第29話 マシニュプリ
「……以上が巡教士からの報告であります」
跪いた壮年の男がいった。司祭ハモドスという。
「なるほど」
数段階段を上がった場所に設えられた豪奢な椅子に座した男がうなずいた。
恰幅のいい老人だ。眠そうな目の奥に冷たい光をたたえている。
ヌヴァン。セハトミル教教皇である。セハトミルは救世主として現れると伝えられる女神であった。
「ゴブリンと共存する村。にわかには信じられぬが」
つぶやくと、ヌヴァンは横をむいた。そこには一人の少女が佇んでいる。
煌めく銀髪を背に流した透けるほど白い肌の美少女。どこか神々しささえ感じさせる。
「いかがか、聖女マシニュプリ殿?」
ヌヴァンが問うと少女──マシニュプリは目を瞬かせた。居眠っていたのだが、それは内緒だ。
実のところマシニュプリは朝が苦手だった。血圧が低いこともあるのだが、こっそり手に入れた冒険活劇の読み物を毎夜遅くまで読みふけっているからである。
「ええっと……」
考え込むようにマシニュプリは目を閉じた。なんとこたえたものかと模索する。まさか居眠っていて聞いていなかったとはいえない。
教皇ヌヴァンは厳格な人物である。お小言を聞かされるのは真っ平だった。
考えているふりをしている間に逃げられないものかと願っていると、待ちかねたのかヌヴァンが口を開いた。
「さすがの奇妙な出来事に聖女殿も困っておられるようだ。ともかくもっと詳しい状況が知りたい。異端審問官をむかわせよう」
異端審問官。戦闘に長けた宣教師である。
場合によってはゴブリンごと村人を抹殺。そう考えての処置であった。
一瞬、マシニュプリの顔が険しくなった。ヌヴァンの魂胆を見抜いたからだ。
冷徹なヌヴァン。正義の名のもとにいかなる非道なこともしかねない男だ。
実のところ、マシニュプリはあまりヌヴァンのことが好きではなかった。この男と一緒だと楽しくなかったからだ。
朝はもっとゆっくり眠りたいし、お菓子ももっといっぱい食べたい。それをヌヴァンは許してくれないのであった。
「ケチじじい」
ぽそりとマシニュプリはつぶやいた。するとちらりとヌヴァンが視線をマシニュプリくれた。
慌ててマシニュプリは口を閉ざした。まさかつぶやきが聞こえたはずはあるまいが、どうもヌヴァンという男には油断のならないところがある。
「……異端審問官ですが、誰に?」
ふと思いつき、マシニュプリは問うた。するたヌヴァンはわずかに考え込み、やがて口を開いた。
「タルードスとルーマノアがよかろうと」
ヌヴァンがこたえた。すると司祭ハモドスがわずかに目を見開かせた。
「一件に二人の異端審問官をむかわせるのですか?」
一件に一人の異端審問官。これが通常だ。
それが二人の派遣。この異常事をヌヴァンが重く見ているという証左であろう。
「タルードスとルーマノア……」
マシニュプリの脳裏に二人の男女の姿が浮かんだ。
男は体格のいい無神経な男である。もう一人はすらりとした美少女だ。
一級異端審問官。ともに実力者である。
「なんだか面倒くさいなあ」
ぼそりとマシニュプリは呟いた。
「天気いいなあ」
俺は空を見上げた。どこまでも蒼い空が広がっている。
ペネワーの村からさらに北に進んだ街道。そこで俺は足をとめた。
「なに浮かれてやがんだ」
俺の視線を遮るようにガガが現れた。
「別に浮かれてなんかいませんよ」
「嘘つけ。おまえ、調子にのると鼻の穴広げるよな。さっきから広げっぱなしだぜ」
「うう」
俺は慌てて鼻を手でおさえた。いつの間に俺の癖を見抜いたのか。なんかこいつに嘘は通用しないような気がした。
「しょうがないでしょ。村をゴブリンから救ったんですから。それでペネワーから感謝されたし」
「あの娘の父親は救えなかったけどな」
「うー」
俺は反駁する声を失った。痛いところをつかれたからだ。
ぐずぐずせずに村に戻っていたら。結果は少し違ったものになっていただろう。後悔しても後悔したりないことだった。
ゴブリンたちを眷族にしたならさっさと行動すればよかったのだ。眷族にしたなら──。
ふと思いついた事があった。
「あの……ゾンビーって、喰らったら力にできるんですよね?」
俺はガガを見上げた。すると胡座をかいた格好でガガがうなずいた。
「ああ。それどうかしたか?」
「ちよっと思いついたんですけど……。喰ったら力にできるのなら、いっそのことバベルを喰ったら良かったんじゃないですかね? そうしたら最強の真祖の力を手に入れられたんじゃないかなって」
