第22話 北へ

 俺が迷宮を出ることができたのは、バグベアをアンデッド化してから二日後のことだった。


 辺りは鬱蒼とした木々に取り囲まれていた。深い森林の中のようだ。


 おそらくは真昼だろう。木漏れ日ではあるが、陽光が降り注いでいた。太陽の光をあびるのは久しぶりである。


「やっぱり日の光を浴びるのは気持ちいい──あっ!」


 俺は思わず声をあげてしまった。重大なことに気づいたからだ。


 太陽。そしてヴァンパイア。ここにはポラーがいるのではなかったか。


 陽光をあびたヴァンパイアは灰になって消滅する。そんな映画を俺は見たことがあった。


 俺ははじかれたように振り向いた。目の前、ポラーが立っている。


 俺は慌ててポラーに駆け寄った。咄嗟に抱きしめて陽光をから少しでも隠そうと試みる。


「だ、大丈夫か、ポラー?」


「大丈夫って?」


 ポラーが秀麗な顔をあげた。何事かといった顔つきだ。


「太陽さ。早く洞窟に戻らないと」


「どうして?」


「どうしてって……太陽はヴァンパイアにとっては危険だろ」


「そうでもないわ」


 小さな声でポラーがこたえた。


「そ、そうなの」


 ポラーがいうには、太陽はやはりヴァンパイアにとって弱点ではあるらしい。が、それも程度問題だそうだ。


 より上位のヴァンパイアであればあるほど陽光の影響を受けにくくなるらしい。陽光を浴びた場合、最低位のヴァンパイアならば一瞬で灰になって消滅する。


 が、バベルなどの真祖ならば平然としてものであるらしい。よって活動は昼夜関係ないため、日中に眠る必要はないということだった。


 ちなみにポラーの場合は少しだるくなると教えてくれた。どうやら俺の心配は杞憂だったようだ。


「そうか」


 ほっと安堵の吐息をついてから、俺はポラーを放そうとした。が、今度はポラーの方から抱きついてきた。


「やっぱり少し苦しい。抱いていて」


「そう……なのか?」


 俺はポラーを見下ろした。頬を赤く染め、俺を見上げている。瞳が少し潤んでいるようだ。


 俺はポラーの額に手をあててみた。熱い。ヴァンパイアでも身体は熱くなるようだ。


「大丈夫なのか?」


 心配になって俺は聞いてみた。するとポラーが俺の胸に顔をうずめた。


「大丈夫。でも、もう少し抱いていて」


「それはいいけど」


 俺はあらためてポラーを抱きしめた。こたえるようにポラーも腕に力を込めてくる。


「おいおい、いつまで抱っこしてんだ。ヴァンパイアの小娘はたいしたことないんだろう」


 面倒そうにガガが鼻を鳴らした。


「あっ」


 俺は慌ててポラーから手をはなした。


 ガガの存在をまるっきり忘れていたことを今更ながら思い出したからだ。ポラーの身体の柔らかさと甘い匂いに酔いしれていたんだろう。


「やん」


 身をはなした俺をつかむようにポラーが手をのばした。が、それがもう届かないと悟ると、ガガの方にふりむいた。


「もう。よけいなことをいってくれるわね。せっかく……」


 もごもごとポラーがつぶやいた。何をいっているのかよく聞き取れない。


「今度邪魔したら殺すから」


 きっ、とポラーがガガを睨みつけた。するとガガが睨み返した。


「面白え。真祖ならいざ知らず、眷族なんぞには負けねえぞ。俺を誰だと思ってやがるんだ」


「ふん。死神なんかに負けると思っているの?」


 ガガにポラーが向き直った。


 その瞬間だ。ぞくり、と俺は肌をそそけ立たせた。ものすごいポラーの殺気を感じ取ったからだ。


 俺は戦闘に関しては素人だ。が、その俺でも感じ取れるほどの、それは圧倒的な殺気だった。


「ま、待ってくれ」


 俺は慌てて二人の間に飛び込んだ。やっと迷宮から出られたのである。いきなり戦われてはたまらなかった。


 死神とヴァンパイア。どちらが勝つかはわからないが、ただですむとは思えなかった。


「盟休から出たとたんに喧嘩かよ。これからやらなきゃいけないことがいっぱいあるってのに。やめてくれ、ポラー。それとガガも」


「シェーンがいうなら仕方ないわね」


 不承不承といった態でポラーがうなずいた。


「あいつを許すわ。でも」


 甘えるようにポラーは俺を見上げた。


「今度はあいつのいないところでもっと抱きしめてね。シェーンがしたかったら、もっといろんなことも」


「あ、ああ」


 戸惑いと恥ずかしさで、俺はどぎまぎしてこたえた。


 俺の脳裏に、ポラーを相手としてあんなことやこんなことの想像がよぎった。きっとポラーの肉体は……いや!


