第18話 最初の魔法

 バベルの知る魔法は膨大な量だった。絶対記憶をもつ俺ですら呪文を覚えるのに数ヶ月要したほどだ。


 というわけで、当然実際に魔法を使ったことはない。進化もしていないので、魔力も上がってはいなかった。


「今の状態じゃあ、使えたとしても最下級の魔法だけだろうな」


 バベルが口をゆがめた。


 それはそうでしょうよ。おとなしく俺はうなずいた。


 ともかく魔法を使ってみよう。俺は思った。


 まずは古代語魔法だ。最も基本的な魔法が古代語魔法であるらしい。


 まずは初歩の初歩。光を灯す魔法だ。


「トゥクス」


 俺は呪文を唱えた。初歩的な呪文なので短い呪文である。と──。


 俺の眼前にゆらりと光が瞬いた。が、すぐに消えた。まるでシャボン玉がはじけるように。


「だめだな」


 バベルが声を発した。頭の中に響く。


 場所は迷宮の最深部──バベルの封印場所からやや離れたところで、魔術の練習のためにやったきたのである。


「呪文だけじゃ正確な魔術は発動しねえ。呪文はいわばきっかけだ。命を与えるのはおまえの意識だ」 


「俺の意識?」


 よくわからない。命を与えるとはどういうことなのか?


「魔力を注ぎ込むんだよ。呪文でつくった器にな」


 ガガがいった。俺の頭上で。胡座をかいてやがる。


「簡単にいわないでくださいよ」


 俺はごちた。


 魔術を使うことに慣れてるから偉そうなこといいやがって。こっちは初めてのことなんだ。


 その時、俺は思い出した。バベルが魔力を感じろといっていたことを。


「気、と同じようなものなのかな?」


 俺はつぶやいた。


 何かで読んだこたがある。気功というものを。


 どうやら気を体内で巡らせるらしい。それは魔力を感じることと似てはいないだろうか。


 魔力を巡らせることは一度やったことがある。俺は試してみた。


 するとすぐに熱い熱が身体を巡り始めた。ともかく魔力を感じることは成功したようだ。


 が、問題はこれからである。魔力をどうやって魔法として発現させるかがわからない。


「額だ」


 ガガの声が響いた。


「額?」


「ああ。額に思い描き、そこに魔力を注ぎ込むんんだよ」


「へえ。額にね」


 俺は胡散臭そうにガガを見やった。ガガのいうことを信用していないからだ。真祖たるバベルにいわれるのならわかるが。


「なんだ、てめえ。その顔つきはよぉ」


「いえ、別に」


 俺はもっとじとっとした目でガガを見てやった。


「野郎!」


 ガガが歯をむいた。


「相変わらず俺のことをなめやがって。神の命じられたから仕方なく補佐してやってるんだぞ。そうでなけりゃあおめえみたいなくそったれゾンビーがどつなろうが知ったこっちゃねえんだ。まあ、いい。ともかく俺がいったとおりにやってみろ。さっさと役目を果たして俺はずらかりたいんだからよ」