「ははあ」
ガガがニンマリした。
「気づいたかよ、そのことに」
「えっ」
驚いて俺はガガの端正だが意地悪そうな顔を見直した。どうやらガガはその可能性を承知していたらしい。俺はむかついた。
「知ってたんですか。それなら教えてくれれば良かったじゃないですか。そうしたら今頃俺はバベル並みの力を」
「やっぱ馬鹿だな、おまえ」
小馬鹿にしたようにガガが口の端をゆがめた。
「気づいてなかったようなんで、そのまま放っておこうかと思ってたが。おまえ、俺が云った事を覚えているか。おまえには進化が必要なんだってこと」
「え、ええ」
しばしぶ俺はうなずいた。ガガが何を云おうとしているのかわからない。
喰らえば進化する。ならバベルを喰らえばもの凄い進化を遂げるんじゃないのか。
「で、おまえはどれだけ進化したよ。せいぜいがバグベアを喰らったくらいだろ。そんなおまえがバベルなんか喰らったらどうなると思う?」
「ど、どうなるって……」
俺は声を途切れさせた。なんとなくだがガガが云わんとしていることがわかってきたからだ。
そのことにガガも気づいたんだろう。もう一度ガガはニンマリした。
「ぶっ壊れるんだよ、おまえは。それは、何故か。理由を教えてやろう」
ガガが俺の腹を指し示した。
「確かにゾンビーの胃袋……というか吸収能力は無限だ。いわばおまえの世界の……うーん、なんていったか……そうそう、ブラックホールだ。そのブラックホールみたいにな。とはいえ、実際にはおまえとブラックホールは違う。おまえの場合、まずはその肉体で受け止めなければならないんだよ。あのバベルの力を、な。今のおまえがバベルを喰らったらどうなるか。おまえの肉体は強大すぎる力にたえきれず、爆裂し消滅してしまうだろうな」
「!」
愕然として俺は声を失った。
「そうなんですか……」
俺は肩をおとした。落胆して。やはりそう簡単にはいかない。
「そうなんだよ。今のおまえじゃあポラーですら無理だ。急激な進化は破滅をもたらすんだよ」
「そうですよね。やっぱ地道にやらないとですよね」
俺はため息を零してみせた。どうも俺はすぐに楽をしようするようだ。
このことは反省する必要があった。一介のゾンビーがいきなり真祖と同じになるなんて、やはり無理があるんだ。
「うん?」
分かれ道にさしかかり、俺は足をとめた。真っ直ぐと右斜め前方に道がわかれている。北を目指すのなら当然真っ直ぐ進むべきなんだろうけど。
なんだか気になったので聞いてみた。右斜めに続く道を指し示すと、
「この道を進むと、どこに行き着くんですか?」
「レザスドスだ」
面倒そうにガガがこたえた。
「レザスドス?」
「そうだ。ドワーフ族の国だ」
「ドワーフ族!?」
さすがに聞いたことがある。異世界の住人としてはエルフと並んで有名だ。
「行くのか、レザスドス?」
「はい。行きます!」
はりきって俺はこたえた。できるだけ急いで進化した方がいいんだろうけど、それでもドワーフを見てみたかったからだ。
でも、行って大丈夫だろうか。ゾンビーだと見抜かれないだろうか。村ではばれなかったが、ドワーフ族なら見抜くかもしれない。
その危険性はあった。けれどドワーフに会える期待の方が大きかった。
わくわくして俺はレザスドスへと足をむけた。
「天気いいなあ」
はからずもシェーンと同じ言葉を発する者がいた。吸い込まれそうになるほど蒼く澄んだ空を見上げているマシニュプリである。
場所はセハトミル教大聖堂の中庭だ。様々な色彩と香りが溢れている庭園の中であった。
「ここがいいかな」
ベンチにマシニュプリは腰をおろした。しかつめらしい教会関係者ばかりいるここでの唯一の安らげる場所である。
「えーと」
マシニュプリは辺りを見回した。誰の姿も見えないことを確かめると、聖衣のポケットから小さな袋を取り出す。
中身は焼き菓子だ。調理場からこっそり持ち出してきたのだった。
「食事の時のデザートだけじゃ足りないんだもんね」
舌なめずりすると、マシニュプリは焼き菓子を摘まんだ。口に放り込む。
しゃくしゃくと咀嚼。甘味と香ばしい香りが口いっぱいに広がった。
「くう」
マシニュプリは唸った。やはり甘い菓子は最強だ。
「盗み食いですか、聖女様」
声がした。驚いて顔をむけたマシニュプリは、佇む男の姿を見いだしている。
やや癖のある髪は背の半ばまで。鋭い目つきをしているが、嫌みはない。貴族的な端正な容貌の持ち主だ。
教会関係者ではあるが、しかし聖衣はまとっていなかった。金色の鎧を身につけている。
