第24話 ゴブリン

 俺は道を進んでいた。とりあえず北をめざして。


 当面の目的があるわけではなかった。まずはどこかの街や村にたどり着こうと思っている。


 俺の頭上にはつまらなそうな顔のガガが浮かんでいた。ガガのいうところでは俺以外には誰にも見えないらしい。


 今のところ何も問題は起こっていなかった。


 一度、野犬のような獣に遭遇したが、すぐに獣は逃げていった。どうやら格の違いに気づいたようだ。


 面倒がなくていい。と、俺は思ったが、逆にいえば格上の怪物なら平然と襲ってくるということだ。用心しなければならなかった。


 そして、問題は突然起こった。怪物の集団と遭遇したのである。


 眼前に十数体の怪物が現れた。当然、日本では見たこともない奴らだ。


 小学生ほどの小柄な体躯。薄汚れた身形。品性のかけらもない邪悪そうな顔つき。


 頭は良くなさそうだった。けれど棍棒や錆びた剣などを持っている。武器を使うという知性はあるようだった。


 こいつらはゴブリンという怪物らしい。ファンタジーに詳しくない俺にはわからなかったが。後でガガに教えてもらった。


 ゴブリンどもが牙をむいた。ゾンビーである俺を敵とみなしたようだ。


「うっ」


 俺はわずかに後退った。一瞬だがびびってしまったのだ。


 子供ほどの体躯といっても中型犬ほどの大きさがある。それが武装しているのだ。


 おまけに凶暴。さらには多勢。


 侮った低級リーガーが往々にして返り討ちにあうと、これも後ほどガガから教えられることになるのだが、それもやむなしと思えた。


 けれど俺は低級リーガーじゃない。少なくともバグベアと同程度の戦闘力は有しているんだ。


 俺が恐れているとみなしたのだろう。ゴブリンたちはいっせいに襲いかかってきた。


 思い直した俺はゴブリンを迎え撃った。バグベアの膂力を秘めた腕でゴブリンを薙ぎ払う。


 前方から襲いかかってきた三匹のゴブリンを吹き飛ばした。地に叩きつけられたそいつらがゴロゴロと地を転がる。


 一匹のゴブリンの頭蓋が粉砕されていた。うっかりして手加減することを忘れていたようだ。


 手に気味悪い液体が付着していた。血と脳漿だろう。


 ゴブリンどもが慌てて俺との距離をとった。今の俺の一撃で侮ってはらないと警戒したのだ。


「あれ?」


 俺はゴブリンどもを見回した。よほど警戒しているのか、距離をとったのみで動かない。


「こないのか? なら、俺は行くぞ」


 俺は告げた。思ったより弱くて相手にならないからだ。


 これでは進化できるかわからない。そんな奴を相手にしている余裕はなかった。


 俺は歩き出した。すると背後から数匹襲いかかってきた。


 ふいをついたつもりなのだろうが、お見通しである。小狡そうな奴らのやり口はいつも後ろからの攻撃だ。


 背後も見ずに俺は蜘蛛の糸を放出した。蜘蛛の第六感も会得しているのか、位置はおおよそわかる。


 鞭のようにしなった糸がゴブリンたちを縛り上げた。もう奴らは動けない。バグベアさえ逃れることのかなわない糸なのだから。


 ゴブリンに歩み寄ると、俺は三匹の首を噛み裂いた。少しは進化の足しになるかもしれないと思って。


「たいしたことはないな。ゴブリンの俊敏性を身につけたくらいか」


「俊敏性……」


 ガガの指摘に、俺はうなずいた。確かに少しだけ身が軽くなったような気がする。蜘蛛の方が素早かったが、それは喰らえなかったようだ。


 俺は周囲を見回した。他のゴブリンは逃げてしまったようだ。


 わざわざ追ってまで斃すつもりもないので、俺は再び旅を再開した。そしてある村までたどり着いた。


 それはヘデチュイという村だった。


 事件が起こったのは、村まであと少しというところである。村人らしき人影が必死の態で駆けているところに遭遇したのである。


 女性は十代半ばほどの少女のようだ。鮮やかな赤髪を翻して走っている。本来は可愛らしいであろう顔が恐怖にゆがんでいた。


 少女の背後。緑灰色の短躯の怪物の姿があった。ゴブリンだ。


 数は三匹。少女を追っているのだ。


「またあいつらかよ」


 うんざりして俺は舌打ちした。弱い奴らを相手している暇はないからだ。


 すると、ぼそりとガガがいった。


「どうした? 早く助けてやれよ。ゴブリンは女を陵辱するぞ」


「陵辱ですと!?」


 俺は思わず叫んでしまった。そんなエロい展開が待っているとは思わなかったからだ。


 怪物に陵辱される美少女。なんという背徳的な光景だろうか。


「ってか、俺の馬鹿!」


 俺は慌てて駆け出した。蜘蛛の糸を噴出。ゴブリンどもを縛り上げた。


そのことに気づいたのだろう。少女が足をとめた。信じられない者を見るように目を見開き、俺とゴブリンを交互に見つめる。


「あ、ああ。もう大丈夫だから」


 慌てて俺は笑いかけた。少女を安心させるために。


 すると少女はほっと吐息をこぼした。胸をなでおろす。助かったことを実感したようだ。


「あの……あなたが助けてくれたの?」


「ああ。まあ、そうかな」


 俺はうなずいた。すると少女の目がゴブリンを縛り上げてんいる蜘蛛の糸に吸い寄せられた。


「これは……あなたが? 魔法?」


「ま、まあ、そんなものかな」


