第2話 1035番
白い部屋にベビーベットが所狭しと置かれ、30人程の赤ん坊が寝かされている。そのほとんどが1歳に満たない乳幼児である。
大きな声を上げて泣いている赤ん坊がいる。しかし、誰も赤ん坊をあやすことはなかった。部屋に赤ん坊達の親はいない。いるのは全身白い防護服を着た研究員達だけであり、彼らは泣き喚く赤ん坊に見向きせず黙々と作業を続けている。
その様子を廊下からガラス越しに見る研究員が1人いる。
彼女の名前はナサリエル。金色の髪を短く刈り上げ、男性と比べても遜色ない長身だが、妖艶な口元と眼鏡から覗く丸みのある目が女性らしさを醸し出していた。
彼女の元に防護服の研究員がやって来て黒いファイルを手渡す。彼女はファイルの中を確認するとその場を去った。
彼女は白い廊下をひた進む。やがて『所長室』と書かれた部屋の前で立ち止まると、扉をノックする。
「ヴェルステッド様、ナサリエルです」
「入れ」
間髪入れずに返答がある。威厳のある男の声だった。
「失礼します」
所長室にはヴェルステッドと呼ばれた男だけがいた。精悍な顔付き、オールバックに撫で付けた灰色の髪、相手を射殺さんばかりの鋭い目。加えて、長身かつ筋肉質な体躯であるため、威圧感が凄まじい。見た目の年齢は40歳程だが、彼が纏う雰囲気の異様さは、その何倍も生きていると言われても納得してしまいそうな印象を受ける。
「今回収集した全素体の測定が完了しました」
ナサリエルはヴェルステッドに黒いファイルを渡す。
ファイルの中身の大半は大量の数字が書かれたリストであり、それは赤ん坊達のデータを羅列したものだ。彼はリストにさっと目を通した。
「……魔力容量が既定値を超えていたのは1007番、1011番、1029番、1035番の4体だけか」
「はい」
「30体集めて4体か。不作だな」
「素体を収集した土地柄が原因なのかもしれません。まとめて低予算で購入できたのは僥倖でしたが費用対効果としてはイマイチでした」
ヴェルステッドは嘆息すると、リストを見つめてしばし思案する。
「1007番と1029番は魔素知覚、1011番はアルビナ回路、1035番はウル・タウル機関の開発に回す」
「畏まりました。それ以外の素体は如何致しますか?」
「魔力容量を強化する処置を30日間実施しろ。既定値を超える素体、既定値未満でも魔力容量増加率が30%以上の素体は研究用に確保だ。それ以外は出荷用魔導兵作成プログラムに回せ」
「畏まりました。それでは私はこれで失礼致します」
ナサリエルは恭しく一礼すると所長室を後にする。
防護服姿の研究員が2人、注射器を乗せたカートを押して赤ん坊の部屋に入ってくる。彼らはすでに部屋の中で別作業に当っていた研究員達と手分けして赤ん坊達の首筋に注射器を差し、中の鮮やかな青色の液体を注入していく。注射を打たれた赤ん坊は火が付いたように泣き出すが、研究員達は意に介さず淡々と作業を進めている。
そんな中、4人の赤ん坊がそれぞれ透明なケースに入れられてどこかへ運ばれて行く。4人の内の1人の赤ん坊には『1035』と刻印された銀色のブレスレットがはめられていた。
▼ ▲ ▼ ▲ ▼ ▲ ▼
素体番号1035番―――それがその赤ん坊の識別番号だった。
1035番は専用の個室に移された。個室は研究所の主な部屋と同じ白一色であり、ベビーベット以外の家具は何もない簡素な部屋だった。
1035番は1日の大半を1人その部屋で過ごし、それ以外の時間には研究員に部屋から連れ出され様々な処置を施された。あるときは薬液を注入され、あるときは外科的な処置をされ、あるときは魔力を強制的に流された。赤ん坊の1035番にはただ泣くことしかできなかった。
年月が流れ、1035番は研究員と簡単な受け答えができる程に成長した。
数多の実験の影響かどうかは定かではないが、1035番は一般的な同年代の子どもよりも小柄だった。
この頃になると1035番に施される実験の頻度と苛烈さが上がった。
実験により昏倒したことは数知れず、処方された薬の副反応による激痛によって悶え眠れないときも多々あった。
それでも1035番はそれらの実験を拒否しなかった。そのような意志を持たないように調整されていた。
加えて、1035番に教育が施されるようになり、ベッドしかなかった部屋に机などの学習環境が整えられた。読み書き、基礎教育、そして最も力を入れられたのは魔法に関する知識と技術を培うための教育だった。
教育は専門の研究員によって行われた。ただそれは教師と生徒のような関係の教育ではなく、端末に情報を入力するような機械的なものだった。
実験と教育に費やされる日々の繰り返しが1035番の全てだった。
そして、1035番が個室に移されてから6年が経過した。
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