第17話 世界は踊る

 ショフル・ジョバート辺境伯は頭を抱えていた。


「どうなっているのだ?」


 もたらされる報告。そのどれもが最悪の未来を指し示していた。


 その最も大きなもの。それは真祖バベルの領域の消滅だ。


 通常、ヴァンパイアは領域をもつ。領域とは魔力の及ぶ絶対圏のことであった。


 その領域内においてヴァンパイアは絶大な力を誇る。肉体の強度は増し、魔力も強化されるのであった。


 その絶大な効果を生む領域であるが、効果範囲は様々である。弱小ヴァンパイアであれば、自らが眠る棺程度でしかなかった。


 が、強大なヴァンパイアともなれば違う。根城とする城そのものを領域とする者さえいるのだ。


 真祖ともなればどれほどの領域をもつか知れたものではなかった。バベルは小国ほどの大きさの領域をもっていたのだが──。


 このバベルの領域であるが、これがショフルの辺境領にとっては、実際のところは都合が良かった。バベルが意図したものではなかったろうが、様々な脅威を防いでいてくれたからである。


 敵国の侵略しかり。魔物の侵入しかり。


 バベルの領域のおかげで、ショフル辺境伯領はそれらの脅威にさらされることはなかったのである。


 が、考えようによっては、それはもっと恐ろしいことではあった。敵国の軍隊や魔物すら近寄ることをはばかるほどのヴァンパイアの帝国が隣に存在するのだから。


 バベルがその気になれば、あっという間にショフル辺境領などは飲み込まれ、消滅していただろう。けれど、実際にそうはならなかった。


 バベルが沈黙していたからである。その配下のヴァンパイアたちもまた。


 よってショフル辺境領は、常にバベルの爪の冷たさを首筋に感じながら、それでも平和を謳歌していたのであった。


 しかるに、そのバベルの領域が消えた。ある日、突然に。


 理由はわからない。わかっているのは敵国と魔物の蠢動が始まったということであった。


 いや、蠢動が確認されたのは敵国や魔物だけではない。ヴァンパイアもまた暗躍し始めたらしいのであった。


「で、ヴァンパイアの被害は?」


 怖気のにじむ声でショフル辺境伯は問うた。


 ヴァンパイア被害の最も恐ろしい点。それはヴァンパイアが強力であるということではない。


 ヴァンパイアに襲われた者はヴァンパイアと化す。まるで疫病のようにヴァンパイアが増えていくことがヴァンパイア被害の最も恐るべき点であった。


「今はまだ被害は広がっておりません。首筋に牙の痕があり、血を吸われた死体が発見されただけです」


 騎士がこたえた。ショフル辺境伯の顔にやや安堵の色が広がる。


 ヴァンパイアの真の被害は今のところ広がってはいないようだった。眷族を作らないように殺している。どうしてだか理由はわからないが。


 しかし、いずれヴァンパイアたちは本格的に動きだすだろう。それが何時かはわからない。


 ともかく警備を強化する必要があった。バベルの領域がなくなった今、やがて人も魔物も大挙して押し寄せてくるだろう。


 ショフルの臣たる騎士ではとうてい足りない。傭兵を雇う必要があった。が、それには大金が必要だった。


 どうするか。


 ショフルの財にこれ以上の余裕はなかった。国王にむしんしてもききとどけてはくれないだろう。


 騎士が去って後、ショフルは頭を抱えた。



 バベルの領域消失に頭を悩ませているのはショフル辺境伯だけではなかった。


 バベルの領域を挟む形で位置する小国がある。リツルア王国であった。


 そのリツルア王国の国王であるシバラもまた苦悩していた。が、ショフルと違って、彼は動きが早かった。すでに傭兵ギルドのギルド長と連絡をつけていたのである。


「よくぞ来てくれた」


「お呼びとあれば、いつでも参ります」


 シバラの眼前に控えた男がこたえた。穏やかな顔つきだが、目には油断のない光をうかべている。


「バベルのことですな?」


 ギルド長がいった。するとシバラはニヤリとした。


「さすがは。もうバベルの領域が消えたことを知っているとはな」


「情報は傭兵にとっては貴重ですからな。たった一つの情報が生死をわけることがある。で、私にご用とは警備のことですな?」


「察しのいいことだ」

 

