第23話 ミレーヌ

 うーん。どうしたんだろう?


 森高真由の意識が闇の底から浮かび上がった。


 ゆっくりとではあるが、目を開こうと試みる。が、わずかにしか開くことはできなかった。


「ああ!」


 悲鳴のような声が響いた。驚いた真由が目をむけると、女が口に手をあてている。


 十代半ばくらいの年ごろだろうか。きれいな銀髪の美少女だ。


 変わった格好をしていた。黒のドレスに白のエプロン。頭には白いフリル付きのカチューシャ──ホワイトブリム。


 メイド?


 何が何だかわからない。メイドを雇うほど裕福ではないし、メイド喫茶に行った覚えもない。


「お嬢様が目を覚まされた!」


 メイドらしき少女が大きな声で叫んだ。お嬢様という言葉が自分をさしているのだというのとは、しばらくしてからわかった。


 それで事態が変わったわけではない。むしろ混迷の度が深まっただけだ。


 お嬢様、とはどういうことなんだろう。お嬢様なんて呼ばれる覚えはなかった。


 ともかく真由は身を起こそうともがいた。が、それはかなわなかった。


 何だかとてもだるく、疲れていた。もしかすると病気なのかもしれない。


 風邪?


 そんなことを由真が思っていると、二人の男女が部屋に駆け込んできた。恰幅のいい壮年の男性と大人しそうな女性だ。


 二人とも彫りの深い相貌の持ち主だった。西洋人であることは間違いない。


「ミレーヌ!」


 女性が叫んだ。声に喜色が滲んでいる。


 ミレーヌ? 誰のことなんだろう?


