第27話 俺が来た

「うん?」


 ボーツロフは顔をあげた。蜂蜜酒の入ったグラスをおく。


 物音がした。人の声もするようだ。


 すでに夜は更けている。村の者はたいてい早寝であるので、騒いでいる者などいないはずなのだが。


 ふと気になってボーツロフは玄関のドアを開いた。家屋からもれる明かりと月光で真闇というほどではないが、やはり暗い。それでも幾つかの影が蠢いていることに気づいた。


 こんな夜更けになんの騒ぎだ。馬鹿め。


 腹立たしげに顔をしかめ、ボーツロフは目を眇めた。騒いでいる馬鹿者たちの顔を確かめようとしてのことである。


「あっ」


 愕然としてボーツロフは息をひいた。影の正体を見とめたゆえである。


 影は村の者ではなかった。人間ですらない。


 怪物。ゴブリンであった。


 のみではない。よく見れば、ゴブリンよりも大きな体躯のモノがいる。ゴブリンの上位種であるホブゴブリンやバグベアであった。


「来た……奴らが」


 恐怖にボーツロフは呻いた。そして慌ててドアを閉め、鍵をかけ、奥にむかった。


 奥は寝室だ。すでに妻が就寝していた。


「起きるんだ」


 声をひそめ、ボーツロフは妻を揺り起こした。すぐに妻が目を覚ます。


「どうかしたの?」


 眠そうな声で問う。が、すぐにボーツロフのただならぬ顔つきに気づき、表情をあらためた。


「あなた……何があったの?」


「ゴブリンの襲撃だ。上位種もバグベアいる」


「えっ!」


「静かに」


 ボーツロフは妻を黙らせた。


「俺は外に出て、無事な者をまとめて反撃する。お前はペネワーとここに隠れているんだ。が、もしもということもある。その場合は裏から逃れんだ」


「で、でも」


「でもじゃない。お前とペネワーはなんとしても助からなればいけない。だから、今は隠れているんだ。俺が出た後、テーブルなどでドアをふさぐことも忘れるな」


「わ、わかりました」


 震える声でこたえ、妻はうなずいた。


「あなた、気をつけて。無事に戻ってきてね」


「わかっている。ペネワーな花嫁姿を見ずに死ぬことなどできるもんか」


 快闊に笑うと、ボーツロフは部屋を飛び出した。



 ボーツロフが飛び出したのは裏口であった。こちらの方にはまだゴブリンの姿はない。


 裏に転がっていた棒を拾い上げ、ボーツロフは走った。まだゴブリンの被害が及んでいない家屋めざして。


 村の端。やはり、まだゴブリンの姿はない。


 一件の家屋めがけてボーツロフは走った。


 刹那である。棒が唸りをあげてボーツロフに迫った。とっさにボーツロフが自らの棒で受け止める。


「ボーツロフ!」


 棒の主から愕然たる声が発せられた。


 ベッヒ。それはボーツロフがめざしていた家屋の主であった。


「脅かすな、ゴブリンかとおもったぞ」


「こっちこそ驚いたぞ。それよりもゴブリンだ。襲撃してきた。男たちを集めて反撃するんだ」


「わかった」


 おびえた顔で、それでもベッヒは駆け出していった。ボーツロフもまた駆けだそうとし──。


 思わず脚をとめた。ぬっと大きな影が立ちはだかったからだ。


「バグベア!」


 ボーツロフが叫んだ。刹那、バグベアの手がのびた。ボーツロフの首をがっきと掴む。


「く、くそっ」


 ボーツロフはもがいた。が、バグベアの膂力は人間より上だ。力業で逃れられるはずものい。


 ボーツロフの意識が薄れていった。その時だ。衝撃がボーツロフの身体を襲った。バグベアがボーツロフを地に叩きつけたのである。


「ぐふっ」


 口から血反吐を吐き、ボーツロフは悶絶した。が、バグベアはボーツロフをそのままにするつもりはないようだ。


 バグベアは足を踏み下ろした。ボーツロフの顔面に。


 ぐしゃりと何かが潰れる気味悪い音がした。同時に赤黒い血が飛び散る。


「グアハハ」


 血と暴力に酔っているのか、笑いながらバグベアはさらに足を踏みおろした。



 騒ぎは相変わらず続いている。いっこうにおさまる様子はなかった。


 心配そうにペネワーは二階の窓から外を窺った。


 異様な物音が響いていた。怒号や雄叫び、そして悲鳴。暗くて良く見えないが、恐ろしい惨劇がくりひろげられているはずだった。


「父さん」


 父の事を思い、ペネワーの口から声がもれた。


「父さん、大丈夫かな」


「大丈夫よ、父さんは。心配ないわ」


 母親はこわばった笑みを顔にうかべた。


 数であるなら村人の方が多い。けれど戦える者の数は少なかった。これで、本当に奇襲を仕掛けてきたゴブリンに勝てるのだろうか。


