろうな」


「じゃあ、バベルはずっと血を吸ってないんですか?」


「だろうな。まあ、いつから吸ってないのかはしらんが」


「どうしてバベルは血を吸わなくなつたんですかね。何体もの眷族がいるってことは、それだけ血を吸ってきたってことでしょう?」


「さあな。噂じゃ惚れた人間の女と約束したからってことだが、まあ、噂は噂さ。それに眷族たちも血を吸わなくちゃあどうにもならない者たちだったって聞いたことがあるが」


 俺の脳裏にポラーのことがよぎった。彼女はもう助からない身であり、ご馳走を好きなだけ食べることができるようにとバベルが蘇らせたのではなかったか。


「ともかく他の真祖たちがじっとしているとは思えねえな。バベルの睨みがなくなっちまったんでな。魔王たちも蠢動し始めてるようだし。もしかするととんでもねえことが起こるのかもしれねえな」


「あまり脅かさないでくださいよ。まるで黙示録の最終戦争が起こるような口ぶりですよ」


「脅してねえよ。これは、もしかすると……」


 ガガが口を閉ざした。気になって俺は促した。


「どうしたんですか。何かあるんなら教えてくださいよ」


「い、いや、なんてもねえ。まあ、おまえが怯えることはねえよ。なんていったって、おまえは不死なんだから」


「そうか、よかった。って、おい!」


 俺はガガもいるので、を見上げた。


「俺がよくったってペネワーたちはとんてもないことになっちゃうんじゃないんですか?」


「だろうな。きっと大勢の人間が死ぬ」


「そんな……」


 いまさらながら俺は焦り始めた。もし最終戦争が始まるというのなら、それまでに少なくともバベル並みの力を得なければならなかった。しかし、そんなことが本当に俺にできるのだろうか。


 そんな想いを抱きつつ、俺は歩みを進めた。そしてたどり着いた。


 フェサッド山脈。その峨々たる山の麓に。


 その壮麗な山のただ中に、岩をくり抜いて作り上げられた要塞がある。


 レザスドス。ドワーフの国だ。

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