 俺はごまかした。まさか蜘蛛を喰らって得た業とはいえない。


 ともかく俺は安堵した。どうやらゾンビーであることは気づかれていないようだ。いや──。


 少女の口がわなわなと震えている。俺がゾンビーであることに気づいた──。 


「すごおい!」


 少女が嘆声をあげた。顔を上気させている。


「魔法を使えるなんて、あなた、魔法使いなのですね。はじめて見ました、魔法と魔法使い!」


「そ、そうなの」


 まぶしそうに見つめてくる少女を見返し、俺は複雑な心境になった。確かに魔法を使えるけれど、だからといって魔法使いというわけではない。ゾンビーなんだから。でもゾンビーともいえないし……。


「ありがとうございます。助けていただいて。ゴブリンに追いかけられてしまって。あなたがいなければきっとひどいめにあっていたと思います。あの……旅をしていらっしゃるんですか?」


「あ、ああ。旅の途中だよ。北を目指してるんだ」


「北へ……なら」


 少女の顔に喜色がういた。そして勢い込んだように続けた。


「わたしの家に来ていただけませんか? 両親に助けていただいたことを知らせないといけないし。それにもうすぐ日が暮れます。そうなると危険だし。よかったらわたしのところに泊まっていってください」


「え、ええ!?」


 俺は絶句した。いきなりの少女の申し出であったからだ。


 俺は礼が欲しくて少女を助けたんじゃない。ましてや一夜の宿を求めてなんかじゃ。


 はっきりいって少女の申し出は迷惑ですらあった。あまり身近に接していたら、何時俺がゾンビーであるとばれてしまうか知れないからだ。


「いや、俺は礼をしてもらおうと思ってしたことじゃないから。野宿は慣れているんで」


「だめですよ!」


 少女は飛びつくようにして俺の手をとった。ぎゅっと握りしめる。


「いくら魔法使いでも気をつけなければいけません。助けていただいたあなたに野宿なんてさせるわけにはいかないし。さあ、わたしの家に来てください」


 いうと、少女は否やをいわせないように俺の手を引っ張るようにして歩き出した。


「わたしはペネワー。あなたは?」


「シェーン」


 俺はこたえた。



 やがて俺たちはヘデチュイという村に着いた。近くに森のある小さな村だ。


 が、俺は違和感を覚えた。しっかりした柵が村を取り囲んでいるからだ。


 俺が知る日本の村の様子とは違う。何か物騒な感じがした。


(当然だ)


 俺だけに聞こえるガガの声がした。


(当然?)


 心の内で俺は首を傾げた。


(ああ。お前が以前にいた日本という国は怪物なんかいないんだろう?)


(そう……ですね)


 俺はうなずいた。


 確かに日本には人を襲う怪物なんかいない。熊のような猛獣はいるが、それが人間を襲うのは稀であった。危険という意味においては、この世界の比ではない。


 ペネワーが案内してくれたのは、一際大きな家屋だった。村長の家であるらしい。ペネワーは村長の娘だったのだ。


「ただいま」


 ドアをくぐると、ペネワーが声をあげた。すると二人の男女が駆け寄ってきた。おそらくペネワーの両親だろう。


「遅かったじゃないか。心配してたんだぞ」


 父親らしき男が怒気を含んだ声を出した。


「ごめんなさい。実は」


 ぺこりと頭を下げてから、ペネワーは説明を始めた。ゴブリンに襲われた経緯を。


「なんてこと」


 母親らしき女が絶句した。父親らしき男は眉間に皺を寄せると、


「だからいったんだ。一人で村を出るなって。それをお前は勝手に」


「だから、それはごめんなさいって。それよりもお父さんからもお礼をいって。わたしを助けてくれた魔法使い様に」


「あ、ああ。そうだな」


 多少あわてた様子でペネワーの父親は俺に頭を下げた。


「ありがとうございます。娘を助けていただいたようで。わたくしはペネワーの父でボーツロフ・ボックと申します」


「あ、ああ。俺……いや、私はシェーン。旅をししています」


「そうですか、旅を」


「お父さん、お願いがあるの」


 ペネワーが口を開いた。


「もうすぐ日が暮れるでしょ。だからシェーン様にお泊まりいただたらどうかなと思って」


「それはかまわないが。いや、それどころか是非とも泊まっていただきたい。娘を助けていただいた礼をさせていただきたいからな」


「よかった!」


 手を叩いてはしゃぐと、ペネワーは俺を見つめた。


「ねえ、シェーン様。泊まっていってください。お願い。なにもないけれど暖かい食事やベッドもあるし、湯浴みもできるし。旅の疲れも癒せると思うんです」


 すがるようにペネワーがいう。確かに魅惑的な申し出であることには違いなかった。


 まあ、食事には興味はないが、ベッドは有り難かった。洞窟の中じゃあ、ずっと地面で横になっていたから。


 とはいえ、眠っていたわけじゃなかった。ゾンビーに睡眠は必要ないからだ。習慣みたいなものである。


「あ、ああ。じゃあ、そうさせてもらおうかな。今夜だけお世話にならせてもらおうか」


 一抹の不安を抱えつつ、俺はこわばった笑みを浮かべた。

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