第14話 彼女は三百歳
「お、お、俺の、か、か、彼女に、な、な、なってくれるんですか?」
俺は思いっきりどもりながら訊いた。嬉しいような怖いような変な感覚だ。
「うん。どうしても、どーしてもっていうのなら仕方ないから考えてあげてもいいわ」
「いやいやいやいや」
急に俺は翻意した。上級ヴァンパイアなんて彼女にしたなら怖すぎると思ったからだ。
「やっぱ遠慮しておきます。上級ヴァンパイアで美少女のポラーさんを彼女にするなんて」
「遠慮って……わたしのこと好きっていったの、嘘なの?」
ポラーの目がぎらりと光った。怖い。怖すぎるぞ。
「嘘じゃありません。好きです。大好きであります!」
「だったらわたしのこと彼女にしたい?」
「したい! ポラーさんを彼女にしたいであります!」
叫ぶようにいってから、俺は戸惑った。勢いとはいえ、とんでもないことをいってしまったことに気づいたのだ。
「なら」
ふい、と恥ずかしそうにポラーは顔をそむけた。
「そんなにいうのなら、彼女になってあげてもいいわ」
「そうですか。彼女になって──ええっ!」
俺は耳を疑った。ポラーは今、なんといった? 彼女になってもいいだと!?
まずい。なんか、まずいぞ。上級ヴァンパイアを彼女なんかにしたら、とんでもないことになる。毎日消滅の危険に怯えるなんてまっぴらだ。
俺は焦って口を開いた。
「いや、あの……そんなに簡単に俺の彼女なんかになっちゃっていいんですか? 仮にも上級ヴァンパイアのポラーさんが」
「ポラーでいいわ。彼女なんだから。わたしもシェーンって呼んでいい?」
最後は恐る恐るという感じでポラーが訊いてきた。
「あ、どうぞ。シェーンでもジェーンでも好きに呼んでください」
「じゃあ、シェーンで。ねえ、シェーン」
「はあ、なんでしょうか?」
「その言い方、やめて。わたしたちはもう恋人同士なのよ。他人行儀すぎない?」
「そうですね。あっ、違う。そうだな。これからは、これでいくよ。で、何? 言いかけてたこと?」
「うん。あの……子供のこと」
「子供の……こと?」
俺は内心首をひねった。何のことかわからない。
「そう。わたしは三人欲しいな。シェーンは?」
「えっ?」
とっさにポラーの言葉の意味が飲み込めなかった。いや、なんかわかってきたような……。
「こ、子供って……」
「だから……」
こほんと一つ咳払いすると、ポラーは続けた。
「恋人同士になると、当然ああいうことするでしょ。ああいうことしちゃったら、やっぱり赤ちゃんできちゃうし。だからシェーンは何人赤ちゃん欲しいかなって」
「は、ははは」
俺は笑うしかなかった。なんか、おかしい。ポラーという上級ヴァンパイアはなんかおかしいぞ。
「こ、恋人同士になったばかりなので、そういうのは……。まだ、そういうこともしてないわけだし。ていうか、ポラーは十五くらいだろ。そういうのは早いんじゃないかな?」
「わたしはもう三百歳よ。早くなんかないわ」
「嘘」
俺は耳を疑った。
今、ポラーはなんといった? 三百歳っていわなかったか?
「嘘じゃないわ。わたしは三百歳よ。正確には三百十三歳」
「う──」
そ、といいかけてはたと気づいた。ヴァンパイアは不死であるということに。おそらく三百年ほど前にポラーはヴァンパイアとなったのだろう。
俺の胸に憎悪の炎が燃え上がった。
眷族である以上、おそらくポラーをヴァンパイアとしたのはバベルだろう。一人の少女の未来を踏みにじり、永劫の闇にバベルはポラーを堕したのだ。
(ふふん。文句がありそうだな)
バベルの声が頭の中で響いた。俺は、ある、とこたえた。
こんな少女の未来を奪いやがって。文句があるに決まってるだろ。
許さねえぞ。バベル、貴様だけは。
(なら、どうするよ。俺と戦うか?)
嘲弄するようなバベルの声。それが余計にむかついた。こいつは真正のサディストだ。
ああ。戦ってやる。だから、俺を治せ。
(くくく。治してやるのはいいが、本気で俺と戦って勝てると思っているのか?)
