第25話 ゴブリンの進化
やがて俺たちはヘデチュイという村に着いた。近くに森のある小さな村だ。
が、俺は違和感を覚えた。しっかりした柵が村を取り囲んでいるからだ。
俺が知る日本の村の様子とは違う。何か物騒な感じがした。
(当然だ)
俺だけに聞こえるガガの声がした。
(当然?)
心の内で俺は首を傾げた。
(ああ。お前が以前にいた日本という国は怪物なんかいないんだろう?)
(そう……ですね)
俺はうなずいた。
確かに日本には人を襲う怪物なんかいない。熊のような猛獣はいるが、それが人間を襲うのは稀であった。危険という意味においては、この世界の比ではない。
ペネワーが案内してくれたのは、一際大きな家屋だった。村長の家であるらしい。ペネワーは村長の娘だったのだ。
「ただいま」
ドアをくぐると、ペネワーが声をあげた。すると二人の男女が駆け寄ってきた。おそらくペネワーの両親だろう。
「遅かったじゃないか。心配してたんだぞ」
父親らしき男が怒気を含んだ声を出した。
「ごめんなさい。実は」
ぺこりと頭を下げてから、ペネワーは説明を始めた。ゴブリンに襲われた経緯を。
「なんてこと」
母親らしき女が絶句した。父親らしき男は眉間に皺を寄せると、
「だからいったんだ。一人で村を出るなって。それをお前は勝手に」
「だから、それはごめんなさいって。それよりもお父さんからもお礼をいって。わたしを助けてくれた魔法使い様に」
「あ、ああ。そうだな」
多少あわてた様子でペネワーの父親は俺に頭を下げた。
「ありがとうございます。娘を助けていただいたようで。わたくしはペネワーの父でボーツロフ・ボックと申します」
「あ、ああ。俺……いや、私はシェーン。旅をししています」
「そうですか、旅を」
「お父さん、お願いがあるの」
ペネワーが口を開いた。
「もうすぐ日が暮れるでしょ。だからシェーン様にお泊まりいただたらどうかなと思って」
「それはかまわないが。いや、それどころか是非とも泊まっていただきたい。娘を助けていただいた礼をさせていただきたいからな」
「よかった!」
手を叩いてはしゃぐと、ペネワーは俺を見つめた。
「ねえ、シェーン様。泊まっていってください。お願い。なにもないけれど暖かい食事やベッドもあるし、湯浴みもできるし。旅の疲れも癒せると思うんです」
すがるようにペネワーがいう。確かに魅惑的な申し出であることには違いなかった。
まあ、食事には興味はないが、ベッドは有り難かった。洞窟の中じゃあ、ずっと地面で横になっていたから。
とはいえ、眠っていたわけじゃなかった。ゾンビーに睡眠は必要ないからだ。習慣みたいなものである。
「あ、ああ。じゃあ、そうさせてもらおうかな。今夜だけお世話にならせてもらおうか」
一抹の不安を抱えつつ、俺はこわばった笑みを浮かべた。
そして、夜。
湯浴みした後、俺は食卓についていた。テーブルの上にはパンに似た食べ物と肉と野菜を煮込んだもの、サラダが並んでいた。
ごくりと俺は喉を鳴らせた。普通の食事に食欲がわいたのだ。
おかしい。俺は首をひねった。
ゾンビーは人肉に対してのみ飢えがあるはずだ。当初は俺もそうだった。
が、あまり腹が減らなかったせいで意識してなかったけれど、人肉に対する飢えが少なくなっているような気がする。代わりに普通の食事に対して食欲がでてきたような……。
ともかく俺は食事を始めた。ペネワーが興味津々といった様子で色々と尋ねてくるが、適当に誤魔化す。いつしか話題はゴブリンのことになっていた。
「最近、近くの森にゴブリンが住みつくようになりまして」
重い声でボーツロフがいった。陰鬱な顔つきをしているところからみて、よほど困っているらしい。
「じゃあ村から出るのは危険なのでは?」
俺が訊くとボーツロフはうなずいた。
「はい。常にというわけではないのですが、時折ゴブリンの群れと遭遇する事がありまして」
「それで……」
俺は納得した。ペネワーが村から出たことに対して彼が激怒したのはこういう理由があったんだ。
「それはお困りですね。村から簡単に出ることができないとなると」
俺はいった。生活する上で村に閉じこもっているわけにはいかないだろうからだ。
村ですべてがまかなえるならいい。けれど実際は行商人などに頼らなければならないこともあるはずだ。
が、ゴブリンがいれば村の出入りは制限されてしまうだろう。ゴブリンといえども小さな村にとっては重大な脅威だろうから。
「けれど村が襲われることはないのでょう?」
俺は訊いた。嫌な予感がしたからだ。するとボーツロフは重いため息を零した。
「今のところはまだ。しかし、いずれは襲ってくるでしょうな。奴らが森に住みついているかぎりは」
「いずれ……」
