第3話 修羅界②

 咨結しゆうはななおに言われた通り、カリンを連れて乱の元へと向かっていた。

 さっきの道中もそうだったが、咨結は一言も話さず終始無言のままだった。

 

 カリンはいつも初対面の人と居る時、相手が緊張しないようにと気を利かせ、話しやすそうな話題をあれこれ考えるところがあった。

 実際、緊張しているのはカリンの方なのかもしれない。何か話さないとという思いに駆られ、何か話そうとするのだが気の利いた話題が思い浮かばず、結局相手に話題を振られる始末。さらに振られた会話にもぽつりぽつりと、単語に近い返答をするのみで、毎回会話ができない口下手な自分を恨んだ。

 だが、今は無言の咨結と居ても、不思議と何か話さないといけないというプレッシャーを感じることはないのだった


 町の中心とも思える大通りを進んで行くと一軒のやや大きく立派な屋敷が見えてきた。

 その屋敷の外門には長身男性が腕組みをして壁に寄り掛かり、二人が来るのを待っていた。カリンに向けてなのか咨結に向けてなのか、いたずらっ子のような顔を見せながら。

「ご苦労さん。今こいつがここにいるってことは、ひな菊は身請けを断ったってことか」

 咨結はこくりと頷いてみせた。

 

 こちらもひな菊のところの庭園にも引けを取らない庭があり、色とりどりの紫陽花がたくさん咲いていた。カリンは綺麗な紫陽花に目を奪われたが、咨結に手を引かれるまま後をついて行く。

 家に上がると、三人は玄関から一番奥の居間に入った。ここからさきほどの紫陽花が見渡せ、カリンは心が和んだ。

 居間にはすでに一人、切れ長の目の男、天外がいたが、色白の白木蓮は不在のようだった。

 乱はカリンと向き合う形で座ると自己紹介を始めた。

「俺は乱、たつみ乱だ。この家の家主だ。こっちは天外で、お前の隣に居るのは咨結。咨結は訳あって話さないが、その理由は聞かないでやってくれ」

 咨結は照れくさそうに少しもじもじしたが、自分も同様に話をしない性格であったため、カリンは特に気にはならない。

「で?ななおとひな菊からある程度の話は聞いただろ?」

 ここへ連れてきてくれた咨結に視線を向けたが、にっこり笑ってカリンを見ているだけだ。話をするのが苦手なため、咨結から説明をしてほしかったのだがそれは無理そうだった。

 カリンは乱に視線を戻すと、小さく頷いた。ひな菊とななおの二人から聞いた話、それは、ここが死後の世界の修羅界というところで、自分にとって因縁のある人を探せば現世へ戻れるということ。

「死後の世界なんて聞いて驚いたろう?人は死んで終わりじゃなく、この通り死んだ後も生きているんだよ。だが、お前は死んだというわけではなく、二人の言う通り何か原因があってここにいるんだろう。とはいえ、その因縁のある魂を探さなくても、現世へ戻ることができる方法がなくもない。ここでの出来事はきれいさっぱり忘れて、今まで生きていた現世へ戻ることができる。元の世界へ戻りたければこのまま現世に戻———」

「あの……も、戻らなくて……戻らなくていい……です!」

 まだ話し終わらないうちに、カリンは言葉を絞りだすように乱の会話を遮った。

 それまで物静かな雰囲気をしたカリンからは想像もつかない様子に、乱と天外は少々動揺した。咨結はカリンの心情を察してか、カリンの手の上に自分の手を乗せる。

 カリンの表情は強張っていたものの、乱は彼女が何か決心したような強い意志があるのを感じ取っていた。と、同時に目の奥に寂しさが溢れているのも感じていた。

「そうか……」

 乱はどこかほっとしたような、悲しいような複雑な気持が入り混じった顔をした。

「じゃあ……一つ聞くが、もし俺がお前の探してる奴を知ってると言ったらどうする?」


 カリンは普段から人と接する事全てが苦手で、自己表現すらも下手であった。

 ある時、他人と比べて人とうまく接することができていないことに気付き、自然と自分から人との距離を取るようになってしまったのだ。それからというもの、自分は普通じゃない、どこかおかしい変な人間だと思うようになり、次第に自己否定的な思考へと変化していった。

 さらに、普通じゃない自分はこの世には必要ないと思うようになり、常に早く消えてしまいたいとも思うようになった。

 それでも、そう思わないですむような世界があったら?前へ進むためのきっかけがいつか見つかったら?そんな希望の欠片も心の隅に小さくしがみついていた。

 もしかしたら何か見つかるかもしれない———自分のこの先を少しでも変えられたら———そんな思いからここに残ると決断したのだが、自己否定的な思考は乱の一言を、早く元の世界へ戻れという意味だと捉え、自分の返答を後悔に変化させた。

 きっと誰にもネガティブな人間を受け入れてくれる人はいないだろう、と。


 乱はそんなカリンの心境に気付くと、自分の言葉に補足した。

「ただの冗談だ。それに勘違いするな、早く現世に戻れと言ってるんじゃない。ただ……」

 そこまで言いかけて言うのをやめた。カリンが自分の因縁の人物と会えば、大きく傷つくかもしれないと思ったからだった。だが、自分がそれを決めつけるべきではないと思い直し、口をつぐんだ。