知るか。
俺はこたえた。
勝つとか負けるとかどうでもいいんだよ。おまえみたいなド畜生と戦わないと気がすまないんだ。
「わたしね」
ポラーの声が俺の思考を遮った。
「三百年前、死にかけてたんだ」
「えっ」
俺は耳を疑った。いま、ポラーはなんといった? 三百年前、死にかけていたって?
「それは、どういう……」
「わたし、孤児だったの。病気と飢えで死にかけていたの。癒やしの魔法でも治らないくらい。わたしは絶望してた。ううん。絶望もしていかった。とっくに諦めてた。何もかも。そんな時、バベル様が現れた」
ポラーが遠い目をした。
それは雪の降る凍てつくような夜だった。
廃墟の中にポラーはいた。
屋根の一部は破れており、そこから雪が舞い落ちてくる。壁も床も長年忍び入っていた雨に浸食され、黒ずんでいた。
寒々とした部屋の片隅。
ポラーは横たわっていた。ベッドなどはない。雑草を積んだだけのものの上に、だ。
ポラーの意識は朦朧としていた。飢えと病のためだ。
さらに冬の寒さ。ポラーは死にかけていた。餓死か病死か凍死かはわからないが。
もはや動くこともできない。助けをよぶこともできない。呼ぶ相手もない。
ポラーは独りだった。ずっと独りだった。いつから独りだったのかも記憶にない。
孤独も寒さも飢えもずっと友達だった。けれだ、もうお別れだ。
「……喉、かわいたな」
ぽつりとポラーはつぶやいた。すると──。
ポラーの唇が濡れた。水の雫がおちたのだ。
ふっとポラーは薄く目を開いた。雪が落ちてきたのかと思ったのである。
が、違った。視界に人影がある。
「まだ飲みたいか?」
問う声がした。人影が発したものだ。
信じられなかった。ポラーにかまう者など皆無であったからだ。貧しい孤児など、この世界にあっては路傍の石と同じだった。誰も気にもとめないのだった。
ポラーは微かにうなずいた。すると唇の間に水が注ぎ込まれた。
美味しい。ポラーは思った。水ってこれほど美味しいものだったのかと思った。
水を飲んだせいか、やや視界が明瞭になった。人影の姿もまた。
年齢は三十歳ほどだろうか。黒髪金瞳の男であった。端正な美貌の持ち主である。
貴族的な美貌といっていい。が、弱々しさはまるでなかった。
「あなたは……」
「バベル」
男はこたえた。ポラーを怖がらせないように細心の注意を払っていることが、どうしてだかポラーにはよくわかった。
「欲しいのは水だけか?」
「一度でいいからお腹いっぱい食べてみたかったな。それと暖かいベッドで眠ってみたかった」
切れ切れのかすれた声でポラーはこたえた。するとバベルは苦笑した。
「満腹と暖かいベッドか。最後の願いとしては欲のないことだな」
「わたし……死ぬの?」
「ああ。あと五バルトほどでな」
バベルはこたえた。
よほどの聖魔法の使い手であったも、もはや少女は救えないだろう。バベルにはわかっていた。そして、彼は聖魔法の使い手ではなかった。彼の力はもっぱら破壊専門である。
「そっか」
ポラーは目を閉じた。苦しくて悲しいばかりの短い人生だった。それも、もう終わる。それもよかった。
「本当にいいのか?」
ポラーの顔にうかんだ諦念の色に気づいたのだろう。バベルが問うた。
「良くはないけど……でも、わたしにはもう五バルトしか残されていないんでしょ?」
「おまえが望むなら、俺が永遠をくれてやる」
バベルがいった。
「永……遠?」
「そうだ。俺が永遠をくれてやる。そうすれば好きなだけ食べることができるだろう。暖かいベッドも俺が用意してやる。飽きるまで人生を堪能すればいい。いやになったら俺が殺してやろう。どうだ?」
「……わたし、白くて柔らかいパンをいっぱい食べたいな」
「晩餐はレワタパルのフルコースにしよう」
バベルはいった。ポラーは知らなかったが、レワタパルは貴族しか入れない高級料理店であった。
「白パンもたっぷり用意してな」
「うん」
微笑むポラーの首筋にちきりと小さな痛みが走った。
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