 内心の驚きを押し隠し、シバラはうなずいた。


「そうだ。バベルの領域が消失した現在、何者がリツルア王国を襲ってくるかしれたものではない。そこでだ。傭兵ギルドに協力を願いたいのだ」


「協力?」


 怪訝そうにギルド長は眉をひそめた。


「そうだ。協力だ。リツルア王国に災いが及ぶのであれば、それはそなたたちにとっても重大事であるだろう? だから協力してほしいのだ」


「ははあ」


 ギルド長の顔にわずかに表情が動いた。嘲りだ。


「それは喜んで。ただし報酬次第ですが」


「報酬?」


 今度はシバラが怪訝そうに眉根を寄せた。


「国を助けるに報酬が必要というか?」


「当然でごさいます。国の危難は確かに司政者にとったは重要事でありますでしょう。しかし我ら傭兵にとっては事象の一つでしかありませぬ。我らにとっては報酬があるかないか、また報酬の額がどれくらいか。それだけが問題なのでございます」


 至極当然といった様子でギルド長はいった。


 通常、国を守るのは騎士の仕事である。そのために彼らは国から金や領地など与えられているからだ。


 騎士が戦うのは正義感などに根ざしたものではない。報酬の対価なのであった。


 いわば騎士は国に雇われた戦士である。傭兵と変わることは何もないというのがギルド長の考えであった。


 それなのにシバラは国家安寧をお題目として傭兵にただ働きをさせようとする。お笑い草であった。


「では傭兵は出せぬというのだな?」


 問うシバラの声に怒気がにじんだ。が、ギルド長は依然として平然としたものであった。


「いいえ。出さぬというわけではありませぬ。出せぬというわけで。無報酬では」


 シバラの顔が怒りでどす黒く染まった。が、無理強いはできない。傭兵ギルドは独立した組織であり、国家の紐付きではないからだ。


「ううぬ」


 シバラはうなった。


「そのほうは私の頼みがきけぬと申すか?」


「きけないとは申しませぬ。ただ傭兵に頼む場合、報酬が必要であると申し上げただけ。騎士殿とは違い、我らは己の力で生きていかねばなりませぬからな」


 一礼し、ギルド長は背を返そうとした。慌ててシバラが呼び止める。


「ま、待て。私の頼みを退け、このままおとなしく帰ることができると思っておるのか?」


「では傭兵ギルドと戦争をなさいますか?」


 顔だけねじむけ、ギルド長が問うた。


「報酬無しに動いたとなると、今後の傭兵たちの仕事にもかかわりますからな。傭兵ギルドは全力をもってお手向かいいたしますが、いかが? 外と内。敵をつくってもよろしいのなら、お好きになされませ」


 冷たく言い捨てると、今度こそギルドは歩き出した。


 バベルの領域消失に関心を抱いていたのは周辺各国の司政者だけではなかった。いや、むしろ彼らより関心をもっていた者がある。


 真聖教教皇ジーレラ。世界中に信徒をもつ最大規模の宗教団体の教主である。


 建前として、あらゆる邪悪を敵と真聖教は見なしていた。とりわけヴァンパイアを。真祖であるバベルは真聖教にとっては不倶戴天の敵であった。


 そのバベルの領土が消失した。関心を抱くなという方が無理であった。


「何があった?」


 豪華な装飾を施された玉座に座した男が問うた。仮面をつけているので表情はわからない。


「武装宣教師を差し向けて調べさせておりますが、いまだ真相はつかめておりませぬ」


 老齢の司祭がこたえた。


「ふむ。すぐにはわからぬか。が、バベルの動向は真聖教にとって最重要事である。なんとしても事の真相をつかむのだ。必要なら聖戦士をさしむけてもかまわぬ」


 ジーレラはいった。


 聖戦士とは真聖教が抱える恐るべき戦闘力をもった戦士である。聖魔法を用いて戦う彼らは、素手そのものが武器であり、下級のヴァンパイアであれば束になってもかなわないほどの戦闘力を備えていた。


「バベルは多くの眷族を従えていたはずだ。それらの者はどうなった?」


「主要なヴァンパイアどもは今のところバベルと同じように姿を消したようですが、それでも跳梁しているヴァンパイアはいるようです。武装宣教師がそれらの掃討を始めております」


「そうか」


 ジーレラは顔をあげた。ややあってから目を司祭にもどすと、ジーレラはいった。


「バベルが姿を消したことは真聖教にとって好機である。バベルの領域に残るヴァンパイアを始末し、彼の地を真聖教のものとするのだ。そうなればさらに真聖教の権威は確かなものとなろう。世界を操るのは、彼奴らヴァンパイアや魔王ではない。我ら真聖教であるのだ」


 刃の手触りの声音でジーレラはいった。

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