 俺は慌てて想像を振り払った。


 ポラーの見た目は少女である。いやらしい行為に及ぶのは、やはり抵抗があったからだ。


 咳払いを一つすると、俺はいった。


「さあて。どこにいこうか?」


 あてはない。この世界に関する知識はまるでなかったからだ。俺がやどった人間から知識を得ることもできそうになかった。


「目的は何なんだよ?」


「目的、か」


 ガガの問いに、俺は首を傾げた。


 バベルを助けるという大きな目的はある。が、それは最終的な目標であって、当面の目的ではなかった。


「ともかくバベル様の領域だった所を目指してみたら?」


 ポラーが提案してくれた。


「バベルさんの領域?」


 俺は首を傾げた。ヴァンパイアの領域なんて聞いたことがなかったからだ。


「そう、領域。ヴァンパイアにはね、絶対魔力圏ともいうべきものがあるの。自身の力をさらに高め、同時に敵の力を弱める魔力域が。その強さによって様々な大きさのね。最弱のヴァンパイアなら自身が眠る棺くらい。バベル様くらいになると一国にも匹敵する大きさになるわ」


「ほう」


 さすがに俺は声をなくした。ヴァンパイアが領域をもっているなんて聞いたことがなかったからだ。この世界のヴァンパイアは俺の知るものとはかなり違っているようだった。


「ここから北上するとバベル様の領域であったところに行き着くわ。当然、今は領域じゃなくなったけれど。そこに行けばバベル様の眷族と出会えるかもしれない」


「うーん」


 俺は迷った。


 バベルの眷族といえば、もしかすらとポラーより上位のヴァンパイアであるかもしれない。そんな奴と出会ったところで何がどうなるものでもないからだ。


 とはいえ特に行かなければならないところがあるわけではなかった。当面は北上するのもいいかも知れない。


「わかった。北上してみるよ」


 俺は決めた。当面の行き先を。


 ともかくうごくことが大切だ。行動すれば何かを知ることができ、何かが起こるだろう。それがきっと進化につながるはずだ。


「それじゃあ、ここでお別れね」


 寂しそうにポラーがいった。


「えっ」


 お別れ? 聞き間違いか?


 慌てて俺は訊いた。


「今、何て……? お別れっていわなかった?」


「ええ、いったわ。バベル様から命じられたことがあるの。それを果たしにいかなければならないの」


「だったら俺も一緒に」


「だめよ」


 きびしい顔つきでポラーが首を横に振った。


「バベル様の命を果たすのは私じゃないと無理なの。わかって。それにシェーンにはやるべきことがあるでしょ」


「そうだけど」


 俺は声を失った。確かにポラーのいう通りであったからだ。


 転生なのか転移なのか良くわからないが、ともかくゾンビーとしてこの世界で目覚めた。この世界の神の間違いであったらしいが、今の俺には目標がある。


 それはバベルを解放し、人間を守ることだ。それがゾンビーとして目覚めたことの意味だと今の俺は思っている。


 だとしたら、俺は行かなければならない。進化の道を。


「わかった」


 俺はうなずいた。


「俺は北を目指していくよ。何が待っているか、わからないけれど」


「じゃあ、わたしはバベル様の命を果たしに。終わったら、きっと貴方のところに駆けつけるから。だから」


 ポラーが目を閉じた。それきり黙り込む。何が何だか良くわからない。


「うん?」


「……」


 ポラーは黙り込んだままだ。目を閉じたまま、顔を仰のかせている。


「うん?」


 俺は顔を少しポラーに近づけた。すると、ポラーはうっすらと目を開いた。


 俺が顔を近づけていることを見とめたのだろう。慌ててポラーは目を閉じた。


「うん? どうした?」


「どうしたって……わたしたち、恋人同士でしょ」


「う、うん。そうだけど」


 俺はどがまぎしてうなずいた。行きがかり上そうなっただけで、俺にはポラーと恋人同士になった意識はあまりない。


「だったらお別れの時は」


 恥ずかしそうに頬を薄紅色に染めて、ポラーが蕾のような唇をわずかに突き出した。それで、察しの悪い俺もようやく気づいた。


「ええと」


 ポラーの顔に俺は自身のそれを近づけた。


 そのときになってようやく気づいた。ポラーが小さく震えていらことに。


 もしかすると──。


 ポラーは幼い頃にヴァンパイアになった。何百年もの間、ポラーはキスはおろか恋人と手をつないだこともなかったのかしれない。それは、あまりな悲しい想像だった。


 俺はそっとポラーの額に口づけした。


 驚いたようにポラーが目を開いた。それから非難するように俺を睨みつけてきた。


「これって」


「初めてのキスがお別れの時じゃまずいだろ」


 俺はいった。


「唇へのキスは、もう一度出会った時。その方がいい。それまではお預け。悲しいけど」


「もう」


 ポラーは唇をとがらせた。けれど、あまり怒っていないような気がするのは俺の気のせいだろうか。


「だったら」


 ポラーが悪戯猫のように俺をちらりと見やった。


「おでこで我慢するから、もう一度して」


「えっ!」


 驚いたものの、俺に断わる理由はなかった。


「う、うん。わかった。じゃあ」


 俺はもう一度ポラーの額にキスした。


「もう一度」


 ポラーがねだった。俺はこたえた。


「もう一度」


 俺は三度キスした。


「もう一度」


 もう一度、もう一度、もう一度……。


「いつまでやってんだ。馬鹿か、おまえら!」


 苛立ち、呆れ、ガガが怒鳴った。

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