 母親の目に抑えようのない不安の色がにじんだ。


 その時だ。ドン、と重い音が響き、家が揺れた。何らかの衝撃が家を襲ったのだ。


 慌てて母親は階段を駆け下りた。辺りを見回す。


 再び重い音が響いた。玄関のドアが軋んでいる。何者か──ゴブリンだろう──が押し入ろうとしているのだ。


 悲鳴を押し殺し、母親は階段を駆け上がった。窓際で震えているペネワーに低めた声で告げる。


「ペネワー。逃げるわよ」


「に、逃げる? 母さん、何が」


「静かに」


 いいかけたペネワーを母は制した。


「ゴブリンが表にいるの。中に入ろうとしているわ」


「えっ」


 恐怖にペネワーは目を見開かせた。ゴブリンに襲われた場合、女がどうなるか村の者なら誰もが承知している。


「ど、どうしよ、母さん」


「逃げるの、すぐに」


「に、逃げるって……どこに?」


「わからない。ともかく村から出るの。すぐに」


 いうと、母親は階段を駆け下りた。後にペネワーも続く。


 ドアが複数の衝撃に軋んでいた。破られるのも時間の問題だろう。


 母親は裏口のドアをわずかに開いた。外の様子を窺う。


 ボーツロフと時と同じように、裏にゴブリンの姿は見えなかった。どうやら表の方で暴れまわっているらしい。


「いくわよ。母さんから離れないで」


 命じると、ペネワーの手をひいて母親は家から滑り出た。辺りを見回す。


 騒ぎは村の中央で大きくなっているようだ。村の入口は静かであった。


「今のうちに村からでるわ。いいわね」


 ペネワーに母親が告げた。そして走り出す。


 その時だ。自宅の中から大きな音が響いてきた。ドアが破られたのだ。


 背後でうなり声がしている。ゴブリンに見つかったのだ。


「急いで!」


 悲鳴に似た声を発し、母親は脚を速めた。距離は少しだが、ある。


 が、ゴブリンの疾走速度の方が速かった。村の入口まであと少しというところで、ついにペネワーたちはゴブリンに追いつかれてしまったのだった。


 掴みかかられ、ペネワーが転倒した。鋸のような歯をむき出してゴブリンがのしかかる。


「ペネワー!」


 母親が駆け寄り、ゴブリンを突き飛ばす。体格としては大人と子供だ。ゴブリンが地に転がった。


「立って、ペネワー!」


 手を掴んで、母親はペネワーを引き起こした。が、その母親に他のゴブリンが襲いかかった。


「きゃあ!」


 体格では勝っているものの、複数のゴブリンに掴みかかられ、母親が倒れた。雄叫びをあげながら、ゴブリンたちが母親に群がる。


 ゴブリンの良い汚れた爪が母親の服を引き裂いた。みるみる裸身が露わとなる。殺すのではなく、陵辱するつもりなのだった。


「母さん!」


 ペネワーが叫んだ。母親が叫び返す。


「逃げて、ペネワー! 逃げるのよ!」


「でも」


「逃げるの、ペネワー! 最後くらい母さんのいうことを聞きなさい! お願い、逃げて!」


「くっ」


 唇を噛み締めて、ペネワーは背を返した。走り出す。



 そうと気づいて、一匹のゴブリンが母親から離れた。ペネワーを追って走り出す。


 村の入口まであとまずか。が、間に合わなかった。ペネワーはゴブリンに追いつかれたのだ。


 押し倒され、ペネワーに地に倒れた。背中を強打し、息をつめる。すぐには動けなかった。


 逃げなくちゃ。


 そう思って焦るが、起き上がることはできない。すぐにゴブリンがのしかかってきた。


「グギャア」


 ペネワーの顔に臭い息を吐きかけ、ゴブリンがニンマリした。ペネワーの顔にペチャリとゴブリンの涎が滴り落ちる。


 歯をむき出し、ゴブリンがペネワーの衣服の胸元に爪をかけた。一気に引き裂き──。


 爪がとまった。引き裂かれることはない。何が起こったのか──。


 ペネワーはきつく閉じていた目を開いた。そして、見た。ペネワーに跨がっていたゴブリンが上半身を仰け反らせていることに。


「な、何が……」


 ペネワーの口から声がもれた時だ。ばたりとゴブリンが倒れた。


 そのゴブリンの姿は異様だった。頭部が半壊していたからだ。


 ペネワーは慌てて身を起こした。急いで辺りを見回す。


 その視線が一点でとまった。村の入口で。


 そこに人影があった。人差し指を真っ直ぐにペネワーの方にむけている。それは──。


「シェーン様!」


 たまらずペネワーは叫んだ。こたえるように人影は──俺は大きくうなずいてみせた。


「もう心配はいらない。俺が来た」


 俺は告げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る