第7話 喰らう

 声だ。それも悲鳴である。おそらくさっき出会ったリーガーたちだろう。


 何かあったに違いない。いや、何かじゃなく、迷宮に巣くう怪物に遭遇したんだろう。


 どうしよう。


 俺は迷った。彼らのもとへむかうか、否か。


 心配だが、駆けつけてどうなるというのか。


 もし怪物と遭遇していたとして、彼らは武装した四人。それが危機に陥っているのだ。俺ひとりが駆けつけたとして、なにができるというのだろう。


 放っておいたほうがいい。俺の胸のなかで囁く声がした。


 虚無から響いてくる声。保身の声だ。


 次の瞬間、俺は走っていた。虚無からの声を振り切るようにして。


「へえ。逃げないのか」


 からかくようなガガの声がした。


「ああ」


「どうして?」


 心底興味深そうにガガが訊いてきた。


「知るか。ただ、俺は死なないんだろ。もし死んだとして元々だ。けど、あいつらは違う。生きてるんだ。なら、助けてやりたい!」


 俺はさらに疾走した。今ではもう自由に身体を動かせる。


「ぬっ!」


 眼前の光景を見とめ、俺は凍りついた。


 そこに異様なモノがいた。


 細長い身体に無数の小さな足が生えている。尾から触手に似たものが二俣に分かれてのびていた。顎門からは毒針のある牙が、これも触手のようにのびている。


 百足。


 それは、そのように見えた。が、俺の知っているものとは違い、そいつ馬鹿馬鹿しいほどでかい。


 体長は十メートルはあるだろう。大百足というやつだ。


「マシェソチョッヒだ」


 ガガが教えてくれた。


「マ、マソチョット?」


「マソチョットじゃねえ。マシェソチョッヒだ、ぼけ。マ、シェ、ソ、チョッ、ヒ」


「マシェソ……ええい、大百足でいいわ!」


 俺は駆けた。落ちている剣をひっつかむ。


 大百足は顎門を開いてリーガーたちを睨みおろしている。どれを喰らおうか迷っているのだ。


 倒れているリーガーたちにたいした外傷は見あたらなかった。きっと毒でやられているんだ。


 どれほどの強さの毒かわからない。俺の知っているムカデの毒なら死にはしないだろうが、ここはキーオイラだ。そして奴はマシェソチョッソだ。俺の知識はあてにはならなかった。


 俺は毒のことを頭から振り払った。大百足を何とかする方が先決だ。


 獲物に意識を集中している大百足の背後に俺は回り込んだ。そのときになって、ようやく俺の接近に大百足は気づいたようだが、遅い。


 俺は大百足の背に剣で斬りつけた。赤黒い光沢のある背がざっくりと裂ける。


 思ったより硬い。全力で斬りつけても切断するのは無理だろう。


 気味悪い緑色の液体が大百足の傷口から噴いた。血なのか体液なのかよくわからない。


 大百足が身をよじって俺を見た。何を考えているのかわからない複眼が不気味だ。


 その瞬間、大百足が尾を翻らせた。意想外の素早さで。


 俺は跳び退った。が、間にあわない。


 大百足の尾が俺をかすめた。肉が浅くえぐられる。


 毒。


 俺の頭にその一文字がよぎった。が、かまわず背を返す。俺には、ある目算があるからだ。


 俺は駆け出した。大百足から逃げる。


 ちらりと背後を見やると、追ってくる大百足の姿が視界に入った。もはや俺がゾンビーであることなど念頭にはないのだろう。


 まずは成功だ。


 俺はほくそ笑んだ。リーガーたちから大百足を引き離すことが最小限の俺の目論見だったからだ。


 問題は毒である。神経毒だと俺は思っている。効いてくればリーガーたち同様動くことはかなわないだろう。効いてくれば……。


「毒は効かねえよ」


 ガガの声がした。俺はニヤリとした。そんな気がしたからだ。


 その俺の様子にガガは気づいたようだ。


「どうしてわかった?」


「俺はゾンビーだから。毒で死ぬゾンビーなんか見たことない」


 俺はこたえた。内心、ほった安堵しながら。


 ゾンビーに毒は効かない。それは予想であったからだ。予想はあくまで予想である。予想は外れることもあるのだ。


「ちなみに奴の毒はもうおまえには効かねえからな」


「それは俺がゾンビーだから?」


「じゃねえよ」


 ガガが俺を遮った。


「おまえが奴の毒を喰っちまったんだ。おまえには、もう奴の毒への耐性かできてるんだよ」


「耐性……」


 俺はその言葉を噛み締めた。ゾンビーには毒が効かないのだから、耐性があろうとなかろうた関係ない気がする。けれど──。


「毒を受けたら喰うことになるんですか?」


「ああ。おまえの超空間胃袋におさめるとな」


「俺は特に胃袋におさめたわけじゃないですけど」


「おまえが喰らうという行為は、ただ口に入れるだけじゃない。胃袋が吸収すればいいんだ」


「じゃあ、さっき受けた毒は胃袋が吸収したんですか?」


「ああ。そうだ」


「なら、毒以外でも?」


「はあん?」


 死神がニヤリとする気配が伝わってきた。


「なにを考えてやがるんだ、おまえ?」


「特に、何も。ただ、他のダメージを受けた場合はどうなるのかなって。喰うってことは、物質を取りこまないとだめなんですか?」


「物質じゃなくても大丈夫だ。おまえが喰らうことができたらな」


「物質じゃなくても大丈夫……」


 俺はその言葉の意味を考えてみた。


 喰らうということは、何も単純に食べるということではないのこもしれない。喰らうということが、もしあらゆる攻撃に応用できるのなら……。


「俺は無敵になる」


 俺は独語した。


 それきり俺は黙り込んだ。いくら推測を重ねても意味がないからだ。後は実践するしかなかった。


 ともかく俺は洞窟内を走った。身体くねらせながら大百足が追ってくる。


 こい。あそこまで


 次の目論見のために俺は走り続けた。ここまで上がってくる間に、俺はある地形があること発見していたのだ。


 そこまでは何とか逃げ切らなければならなかった。もしつかまったら、どうなるかわからない。


 ゾンビーは不死だとガガはいった。もし首を切断されて、首と胴体で別々に動けるのかもしれない。その場合ほ意識はどうなるのかわからないが。


 やはり脳がある方に意識があるのだろうか。切り離されたとかげの尻尾のように胴体はなってしうのかも。あまり体験したくはないが。


 問題は肉体そのものが消滅してしまった場合だ。大百足につかまり、食べられ、消化されてしまったらいくらゾンビーでも消滅してしまうだろう。それだけは避けなければならなかった。


 ざわざわと背後で音が響いている。大百足の無数の足が地をかく音だ。想像して、俺は背筋に寒気を覚えた。

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