ネコがいなけりゃ作ればいいじゃない!〜Nowhere cat in the another world〜

雨月雪陽

第1話 ネコとバス

「あ。今、猫の声がした……ような」


 思わず口をついて出た言葉は白い吐息とともに夜気へ溶けた。

 ようやく仕事を片付けて帰路に就くも、時刻はもうすぐ午前0時になろうとしていた。帰宅途中の住宅街は静かでアスファルトの道を歩く私の足音だけが響いていた。いつも通る慣れた道だけれど少々心細い。そんな中で聞こえた猫の声は私の心を一気に盛り上げてくれた。

 どこかに猫の姿はないかと期待して辺りを見渡す。


 けれど猫はどこにもいなかった。


「気のせいかぁ」

 『猫分』が不足して幻聴が聞こえたのかもしれない。いやいや、『猫分』って何だよ。……私、疲れているなぁ。

 繁忙期だから仕方がないとは言え、ここ最近はずっと天辺近くでの帰宅である。肉体的な疲れは勿論あるけれど、それよりも深刻なのは精神的な疲れだ。人にはそれぞれ疲れを癒やす手段があり、私の場合は猫の動画を見ることだ。それがこのところ帰宅してから寝るまでの時間を十分に取れずほとんどできていないのだ。

 つまり圧倒的に猫が足りない。

 しかし、それも今日で一段落だ。来週から仕事は通常進行に戻る。

 そして、明日は土曜日、明後日は日曜日!

 うん、俄然とテンションが上がってきた。早く帰って猫動画を肴に一杯やろう。



 猫はいい。

 猫は全てを癒やしてくれる。

 昔から猫が大好きだった。あの完璧なフォルム、耳が幸せになる声、簡単にはデレない孤高の性格、どこを取っても愛おしい。

 小学校の頃、何度も猫を飼いたいとお願いしたけれど駄目だと言われ続けた。母は猫が苦手だったのだ。

 中学生の頃、猫を飼っている友達の家に押しかけて初めて猫を抱かせてもらった。そのときの感動は今でも覚えている。そして私は衝撃の事実を知ることとなる。

 猫に長時間触れるとくしゃみと涙が止まらない。私は猫アレルギーだったのだ。

 それでも私の猫への愛は変わらなかった。寧ろアレルギーという障害が私を余計に拗らせた。いや、燃え上がらせた。

 そして社会人となった今、私は薬を服用して1週間に1回は猫カフェに通っている。



 近所のいつも使うコンビニが見えてきた。家まで後少しだ。

 そうだ、一杯飲むにしても確か家には何もなかったはずだ。今週頑張ったごほうびに今日はビールを買おう。ふふ、それからアレも。

 深夜でもコンビニにはそれなりの数の客がいた。皆これから金曜日の夜を楽しむのだろう。勿論、私も存分に楽しむつもりだ。

 私の会計の番になり、商品をレジカウンターに置く。

「おまたせしま……し、た」

 カバンから財布を取り出して前を見ると、コンビニの店員がぎょっとしていた。

「?」

 彼の視線の先には私がカウンターに置いた商品がある。

 缶ビールと猫缶。

 その視線の意味に気が付く。

 いやいや、猫缶をつまみに一杯やるわけじゃないからね。

「あの。ペット用です」

「あ、ああ! で、ですよね」

 ペット用と言うのは嘘だけど、私が食べるわけではないのは本当だ。

 この猫缶は近所の公園にいる野良猫にあげる用なのだ。私の密かな楽しみの1つなのだが、町内会の人に見つかれば、野良猫に餌付けするなと怒られるだろう。

 ごめんなさい。でも猫の姿を見ると止められないんです。


 コンビニを出て、時計を確認すると時刻は0時を過ぎていた。

 さぁ、早く帰ろう。

 そのとき、ふと、それが目に入った。遠目にそれは白い子猫に見えた。歩道のガードレール下でちょろちょろと動いている。

 ああ、かわいいな。

 早く帰るという決意は一瞬で消え、吸い寄せられるようにそちらへと近づく。

 ちょっと愛でるだけだから。愛でたらすぐ帰るから。


 そのとき回送のバスが向こうの方から走ってくるのが見えた。

 白い影はバスに警戒する様子もなく、ふらふらとガードレールの上に登った。


 嫌な予感がした。


「ダメッ!」

 カバンを放り、コンビニ袋を捨て、駆け出した。

 ふわりとガードレールから車道へ向かって白い影が飛び出す。

 予感は的中した。

「くっ!」

 私は左手でガードレールを掴み、車道へ上半身を乗り出して白い影に向かい必死に右腕を伸ばした。首でも胴体でも尻尾でも、とくにかくどこか掴めればいい。

 間に合え! 届け!


 かさり、という乾いた音がして、私の右手は白いビニール袋を握りつぶした。


「嘘っ!?」

 私、目悪すぎ!?

 普通、ビニール袋と猫を見間違う!?


 緊張が解け、疲労感がどっと押し寄せてくる。無理な体勢を続けることができなくなった私はバランスを崩して前のめりに倒れ込んだ。

 つまりガードレールを超え車道に向かって倒れ込んだ。


「あ」


 目の前がバスのヘッドライトで真っ白に染まった。



 ……

 …………

 何も、見えない、聞こえない、感じない。

 なのに、どうしようもなく、寒い。

 これは……何? これが死? 私は、死ぬの?

 嘘でしょ。嫌だよ。まだやり残したことがたくさんあるんだけど。

 この土日はご褒美に猫カフェへ行くつもりだったし、来週は『月間猫だらけ』の発売だし、来月は楽しみにしていた猫の写真展に行く予定だったのに。

 ……あはは、私の予定って猫のことばっかりだな。


 ああ……眠くなってきた……。

 これで……終わりなのかぁ……私の人生は。


 神様……。

 もし来世があるなら……今度は……アレルギーのない身体で……猫に囲まれる幸せな人生が送りたいです……。

 ねこ…………です……。

 …………よろしく……おねがいします……。



  ▼ ▲ ▼ ▲ ▼ ▲ ▼ 



『続いてのニュースです。昨夜未明、M県S市の住宅街で立花水琴さん(29)が回送中のバスに轢かれ身体を強く強打し、病院に搬送後、まもなく死亡が確認されました。警察関係者への取材によると、立花さんは走行するバスの前に突然飛び出した可能性があり、事件と事故の両面から捜査が行われる模様です』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る