 乱は静かに立ち上がると、部屋の隅にある長く大きな物に歩み寄る。それは布がかけられており、とても大事な物のようだった。

 その布をゆっくり取ると大変立派な箏が姿を現した。

「俺たちは席を外そう」

 その様子を見ていた天外は咨結と一緒に部屋を出た。


 乱は箏を弾く姿勢になると、ポロンポロンと、滑らかな手つきで曲を弾き始めた。

 とても心地よい綺麗な旋律で、自分の心が乱の弾く曲に共鳴していくかのようだった。カリンは乱の弾く箏の音を聴いているうちに、自然と涙が溢れて来るのだった。

 カリンの心を和ませようという乱の気遣いは、カリンもまたそれを察しており、乱のその優しさがとても嬉しかった。


 しばらく弾いていた乱は、突然ぴたりと箏を弾いていた手を止めた。

 カリンも乱のその様子に体が固まる。

 乱は人差し指を口の前に当てると、庭の方を向き、腰を深く落とし、左足をゆっくりと円を描くように後ろへ引いた。

 カリンは不安と緊張に包まれながら、息を潜めて乱の様子を伺った。


 数秒ほど静寂に包まれると、乱が突然動いた。障子越しに一瞬見えたそれは、大人の背丈ほどの人影だった。

 乱は見計らって大きく跳ね上がると、障子越しにそれを素早く蹴りあげたた。その人影は障子と共に大きく庭の奥へと飛んで行った。

「人の家を壊していくんじゃねえ!!」

「大丈夫か?!」

 天外が乱の元に駆け付けると、二人は裸足のまま今の人影を追った。

 乱は地面に落ちている何かを拾い上げた。それは人の形をした小さい紙切れだった。

「もう見つかったっていうのか……?」

 天外は険しい顔をして乱に視線を向けた。

 「いや、偶然だろう」

 乱はその紙を小さくちぎるとその場に捨てた。そして縁側から心配そうにこちらを見ているカリンの元へと戻って行った。

 そして居間の隅に置いてある引き出しから何かを取り出すと、カリンの隣に腰を下ろした。

「驚かせて悪かったな。さっきのあれは切紙様と言って、この修羅界を統治している修羅神の偵察だ」

 乱はさきほど取り出した木版をカリンに差し出した。

 カリンは戸惑いながらもその木版を受け取る。

 それは表札くらいの大きさの木版だった。裏表、ひっくり返してみるが何も書かれていない。

「時々、修羅界の住人じゃない者たちが迷い込んで来たりするんだが、それらがいないか偵察に現れるんだ。当然お前もここの住人じゃないわけだが、あの切紙様がここへ来たのは偶然だろう。これを持っていれば心配しなくていい」

 カリンは再び木版を裏も表もひっくり返して確認して見る。やはり何も書かれていない。

 こんなただの板切れを持っているだけで何が心配いらないのだろうか、意味がわからなかった。

「ここの住人はみんな持っている、自分の名札のようなものだ。何も書かれていないが、今まで自分が出会って来た因縁のある縁者たちの名前が記録されている。これを持っていればお前はここの住人とみなされるから問題ない。だからそれをいつも持っていろ。それから自分が現世から来たことは誰にも言うな。ここの住人に知られてはならない。わかったな?」

 カリンは今の一連の出来事で、ここは本当に自分のいた世界ではないのだと、ようやく実感が湧いてきた。

 当然ここには知り合いもいなければ警察なんてものもいない、本当に自分一人だ。いや、警察なんてものが通用するとは思えないけど。

 今、現世でない世界にいるのなら、本当に死ぬという事があるかもしれない。身の危険を想像すると身震いした。

 ずっと消えたいと思っていたはずなのに。

「必ずお前の探している奴を見つけるから、心配しなくていい。そしてお前を無事に現世へ戻すと約束しよう」

 そして乱は右手をカリンの左頬を包むように添えた。

「だから笑ってほしい」

 そう言うと、さきほどまで真面目な顔をしていた乱は頬を緩ませ、親指と人差し指でカリンの口端を持ち上げてカリンの笑顔を作った。


 いつも自分は周りと違う。

 友達と話していても、遊んでいても、出かけていても、いつも思うのはどこか自分は皆と何か違うこと。

 いつも自分だけが取り残されている感覚。

 人と距離を置くようになり、周りの人に関心が湧かなくなる。当然周りからも関心を持たれることがなくなった。

 人と接することが減り、人に見せるような笑顔も持ち合わせていないし、笑顔の作り方すらも忘れていた。

 でも今、目の前の人がこんな自分を見てくれている。

 消えてしまいたいと思っている自分を、気にかけてくれる人がいる。

 今まで生きることに冷めていた心が、ほわりと温かくなった。

 ただ、慣れないせいかこういう時に何を言ったら、どう反応したらいいのかわからず、カリンは乱の目をまっすぐ見る事しかできずにいた。

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