 そんなことを真由が思っていると、女性が真由の傍らに屈み込んだ。そして真由の顔を覗き込んできた。


「おお、ミレーヌ。本当に目がさめたのね」


 女性の目から涙が滴り落ちた。どうやらミレーヌとは真由のことらしい。女性は間違いをおかしていた。


 すると男性が真由の手を握りしめた。彼の口からもミレーヌという言葉がもれる。この男性もまた間違っているのだった。


 何がどうなっているのか、わからない。真由は混乱した。


 ミレーヌという名前からして、彼らの知る人は西洋人だろう。真由は整った顔を持ち主だったが、それでも西洋人と間違われるような容貌ではなかった。


 では、どうして彼らは真由のことをミレーヌと呼ぶのか。わからない。


 その理由がわかるのは、しばらく経ってからのことだった。


 どうやら真由はミレーヌという少女になったらしい。他の者たちの接し方でわかった。鏡をみたのだが、そこには知らない美少女がいた。


 輝く金髪に澄んだ青い瞳。透き通るほど白い肌。明らかに西洋人だ。


 かすかな記憶があった。流行りの感冒で入院した記憶だ。ひどく熱がでたのをおぼえている。 


 意識がとんでしまったような気がした。幽体離脱とはこういうものなんだな、と思った記憶がある。


 次に目覚めた時はベッドの上だった。いつの間にかミレーヌと入れ替わっていたのである。


 どうして──なのかは、わからない。けれど、どうなったのかはなんとなく真由には想像がついた。


 真由とミレーヌ。共通点はある。それは二人とも熱病にうかされていたことだ。


 もしかすると真由は実際に幽体離脱していたのかもしれない。そしてミレーヌもまた。


 どうすればそのようなことになるのかわからないが、離脱した幽体が偶然入れ替わってしまったのではないか。そう真由は考えたのだ。


 こうなればミレーヌが宿っているはずの自分に会わなければならない。きっとミレーヌも戸惑っているはずだ。


 ともかく真由は自身のおかれた状況を探ろうとした。ここがどこで、そしてミレーヌは何者であるかなどだ。


 状況がわかれば自宅に戻り、ミレーヌに会い、今後のことを話し合うこともできるだろう。そう真由は考えたのである。


 そして──。


 調べるうち、真由は驚くべきを知った。この世界には日本などないということである。


 異世界。そう、ここは異世界だったのだ。


 キーオイラ。この世界はそう呼ばれているらしい。


 ドラゴンや魔法が実際に存在する。まるでファンタジーのような世界だったのだ。


 他にもわかったことがある。最初に見た二人の男女。


 彼らは伯爵夫妻で、真由──つまりはミレーヌの両親だった。父はバドス・デュボアといい、母はビアレナ・デュボアという。


 父は辺境のセロノアを治めている辺境伯だった。ということは、ミレーヌは辺境伯令嬢ということになる。


「ミレーヌ姉様」


 声がした。聞き覚えのない声である。


 が、何者であるのかの見当は真由──ミレーヌにはついた。姉様と呼ぶくらいだから妹なんだろう。


「あ、はい。どうぞ」


 慌ててミレーヌはこたえた。するとガチャリとドアが開いた。


 慎ましやかに顔を覗かせたのは優しげで華やかな顔の美少女だった。母親であるビアレナにどこか似ている。


 ミレーヌにはあまり似ていなかった。おそらくミレーヌは父親であるバドスに似ているのだろう。


 妹とは違い、ミレーヌには優しそうな雰囲気はまるでなかった。冷たそうな美貌たった。


「シャルロッタです。入ってもよろしいですか?」


 おずおずとした口調で美少女──シャルロッタがいった。


「あ……え、ええ」


 一瞬迷ってから真由はこたえた。


 入れ代わっていることが知られていいのか。まだ真由にはわかっていなかった。


 それで妹と会っていいのか。懸念があった。ばれるかもしれないという懸念が。


 同時に、こうもミレーヌは思っていた。魂が入れ替わったなどという事実を信じる者などいるのだろうか、と。


「よかった。姉様がお元気になられて」


 椅子から立ち上がったミレーヌに歩み寄ると、シャルロッタは微笑んだ。天使のような笑みである。


「ありがとう」


 とりあえずミレーヌは礼を述べた。下手なことは喋らないように自戒しつつ。


「姉様。ご挨拶にうかがったのはわたしだけではないのですよ」


 シャルロッタがいった。すると彼女の後ろに人影が現れた。


 二十代後半の男性。理知的な顔は貴族的で端正といえた。が、どこかひやりとする冷たさをもっている。


「ラスムス・ストランドです」


「ラスムス……」


 ミレーヌはつぶやいた。ラスムスなんていう男性は知らない。まあ、記憶にないだけだろうが。


 が、男性は身分の高い人物であろうことは想像できた。伯爵令嬢と会うことができるのだから。見ためや立ち居振る舞いからして貴族であることは確かだった。


 男性──ラスムスが微笑んだ。そして続けた。


「ご回復されてなにより。喜びにたえません」


「ありがとうございます」


 ミレーヌが頭をさげた。


 するとラスムスが怪訝そうに眉をひそめた。いや、ラスムスだけではない。妹のシャルロッタもまた。


 何かおかしなことをしてしまったのだろうか。


 ミレーヌは必死になって行いを反芻した。


 シャルロッタとラスムスがやってきてからしたことといえば、挨拶や礼を口にしただけだ。正体が露見するようなことはしていないはずであった。


「姉様。あの……」


 シャルロッタが困惑した顔で口を開いた。


「おかげんが、その……やはり良くはないのですか?」


「そんなことは」


 ミレーヌは首を横に振った。そして、どうして、と続けた。


「そんなことをいうのですか?」


「それは」


 シャルロッタとラスムスが顔を見合わせた。わずかに逡巡した後、シャルロッタが口を開いた。


「姉様の様子が……その……普段と少し違っているようだから」


「えっ」


 ミレーヌは息をひいた。


 やはりミレーヌらしからぬ点が現れてしまったのだ。が、ミレーヌがどのような人物像であるのか知らないのだから、それも仕方のないことではあった。


「ご、ごめんなさい。まだ気分がすぐれなくて」


 ミレーヌは慌ててごまかした。


「少し横になります」


「ごめんなさい、気がつかなくて」


 慌ててシャルロッタが謝罪した。ラスムスも謝罪し、立ち上がる。


「シャルロッタ様。失礼させていたたきましょう」


「そうですね」


 うなずくと、シャルロッタはぺこりと一礼し、立ち去っていった。ラスムスもまた。


 後にはうろたえたミレーヌが残されていた。暗鬱な気持ちが彼女の胸をふさいでいる。


 このままでは、いつか正体がばれてしまうだろう。そうなったらどうなるか。


 こうなったら、いっそのこと本当のことを話そうかともミレーヌは思った。が、慌ててミレーヌはその考えを振り払った。


 そのことを他人は信じるだろうか。こんな馬鹿馬鹿しい話を。きっと頭がおかしくなったとみなされるだろう。


 いや、それだけならまたいい。ここはファンタジーのような世界だ。


 悪魔が乗り移ったとか思われないだろうか。そうなれば火炙りの刑なんかに処されてしまうかもしれなかった。


 ミレーヌの脳裏にジャンヌ・ダルクという名がうかんだ。フランスに実在した女性だ。


 当初、ジャンヌは救国の聖女として皆に崇められていた。が、いつしか魔女とされ、最終的には磔刑に処せられたのである。


 自身の場合も魔女と思わせる可能性があった。そうなればおしまいだ。


 正体は秘しておかなければならない。ミレーヌは思った。


 ばれたときは身の破滅だ。なんとしても隠し通さなければ──。


 その時だ。ある記憶がミレーヌの脳裏に蘇った。


 それは恐るべき光景であった。彼女自身がギロチンにかけられる光景である。


 気の迷いのようなもの、とはミレーヌは思わなかった。


 真実の光景である。なぜだかミレーヌにはわかっていた。


 そう。その光景はいずれ訪れるであろう未来の光景なのだった。


 どうしたそんなものが見えるのかわからない。もしかすると世界をわたってきた時に見た予知のようかものかもしれなった。


 その記憶とさきほどの懸念が結びついた。もしかすると正体が露見し、それで魔女であると断定され、ギロチンにかけられたのかもしれない。


 やはり正体は秘しておかなければ。


 生き残るため、ミレーヌは決意した。

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