第4話 廃棄

 1035番の実験が行われた2日後、実験結果をまとめた報告書をヴェルステッドに提出するため、ナサリエルは所長室を訪れた。あの実験の日から彼はほとんどの時間を所長室で過ごしている。先日まで整然としていた室内は書物や術式の書かれた書類が無数に散乱する混沌とした状態になっていた。

 報告書の触り部分のみを読んだヴェルステッドはそれを机に放った。


「1035番は廃棄しろ」


「廃棄……ですか? 1035番は調整に6年も掛けた特級素体ですが……」

「アレは十分に役に立った。もはや不要だ。先の実験で魔力炉からの過剰魔力流によってアルビナ回路が損傷している。アレはもうまともに魔法を使えまい」

 それは限界を超えて魔力炉の出力を上げたからだと危うく口にしそうになり、ナサリエルは言葉を飲み込んだ。

「では、純粋に魔力炉の研究として運用を続けては如何でしょうか?」

「ウル・タウル機関の研究はもう十分だ。魔力炉の魔力生成効率をどれだけ高めようと、高濃度魔力に耐えうる魔力杯を備えようと、生物としての限界、枷がある。それが先の実験ではっきりと分かった。ウル・タウル機関の開発に特化させたアレは言わば進化の袋小路に入り込んだ生物の末路の1つだ。先はない」

 ナサリエルは押し黙った。今のヴェルステッドの言に反論することはできる。すぐに反証で論破されるだろうが。何よりここでの意志決定権は彼が持つのだ。彼のこの決定に対して彼女には理論的にも心情的にも反感はない。

「私に不要な物を『とりあえず』で確保しておく考えはない。いつか、何かの役に立つは楽観的な結果論に過ぎない。時間も労力も金も無駄にできるものなどない」

「畏まりました」



 表紙に『1035』と印字された分厚いファイルがある。表面の傷や端がよれていることから、かなり摩耗していることが伺える。

 今、1人の研究員の手によってファイルに判が押される。

 ファイルの表紙には赤いインクで『廃棄処分』と押印されている。


  ▼ ▲ ▼ ▲ ▼ ▲ ▼ 



 研究所の最下層に『廃棄処理場』はあった。

「特級素体を廃棄するのか。勿体ねえな」

 研究員が1035番とともに持参した指示書を見て処理員の男は呟いた。

「五体満足なのに何で廃棄するんだ?」

「おまえが気にすることではない」

「ふん、上の方々のお考えは俺みたいな学のない奴には理解できませんからな」

 処理員の悪態に研究員は気圧され、1035番を引き渡すと早々にその場を去って行った。

 処理員は1035番をじろじろと見つめる。1035番は目に包帯を巻いているがそれ以外に大きな怪我はない。彼の知る限り、ここに送られてくる素体は実験によって身体の一部が欠損していたり、辛うじて息をしているような者がほとんどだった。

 彼が仕事として廃棄素体に対して行う作業は単純だ。素体に特殊な薬液を注射して生命活動を停止させた後に焼却炉で処理すること。だが。

「おい、服を脱げ」

 処理員は1035番にそう命令する。

「はい」

 1035番は命令に従い、素体用の白い研究衣を脱ぐ。素っ裸になった1035番の身体を彼は念入りにチェックする。

「大きな傷も……ねえな。まぁ多少の擦り傷はあるが、これくらいなら跡は残らねえだろう」

 彼は下卑た笑みを浮かべた。

「へへ、臨時収入頂きだ」



 翌々日、研究所建屋裏手にある資材などの搬入口に1台の荷馬車がやってくる。

 処理員の男はその馬車の荷台に死体袋を1つ放り込む。

「なぁ、これ拘束しなくてもいいのか?」

 荷馬車でやってきた男は死体袋を指差して言う。

「あのな、死体が動くわけないだろ」

「ああ、そうだったな。これは死体だったな」

「おまえこの仕事は初めてか?」

「ああ」

「いいか、今うちの焼却炉は故障中で使えない。だから仕方なく外部業者に死体処理を依頼した。おまえの仕事は何にも考えずにあれを業者まで運ぶことだ。そしてあれは施設の事故で死んだ動物の死体だ」

「……分かった」

「安心しろ、薬で眠らせてあるから半日は寝たままだ。それにこいつらは命令に従うよう調教されているから逃げることなんてねえさ」

 処理員は男の肩に手を置き「心配いらねえよ」と笑った。



  ▼ ▲ ▼ ▲ ▼ ▲ ▼ 



「はぁ~」

 馬車を繰りながら男は何度目か分からない溜息を吐いた。

(俺は何をやっているだろうな。こんな人身売買の片棒を担ぐような真似)

 彼には金が必要だった。だから危ない橋だと分かっていてもこの仕事を受けざるを得なかった。危険は覚悟していた。だが、このような胸糞悪い仕事とまでは考えが至らなかった。

「はぁ~。ん?」

 物音がした。馬車が出す音ではなかった。荷台を覗くと袋がもぞもぞと動いている。

(起きたのか。何が半日は起きないだ。まだ数時間しか経ってないじゃないか。どうする?)

「おい! 袋を開けてやるからじっとしろ!」

 袋はぴたりと動きを止める。

(言うことを聞くというのは本当か。思わず開けてやると言ってしまったが。まぁ命令を聞くなら問題はないだろう)

 馬車を止め、荷馬車から袋を下ろすと、固く結ばれた袋の口の紐を解く。暗いオレンジ色の頭が見え、青白い顔が見え、袋から姿を現したのは4~5歳くらいの華奢な少女だった。

(うちのガキと同じくらいか……)

 袋の中で動いたからだろう。巻かれていた白い布の目隠しが外れかかっていた。

「目隠しを外してやるから動くなよ」

「了解しました」

 少女が突然喋ったため、彼はびくりとした。その動揺を悟られないように努めて冷静に目隠しを外す。赤い瞳が彼を見つめる。目に少し充血の跡がある。目の下に目やにが付いていると思い、指で擦るとそれは血の塊だった。

(綺麗な顔してるじゃないか。そんな目でこっちを見ないでくれ)

「すまない。おまえに対して申し訳ないという気持ちはあるが、俺にはおまえを助けてやることはできない。どうしようもないんだ。うちの奴が過労と流行病で寝込んじまってな。治療のためにはまとまった金がいるんだよ」

 彼は少女の肩に両手を置き、まるで説得しているかのように言い訳を垂れていた。彼は彼女から顔を背けていた。まともに顔を見れなかったからだ。

 だから彼女の異変にすぐには気が付かなかった。

「……コ」

「……本当にすまない」

「ネコ」

「え?」

「ネコネコネコネコ」

「お、おい」

「ネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコネコ」

 少女は焦点の合わない目で口の端から泡を吹きながらひたすら訳の分からない言葉を呟いている。彼女の肩を揺するが一向に呟くのを止めない。

「何だよこれ。どうなってんだよ。どうすればいいんだよ!」

 パニックになった男は少女の頬を張った。

 次の瞬間、少女を中心に辺りは光に包まれた。



  ▼ ▲ ▼ ▲ ▼ ▲ ▼ 



「おや?」


 フードを目深に被った外套の人影が足を止める。

 声から察するに人影は若い男のようだった。

 男はフードを捲り上げ、遠方に立ち昇る土煙を見つめる。

「こんな荒野で爆発ですか……」

 空気を震わせる轟音と砂埃を巻き上げる突風が男の元に届く。

「こっちの方が面白いものに出会えそうですね」

 男は方向を変え、爆心地へと歩みを進めた。

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