第16話 封印

「これが?」


 ポラーが唇を離したので、俺は声をだした。


「そうだ。今はポラーがわかりやすいように魔力を流し込んだ。が、おまえにも当然自前の魔力がある。それを感じとれるようにするんだ」


「は、はい」


 俺は体内をめぐる熱に意識を集中してみた。力の脈動を感じる。意識的に流れを速めてみた。


「こうかな?」


「なかなか上手いもんじゃねえか。初心者とは思えねえぜ」


「ありがとうございます」


「礼には及ばねえ。もともとおまえがもって いた力だからな。あとは死霊魔術を覚えるだけだ」


「死霊魔術!」


 俺は心中で快哉をあげた。ようやく身体を治すことができるからだ。


「呪文を唱えたりするんですよね。するとぱぱあって治ってしまうんですよね」


「いや、そうじゃねえ」


 バベルは首を横に振った。


「呪文を唱えるだけじゃ魔術は発揮できねえんだ。想像することが必要なんだ。具体的にな。呪文は魔力をこの世のものとする引き金にしかすぎないんだ」


 いうと、バベルは奇妙な言葉を口にした。けっこう長いそれは、どうやら呪文らしい。


「一度聞いたくらいじゃあ覚えるのは無理だろが、魔術行使には絶対必要だからな。とにかく呪文はおぼえろ」


「はい。あの……」


「なんだ?」


「覚えるはいいんですが、できたら書いていただきたいのですが」


「書く? どうしてだ?」


 怪訝そうにバベルが問う。


「実は自分、フォトグラフィックメモリーの持ち主でして」


「フォトグラフィックメモリー? なんだ、それは?」


「一度見たら覚えてしまうんです。だから耳よりも目で見たいんです」


「一度見たら覚えてしまう、か。ますます面白えな、おまえ。いいだろう。ポラーに書かせよう。が、その前に再生の呪文を覚えろ。寝転がったままじゃ文字が見にくいだろう」


「そうですね」


 こたえたものの、俺は今さらながら違和感を覚えた。バベルや死神の言葉がわかるからだ。


 その俺の違和感を読み取ったのか、バベルがいった。


「そいつは、おそらくおまえが宿ったゾンビーの知識だろうな」


「あ! 」


 俺は得心した。それならばわかる。この世界の言葉がわかるのも。


 が、おかしなこともあった。言葉以外の知識がないのだ。もしかすると時間が経てば思い出すのかもしれないが。


「じゃあ、ポラー」


 俺はポラーから何度か再生の呪文を聞き取り、覚えた。死霊魔術としては初歩のものであるのでそれほど複雑でないことが幸いした。


「覚えたか?」


「はい」


「なら、やってみろ。想像するんだ。想像する力が強ければ強いほど、より確実に魔術は結実する」


「はい!」


 俺はイメージした。肉体が修復される様を。トリガーは呪文である。


 瞬間、身体を回路として駆け回ってはいた魔力が奔騰した。肉体が細胞レベルで修復されていくのを感じる。


 俺はむくりと身を起こした。腕を動かしたり、身体をひねったりしてみた。どこにも異常はないようだ。


「……すごい」


 俺は思わず声をもらした。全身の骨が砕け、筋肉がズタズタの状態であったのに、それが一瞬で完治してしまったのである。驚くべき魔術の威力だった。


 が、その再生すら死霊魔術においては初歩的な魔術なのである。最高位の死霊魔術というものは一体どんなものなのだろう。


「どうだ、魔術を使った感じは?」


「すごいです。なんか超能力者になったような……」


 俺はいった。嬉しさのあまり、声が震える。


 漫画や映画などで異能力を使うヒーローの姿を見てきた。それと同じことができるのである。感動しないはずがなかった。


「ありがとうございます」


 俺はバベルにむかって頭を下げた。彼の目的はわからないが、ともかく助けてくれたことだけは確かなのだ。


「やりやがった」


 呻くような声がした。ガガのものだ。失念していたが、ずっとついてきていたようだ。


「本当に再生しやがった」


「だけじゃねえよ」


 バベルがいった。びくりとガガが身をすくませる。


「あのバベルがこんなところに……あっ」


 ガガが瞠目した。バベルの身体にからみつく鎖にいまさらながら気づいたようだ。


「そいつは封印の鎖じゃねえか」


「封印の鎖?」


 ガガの言葉を俺は聞き咎めた。


「なんですか、それは?」


「対象を封印するための鎖だ」


「ええっ」


 驚いて俺は声をあげた。が──。


 おかしい。死神ですら恐れる真祖が封印されているなんて。


「そんな……真祖であるバベルさんが封印されているなんて……嘘でしょ?」


「嘘じゃねえよ。こいつは確かに封印の鎖だ」


 苦く笑ってバベルは鎖をじゃらりと持ち上げた。


「やっぱり封印の鎖か。しかし」


「しかし? どうしたんですか?」


「バベルは災厄級の存在だ。そんな怪物を封印できる者がざらにあるとは思えねえ。バベルとまともにわたりあえるモノといえば、俺が知る限りほんのわずかなんだよ。伝説竜や魔王くらいなんだが」


「じゃあ、バベルさんを封印したのはそいつら──」


「いや」


 ガガが首を横に振った。


「伝説竜も魔王も封印の鎖なんぞ使わねえ」


「だったら誰が──」


「真祖たちだよ」


 バベルがいった。


「真祖!?」


 おどろいて俺とガガは顔を見合わせた。


「真祖って確か──」


「そうだよ。バベルと同じ災厄級のヴァンパイアだ。始まりの存在なんだよ」


「ですよね。いわばバベルさんとは仲間みたいなもんでしょ。それがどうしてバベルさんを封印したりなんかするんですか?」


 俺は問うた。ある意味納得して。


 今、バベルは真祖たちといった。つまりは複数の真祖という意味だ。それならばバベルを封じることもできるかもしれなかった。


「バベル様が血を吸うことを禁じたからよ」


 ポラーがいった。


「地を吸うことを禁じた?」


 驚いて俺はポラーを見た。しんじられなかったからだ。


 バベルは真祖である。吸血鬼のボスといっていい。その真祖がどうして吸血を禁じたのか。


「信じられないといった顔ね。でも、本当よ。

バベル様は眷族に人間に対する吸血を禁じたの。そして自身もまた。吸っていいのは動物だけ。バベル様は動物の血すら長い間吸っていないわ。そのことが他の真祖たちは気にいらなかったのね。だから真祖たちが束になってバベル様を……」


「よってたかって封じたってわけか」


 激しい怒りで俺は拳を握りしめた。真祖などといいながら、多勢に無勢とはあまりな情けない戦法ではないか。


「勘違いしないで。バベル様は最強の真祖よ。他の真祖たちが全員でかかってもそう簡単にやられたりはしないわ。ちゃんと血を吸ってさえいればね。今のバベル様は空腹というより、飢餓状態。本来の力の十分の一も出せないのよ。そうでなかったら……」


 悔しそうにポラーが唇を噛んだ。


「おまけに他の眷族たちも、バベル様の支配力が弱まると勝手なことをやりだして……」


「人間を襲って血を吸ってるのか?」


「そうよ。とめたいところだけれだ、九十八位のわたしじゃ上位の眷族たちを抑えることなんてできないし」


「じゃあ、俺が手伝うよ」

「えっ!」


 ポラーが瞠目した。驚いているのだ。


「手伝うって、どういう……」


「そうだぜ」


 ガガもたまらずといった様子で声を発した。


「おまえ、なにを言い出すんだ。バベルの眷族を抑えるだって? 馬鹿か。バベルの眷族はとんでもない怪物ばっかなんだよ。そんなのただのゾンビーのおまえに抑えられるわけないだろ」


「でも誰かが眷族を抑えなきゃならないんだろ。人間を守るために。ポラーを助けて」


「それがおまえだってのか。無理無理。おまえにできるわけねえだろ。寝言は寝てからほざけっての」


「まんざら寝言でもねえぜ」


 バベルがいった。面白そうにニヤリと笑っている。


「シェーン。おまえ、一度見たものは忘れねえったいったよな。だったら、俺の知っているすべての呪文を教えてやる。死霊魔術だけじゃねえ。古代語魔術に精霊魔術、暗黒魔術に竜魔術、その他にも色んな魔術を俺は知っている。数千年かけて身につけた魔術のすべてをおまえに教えてやる。どうだ。やるか?」


「やります!」


 俺は即答した。覚えるだけなら自信がある。それを使いこなせるかどうかはわからないが。


 そして、日は流れた。

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