俺はちらりとペネワーを見た。ゴブリンに襲われたことを思い出したのか、顔色をなくしている。
ゴブリンに襲われたなら、彼女はどうなるか。ガガから聞いたところではゴブリンは女性を陵辱するという。ペネワーの運命は察して然るべきだ。
可憐な少女がゴブリンに陵辱される様を脳裏について思い描いて、俺は吐き気を覚えた。人間同士のセックスなら興奮もするだろうが、獣姦は趣味じゃない。
「明日、その森にいってみます」
俺はいった。すると、はじかれたようにペネワーが立ち上がった。
「だめです、シェーン様。森はゴブリンの巣窟です。何匹いるかしれません。魔法使い様でも危険です」
「大丈夫だよ。様子を見てくるだけだから。手を出したりはしないよ」
俺がいうと、ペネワーは安堵したしたように胸をなでおろした。
やはり可愛い。俺の脳裏にポラーの面影がよぎった。
森は村の近くにあった。かなり深い森だ。
俺は、しかし森には入らなかった。街道を戻る。
「この辺りか」
俺は足をとめた。街道脇の林に足を踏み入れる。
いた。三匹のゴブリンが。噛み裂いたのでアンデッド化しているはずだ。
ちなみにペネワーを助けた時に捕らえたゴブリンは村を出る時に始末した。死体は森に放り込んである。
「うん?」
俺は首を傾げた。ゴブリンの様子がおかしかったからだ。
座っているのでよくはわからないのだが、なんか大きくなっているような気がする。
確か低学年の小学生くらいの大きさだった。それが高学年くらいの大きさになっているようだ。
それに顔つきも変わっている。下卑た獣のような面から、どこか人間めいた理性のようなものが感じられる顔になっているような気がした。
「主様」
俺を見とめ、ゴブリンたちの顔が喜色に輝いた。
やはり、おかしい。単純にアンデッド化したのではないような気がする。
「進化したんだよ」
ガガの声。見上げると、空に座した格好のガガの姿が見えた。
「進化? アンデッド化じゃなく?」
バグベアのことを思い出して、俺は訊いた。アンデッド化した対象は身体能力が増大するらしいが、眼前のゴブリンたちはなんだか違う気がする。
「ああ、進化だ。お前が進化すると、お前が眷族にしたアンデッドもまた進化する。ゴブリンは上位の存在になったのさ。とはいえ、お前と違って進化には上限があるが。それに、まあ、お前の進化が対象より上回っている場合だな」
「ゴブリンよりも上位の存在……」
どうも俺のわからないことがまだあるようだ。が、それを考えていてもはじまらない。今は森に住み着いているゴブリンをどうするかだ。
進化に関係ないゴブリンなんか放っておいて北を目指す方がきっといいのだろう。が、俺にはできない。ペネワーがもしひどい目にあってしまったら、俺は俺を許すことはできないだろう。
やはり、やる。ゴブリンどもを始末する。
「この先の村の近くにゴブリンどもが住んでいる。お前たちの仲間か?」
俺が訊くとゴブリンたちがうなずいた。やはり、そうだ。なら、こいつらも使いようがある。
「蜘蛛の糸から解放してやる。だから、俺をゴブリンの住処まで案内してくれ」
「それはかまいませんが」
ゴブリンの一匹が口を開いた。
「主様は我々の仲間をどうされるおつもりなんですか?」
「それは」
皆殺しにする、とはいえなかった。人に害をなす怪物であるから放ってはおけないのだろうが、それは人間側の理屈である。
ゴブリンには、きっとゴブリンとしての理屈があるのだろう。蛇が鳥の卵を狙っていたとしても、蛇のその行為を責めることはできない。
とはいえ、やはりゴブリンをこのまま放っておくわけにはいかなかった。何らかの手をうつ必要があった。
ふと思いついて、俺は訊いてみた。
「お前たち、俺にアンデッド化されたんだが、本当のところ、どんな気分なんだ?」
「それは気持ち良うございます」
別のゴブリンがこたえた。目を感激に潤ませている。
「まるで長い眠りから覚めたような。そのような心地です」
「ふうん」
俺は唸った。ゴブリンの変化は、より高い理性や知性に目覚めたからかもしれない。ともかくアンデッド化にともなう進化はわるいことではないようだ。
「さっきの質問のこたえだが。おまえたちと同じように中間もしてやろうと思う。それなら文句はないだろう」
「はい、それなら」
ゴブリンたちが安堵の笑みを満面にうかべた。うなずくと、俺は蜘蛛の糸から彼らを解放。すぐにゴブリンたちは立ち上がった。
「じゃあ、おまえたちの仲間のところまで案内してくれ」
「承知しました」
生まれ変わったような顔つきのゴブリンたちは歩き出した。
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