第3話 水の中のあいつ
出口と決まったわけじゃないが、人がむかうところであることは間違いなさそうだ。うまくすれば出口にたどり着けるかもしれない。まあ、ゾンビーどもの足跡である可能性もあったが。
迷っている場合じゃない。
ともかく俺は歩き出した。足跡をたどって。
少し動きやすくなったような気がする。気のせいかもしれないが。
相変わらず腹は減っていた。灼熱の食欲に襲われている。
きっと飢えるというのはこんな感じなんだろう。一般的な日本人が味わうことは決してない感覚だ。
「ああ」
思わず声を俺はもらした。泉らしきものを見いだしたからだ。
それほど大きなものではなかった。河原にある露天風呂くらいの大きさだ。
きっと地下水がわきだしているんだろう。溢れた水が小さな川をつくっている。
喉もかわいていたので、俺は泉に近寄っていった。
泉の底はそれほど深くはない。水は澄んでいて、底がはっきりと見えていた。飲めば、おそらく美味いに違いない。
泉の縁にしゃがみこむと、俺は手をのばした。手をつける。
思わず俺は手をひきそうになった。水はそれほど冷たかったのだ。
あらためて俺は水を手ですくった。口に運び、ごくごくと飲み干す。
美味い。
ただの水がこれほだ美味いとは思わなかった。きっとすごく喉が渇いていたんだろう。
一口では喉の渇きはおさまらなかった。さらに手ですくい、口に運ぶ。
美味い。最高だ。けれど、喉は相変わらず渇いたままだ。
さらに俺は水をすくった。飲み干す。さらに、さらに──。
何度水を飲み干しただろう。俺は次第に怖くなってきた。いくら飲んでも、全然喉の渇きがおさまらないのだ。
それと、もうひとつおかしなことがあることに気がついた。
俺はかなりの量の水を飲んだ。普通は腹がたぷんたぷんになるはずだ。その感覚がまるでないのだ。
あれほど飲んだ水はどこに消えたんだろう? まるで砂漠に水をまいたように消え失せてしまっているような感じである。
身体が痺れた感覚といい、なにか異常なことが俺の身に起こっているのではないか。俺は心底不安になってきた。
「あっ」
泉を覗き込んでいた俺は、その時に至って、ようやくというか、驚くべきことを見いだした。
誰かが泉の底から覗いているのだ。じっと俺を見ている。
西洋人だ。彫りの深い顔立ちで、端正といっていい。十七くらいの年頃だろうか。
ただ、顔色がいやに悪い。青白いのだ。
しかし、水の中から俺を見ているとはどういうことだろうか。じっとしているのが不気味である。
いやいや。いつまで俺を見ているんだ?
けっこう時間がたってるぞ。どんだけ息が続くんだよ。
まさか……。
俺は思い至った。ある恐るべきことを。
俺を見ている奴。もしかしたら死んでいるのではないか?
顔色の悪さといい、息をしていないことといい、それなら説明がつく。説明はつくが……。
だったら、俺は死体が沈んでいる水を飲んだのか。それもたらふく。ごくごくと喉を鳴らして。
俺は強烈な吐き気を覚えた。気持ち悪くてたまらない。
その時、俺は意外な事実に気づいた。水の中の奴が動いたのだ。顔をゆがめている。
俺は安堵の吐息をついた。水の中の奴は死んではいなかったのだ。
けれど疑念は残っている。やはり水の中の奴は息をしていないようなのだ。
いったい何なんだろう、こいつは?
俺は頬を掻いた。すると水の中の奴も頬を掻いた。
えっ。どういうこと?
偶然なのか? そうだろうな。
俺は苦笑した。すると水の中の奴も苦笑した。
おいおい。どういうことだ。なんで俺と同じことをする?
いや、きっと偶然だろう。でも、もしかすると……。
試しに、俺は右目をつぶった。すると水の中の奴は左目をつぶった。
えっ。俺の真似をするんじゃないのか。真似するなら右目をつぶるだろう。
今度は口を開いてみた。すると水の中の奴も口を開いた。まったく同じように。タイムラグはほとんどないようだ。
うーん。なんかおかしい。真似なら、ほんのわずかでも動作が遅れるはずなのに……。
よし、これなら。
俺は右耳を指でつまんだ。次に左耳をつままない。これで、どうだ!
あっ。ひっかかりやがらねえ。ていうか、もしかして──。
こいつ、もしかして、俺か?
俺は思いきって水に手を突っ込んでみた。水の中の奴を触ろうと試みる。
やっぱりだ。水の中には誰もいない。水面のさざ波に奴の顔が揺れている。
そうなんだ。奴はいない。水面に映っているだけなんだ。ということは──。
奴が水に映っているものだとすると、奴は俺だということになる。そうなんだが……。
奴の顔は俺の知っているものじゃなかった。俺の顔は平凡な日本人の顔だ。並みである。中の中といったところだ。
けれど水に映った顔は西洋人のものだ。おまけに二枚目である。
顔が違う。いったいどうなっているのか?
考えられのは整形だ。もしかしたら車にはねられたら時に顔を負傷し、意識を失っている間に整形手術を施されたのかもしれない。どうして西洋人の顔にしたのかはわからないが。いや──。
俺はある事実を思い出した。ゾンビーたちのことだ。
何体かのゾンビーを見た。全部が西洋人だった。
おかしい。おかしすぎる。
ここは日本のはずだ。それならゾンビーもまた日本人のはずだ。それなのに──。
「もうちょっとだな」
突然、声がした。ゾンビーのうなり声以外何もない静寂を破って。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます