第8話 明日にむかって翔べ

 同じ昆虫でもてんとう虫なら可愛いが、百足などの多足類には嫌悪感を覚える。人間の本能的なものかもしれなかった。


 時折、吼えることもなく、大百足は身体をのぼすように襲いかかってきた。そのたびに俺は左右に跳んで躱した。


 追跡という行為をしながら、的確に襲撃を加えるのだからたまらない。本当は冷や汗ものだが、ゾンビーは汗をかかないようだ。


「あれだ」


 目的の場所を見いだし、俺はほくそ笑んだ。


 崖。


 出口を探して彷徨していた最中に発見していたのだ。


 見下ろすと、遥か下方に地が見えた。高さにすると三十メートルほどはあるだろうか。


 崖のふちまでたどり着くと、俺は振り返った。大百足と相対する。


「来いよ、百足野郎!」


 拾った剣をかまえ、俺は大百足を挑発した。


 俺の挑発にのったかどうかはわからない。もしかすると獲物を追い詰めたと思ったのかもしれない。退路を絶たれた俺に逃げ場はなくなったのだから。


 ともかく大百足は、さらに速度を増して迫ってきた。


 タイミングだ。


 俺はその瞬間を待った。こいつに喰われることだけは避けなければならない。


 そして、その瞬間はすぐにやってきた。一気に仕留めようとするかのように大百足が喰らいついてきたのだ。


 きやがった。


 俺は跳んだ。横じゃなく、後ろに。


 俺を追って、襲撃の勢いを殺し切ることができずに大百足もまた跳んだ。空中に。


 結果は想像するまでもない。俺と百足は為す術なく落下していった。


 地に叩きつけられるまで、思いの外に時間がかかった。落下にともなう恐怖が長引いたのは計算外である。


 物凄い衝撃に俺は声をあげることすらできなかった。全身がばらばらになりそうだ。いや、実際に全身骨折したに違いない。


 遥かな高所からの落下。本当なら即死のはずである。


 が、俺は死んではいなかった。ゾンビーだから。


 俺を囮にして大百足を崖から落とす。それが俺の策だった。


 俺は死なないが、大百足は死ぬ。予想通りだ。


 俺は死ななかった。そして大百足は死んだ。死んだはずだ。死んだはず……。


 もし大百足が死んでいなけれ大変なことになる。俺はもう動けないからだ。大百足に好きなように蹂躙されてしまうだろう。


 その時だ。物音がした。


 ぎくりと俺は身をこわばらせた。大百足がたてた音に違いないからだ。恐ろしいことに大百足は生きていたのだ。


 まずい、まずい、まずい。


 俺は恐慌に陥った。何も考えられない。


 こちらは全く動けないのに、大百足は生きている。およそ考え得る最悪の結末だ。


 くそっ。せめて睨みつけてやる。


 横たわったまま、俺は目だけを音のするほうにむけた。そして、異様な光景を目にした。


 大百足がじたばたと蠢いている。剣のように尖った岩に貫かれて。物音は、岩から逃れようと暴れる大百足がたてたものだったのだ。


 俺はほっと胸をなでおろした。即死はしないまでも、大百足が岩から自力で逃れることは不可能だろう。放っておけば、そのうち力尽き、死んでしまうはずだ。


 問題は俺である。


 身体がまったく動かなかった。餓死することはないと思うが、それでもこの状態がいつまで続くのか。


 普通の人間なら自然治癒することもあるだろう。けれど、ゾンビーはどうか。普通の人間の治癒プロセスがそのままゾンビーに適用できるとは思えなかった。


 もし永遠に治癒することがなかったら……。


 その想像は悪夢の手触りだった。治癒することがなければ、それは俺にとって死刑宣告に等しい。


 いや死刑宣告どころではない。なまじ死なないため、このままの状態が続くことは無間地獄に閉じ込められたも同然だった。


「確かに人間と治癒過程は違う」


 ガガの声。目をむけると、空にガガが浮かんでいた。


「人間と治癒過程が違う?、やっぱりかよ」


 力なく俺はため息をついた。


 最悪の状況である。治癒しない以上、俺は永遠にこのままであった。いや──。


 俺は期待を込めて訊いてみた。


「ガガさん。助けてください。ガガさんの力で治すとか、どこか安全なところに連れて行くとかしてください」


「だめなんだな、これが」


「だめって……。どういうことですか? 神様から遣わされたんでしょ。なんかうまいことしてくださいよ」


「なんだ、その、なんかうまいことってよ。そんなもんがあるか」


「あるでしよ、なんか。ケチケチしないでくださいよ」


「誰もケチケチしてねえっての。助けたくても助けられねえんだ」


「ええっ!」


 俺は驚いてうなった。

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