「せ、聖騎士──クーア様!」
慌ててマシニュプリは口の中の焼き菓子を嚥下した。が、急いでいたためか、嚥下しきれずに喉につまった。
「け、けほっ!」
むせてマシニュプリは咳き込んだ。苦笑してクーアと呼ばれた聖騎士がマシニュプリの背をさする。
「大丈夫ですか、聖女様?」
「は、はい」
涙目でマシニュプリはうなずいた。もう少しで死ぬところだったと思いながら。
聖女、菓子を喉につまらせて死ぬ。洒落にならない最後である。
「そうですか。良かった」
鋭い目つきとは裏腹に、優しい笑顔でクーアはマシニュプリから離れた。
「ありがとうございます、クーア様」
マシニュプリが礼を述べると、クーアは首を左右に振った。
「様はおよしください。我ら聖騎士は聖女様の剣であり、盾でもあるのですから」
「でも」
マシニュプリは頬をわずかに赤く染めた。教会関係者にとって聖騎士は憧れの存在であるからだ。
教会のおいての戦闘部隊。それが聖騎士であった。
クーアはその聖騎士の最高位十二人の一人だ。バベルの眷属ともわたりあえるほどの実力の持ち主といわれていた。
かつて、聖女の死後、あらたな聖女誕生の予言が発せられた。その予言に従い、聖騎士たちは聖女探索を行ったのである。
それで見出されたのがマシニュプリであった。農家の娘としてのびのびと育った彼女は突如ある日、教会に引き取られてしまったのである。
その際、かなりの金が動いた。無論、マシニュプリの知らぬことではあったが。
「ところで、聖女様」
クーアの顔から笑みが消えた。
「お聞きおよびのこととは思いますが。ゴブリンと共存する村があるとか」
「はい」
またそのことか。げんなりした表情がマシニュプリの顔に滲んだ。
「異端審問官を二人、むかわせることになりました」
「聖女様は気に入らないようですね」
「気に入らないということは……ただ」
数瞬声を途切れさせ、マシニュプリはやがて続けた。
「仲良くやっているのなら、放っておいてあげればいいのにって思うのです」
「仲良くですか」
クーアは穏やかに笑った。
「やはり聖女様はお優しい」
クーアがいった。そして、しかし、と続けた。
「仲良くですめばいいのですが、現実はそうあまくはありません。その村も大きな異変の前触れかも」
「そんな」
いいかけたマシニュプリの顔がこわばった。クーアの碧瞳に浮かぶ真剣な光に気づいたからだ。
「恐いこといわないでください」
「脅かすつもりはありませんが。しかし、嫌な予感がするのですよ。かろうじて均衡をたもっているこの世界に何かが起ころうとしているのではないかという」
突如声を途切れさせると、クーアが走り出した。そして空から落ちてきたなにかを受け止める。
おどろいて駆け寄っていったマシニュプリは見た。クーアの掌の上で小刻みに震えている小鳥の姿を。
「どうやらモドバルにやられたようですね」
クーアは空を見上げた。その目は大型の猛禽の姿をとらえている。その姿は通常人の視力では見とめえぬ高空にあった。
「まだ生きています」
沈鬱なマシニュプリの目に小さな輝きがやどった。モドバルの爪にかかったのか、翼がちぎれてしまっている。しかし、まだ命は助かる可能性があった。
マシニュプリは小鳥をクーアから受け取った。その彼女の手が眩く発光する。
すると異変が起こった。小鳥の翼が再生し始めたのである。
神聖魔法の一つ、再生。それは聖女にしか行えない最高度の魔法であった。
「ふうむ」
クーアの口から感嘆の声がもれた。聖女が再生を施すところは何度か目の当たりにしたことがあるが、やはり驚嘆せずにはいられなかった。
小鳥の再生に賢明になっているマシニュプリから目をはなすと、クーアは空にむかって手を一閃させた。
遥か高空であるため、通常人の目にはとまらないが、クーアのそれのみとらえている。モドバルが蒸発する様を。
聖弾。クーアが放ったものである。膨大な聖気を凝縮し、その塊でモドバルを撃ち抜いたのだ。
再生と破壊。相反する効果をもつ、それが神聖魔法の特徴であった。バベルやシェーンが身につけている暗黒魔法にはなし得ぬ奇跡の業である。
「よかった」
ふう、とマシニュプリが吐息をもらした。小鳥が負ったすべての傷が癒されたからだ。
マシニュプリの手から小鳥が飛び立った。何語ともなかったかのように。
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