「はい、はい。わかりました。やってみましょ」


 不承不承俺はうなずいた。


 まず額の辺りにに光球を思い描く。できるだけ鮮明に。


 同時に魔力を体内で巡らせた。魔術回路を巡らせるというのだそうだ。


 そろそろか。


 魔力の高まりを感じ、俺は額に魔力を注ぎ込んだ。呪文を唱えつつ。


 一瞬、額の辺りが熱くなった。 


 次の瞬間だ。目の前が輝いた。


「あっ」


 俺は思わず声をあげてしまった。野球のボール大ほどの光る球が浮かんでいる。


「成功した……のか?」


「やりやがった」


 ガガが呻いた。


「ふうん」


 ポラーの声。なんだか感心しているようだ。


「すごいわね」


「す、すごい?」


「ええ。わたしが魔術を成功させるまではかなりかかったから。それをすぐに成し遂げてしまうだなんて」


「そ、そう?」


 俺は照れて笑ってしまった。前世ではあまり誉められたら記憶はない。まあ、記憶することだけは自信があったけれど。


「もしかすると天才かも?」


 俺は胸をはった。するとガガが鼻を鳴らした。


「ふん。でたよ、いつものお調子のりの癖が。馬鹿だね、おまえは。どうせまぐれだろ」


「まぐれじゃねえよ」


 まぐれだった。次の魔法にとりかかったのだが、まるっきり上手く発動しなかったのだ。


 だけじゃない。光球の魔法すら上手くいかなくなっていた。


 それから何度やっても上手くいかなかった。ガガのせせら笑う声が響く。


「あーあ。馬鹿が。調子にのるから、この始末だ。魔法の行使がそう簡単にできるわけねえだろ」


「そうですね」


 俺は素直にうなずいた。かなり落胆している。


 最初にうまくいった。それだけに続く失敗は痛かったのだ。


 その時、俺の肩が暖かくなった。ポラーの手が肩におかれている。


「大丈夫?」


 ポラーが訊いてきた。


 表情は相変わらず冷然としている。けれど瞳には不安そうな光がある。俺を案じているのだ。


 俺は力なくうなずいた。するとポラーが衣服に手をかけた。


 俺は慌てた。ポラーが衣服を脱ごうとしていたからだ。


「な、何をしてるんだ?」


「あなたを慰めるのよ。彼氏を慰めるのに彼女は肉体を使うって聞いたことがあるわ」


「どこで聞いたんだ、そんなこと?」


 慌てて俺は否定した。あながち間違っちゃいないんだろうけど、やっぱり否定した。


 人前だし、なんかややこしくなりそうだからだ。


「でも……」


 切なそうにポラーはまだ衣服に手をかけていた。俺を慰めたくてはしようがないようだ。


 けれど俺はポラーに手を出すつもりはなかった。実年齢は俺より遥かに上だが、見た目はやはり少女だ。気がひけた。


「大丈夫だよ。ありがとう。ポラーのおかげでやる気が出てきたよ」


 俺はポラーに微笑みかけた。

 

 本当だ。ポラーのいじらしさが俺の弱い心を叱咤してくれたのだ。


「ずいぶんポラーに好かれたものだな」


 バベルがいった。からかうような響きはない。どこか嬉しそうだった。


 するとポラーが抗議した。当たり前です、と。


「わたしはシェーンの彼女なんですから。シェーンが元気になってくれるなら何でもしてあげたいのです」


 ポラーがいった。なんだか俺の方が気恥ずかしい。



 誤魔化すように俺はつぶやいた。

 


「……攻撃魔術が必要だな」


「攻撃魔術?」


 俺のつぶやきを耳にしたポラーが首を傾げた。


「そう。攻撃魔術。いつまでもここにいたんじゃバベルを解放なんて無理だろ。できるだけ戦って進化しないと。それに外で暴れてるかもしれないヴァンパイアのことも気になるし。そのためには戦う手段──つまりは攻撃魔術が必要なんだよ。けれど」


 俺は声を途切れさせた。


 最下位の光魔術すら思うようにいかないのだ。攻撃魔術を扱えるようになるのにどれだけかかるかわからない。


 最も初歩的な攻撃魔術は魔力を矢のように放つものだ。単純なだけに扱いやすい。


 しかし威力は弱いのだ。効果拡大の魔法との併用が理想だが、補助的な魔法の同時発動など今の俺には無理である。


「とにかく魔矢だな」


 俺は人差し指を拳銃の銃身のように突き出した。


「ラーサリー・ド・ルガー!」


 呪文を唱えつつ、俺はイメージした。指先から矢を放つ様を。


 次の瞬間だ。俺の指先のわずかに前の空間に光る魔法陣が展開、その中心から小さな稲妻のようなものが噴出した。魔矢だ。


「やった!」


 俺の叫びと岩壁の砕ける音が重なった。魔矢が岩壁に突き刺さったのである。


 威力は拳銃弾ほどもあるのだろうか。どれほどの口径の拳銃弾かはわからないが。


「やったわね、シェーン!」


 ポラーが嬉しそうに微笑んだ。冷然とした表情は溶け、可愛らしい笑顔である。


「あ、ああ」


 照れて、俺は頭をかいた。するとガガが口をゆがめた。


「なにを自慢たらしくにやついてやがるんだ。魔矢なんぞ初歩の魔法なんだぞ。すぐに使えなくてどうするよ」


「なにか文句でもあるの?」


 じとりとポラーが睨みつけた。するとガガが睨み返した。


「なんだ、てめー。ヴァンパイアの分際で死神に喧嘩売るのかよ」


 ガガがすごんだ。どうやらポラーならあしらえると思っているらしい。馬鹿だ。


「ヴァンパイアの分際でわるかったな」


 静かな、けれどぞくりとするほど凄みのある声が響いた。頭の中ではない。空間そのものに。


 バベルの声だ。さしものガガが震え上がった。


 阿呆だ、こいつ。


 そう思い、俺は知らん顔をした。ともかく今は魔矢の発動精度を高めることが大切だ。


 弓というより、銃を撃つ感覚。弾丸を放つように魔矢を撃つ。


 魔法陣が発光。噴出する稲妻が岩に突き刺さった。


 成功だ。続けて成功した。


 よし。もう一度だ。


 俺は魔矢を放った。岩壁がはじけとぶ。


「シェーン、すごい!」


「な、なんだ、こいつ」


 ポラーとガガの叫び。快哉と驚愕と響きは違っているが。


 俺はニヤリとした。戦う手段を手に入れることができたからだ。


 さあ、旅立ちの時はきた。


 俺はバベルのところに戻った。そして告げた。


「行きます。きっとあなたを開放しますから」


「そうか」


 バベルはうなずいた。その目が光っているように俺には見えた。まるでとんでもない夢を見つけた子供の目に浮かぶ光だ。


「期待せずに待ってるぜ」


「いいえ。期待していてください」


 なんの自信もなく俺はこたえた。


 強がり。それだけしかできない俺である。


 その小さな欠片を胸に、俺は歩き出した。

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