第62話
空中へと飛び散った火花の中で笑うドモンに、サンは心を奪われていた。
神か悪魔か死神か?
心臓の鼓動が早くなる。
その時からもう目が離せなかったのだ。
屋敷で初めて逢ったドモンに灰皿を持って駆けつけた時の事。
花火のように火の粉を散らした瞬間、それまで縛られていた何かをドモンが断ち切ったように見えた。
サンは幼い頃に両親を病で亡くし、親戚の家々を転々とする暮らしをしていた。
12歳になった年の夏、親戚の家を追い出され居場所を失ったサンは、一人で馬車に乗りこの街へとやってきた。
あちこちで働きながら、その日暮らしのような生活が半年程続いた頃、顔見知りとなった客の一人の紹介で屋敷へと案内され、侍女として雇われることとなる。
そうして淡々と14年が過ぎた。
仕事仲間と話すことはあったが友達はできず、何か生活に変化が起きるわけでもなく、それでもただ生きていられることに感謝し、このまま私はどんな人生の終焉を迎えるのだろう?と漠然と考えるだけの日々。
両親の顔ももう薄っすらとしか記憶がない。その優しさも温もりも覚えていない。
夢見がちだった少女は、年を追うごとに夢をひとつずつ諦め、そして全て無くした。
そんなサンの前にその男は突如現れたのだ。
傷だらけの顔でタバコを咥え、左足を引きずりながらゆっくりと迫ってくる。
これまで苦しい思いや悔しい思い、多少なりとも楽しい思いもしてきた。
だがこんなにも怖い思いをしたのは、生まれて初めてのことだった。
緊張感は高まりに高まったが、侍女として仕事を全うしなければならないと、年長者の内のひとりであるサンが勇気を出し灰皿を持って行く。
火の粉が宙を舞ったのはその時だった。
ニコリと笑ったドモンの顔を見て『ついにお迎えがきた』とサンは思った。
もちろん悪い意味でのお迎えだが、なぜかサンは安心したのだ。これでやっと私は解放されると。
この機会を逃してはならないとサンは考え、必死にドモンについて回っているうちに、その笑顔やふと見せる寂しげな表情、そして優しさを知ることとなる。
不意に口に放り込まれた綿菓子はとても甘く、サンは何年ぶりかにニコリと笑った。
その日の夜はなかなか寝付けなかった。
いつもは目を閉じると暗闇しか見えないはずなのに、この日は何度も何度もドモンの顔や、今日あった出来事が頭に浮かんできてしまうのだ。
夢を全て失ったサンは、ひとつだけその夢を取り戻す。
いつの日かあの人に仕えたい。
私はきっとあの人を支えるために生まれ、ここまで生きてきたのだ。
隣りにいた天真爛漫で眩しい奥様にも全力でお仕えしたい。
そんな二人の楽しい生活を支えながら・・・私も家族のように一緒に笑い・・・いつか・・・
それがサンの新しい夢となった。
いつかどころの話ではない。
その機会は翌日にやってきた。
新たに怪我を増やし、酔いながらフラフラとドモンが現れたのだ。
浮気をしたドモンがナナにお仕置きをされ、お風呂に入り仲直りをしていた時、若い侍女達が頬を染めながら自分達の経験をコソコソと話し合っていたが、サンはその話に入れずにいた。サンにはわからないからだ。
横目でちらりと見てくる視線が全てを物語る。
皆の眩しい若さの前に、サンが取り戻したはずの夢がゆっくりと消えていく。
そうだった。私なんかよりも素晴らしい人間はたくさんいる。
選ばれるはずなんかない。
なかったはずなのだ。
サンの事を可愛いと言ったドモンに対し、サンは正直に自分の歳を言った。
「なんだ。じゃあいらない」とでも言ってくれれば、それできっぱりと諦めるつもりでいた。
どんなに頑張っても、もう若返りはしない。それが現実なのだから仕方ない。
しかしドモンはそんなサンに向かって『これからどんどん綺麗になる』と言って頭を撫でたのだ。
その瞬間、サンの感情が爆発した。
今すぐにでも仕えたいということを伝えたい!
が、今さっきドモンの浮気の事で修羅場を迎えたばかりで、下手をすればナナの逆鱗に触れてしまう。
だから言えない。でも言いたい。嬉しさや切なさや焦り、それらの感情を押し殺しきれず、涙が滲み出る。
その感情はナナに伝わり、そしてそのまま言葉でも伝えた。サンは今ある全ての勇気を振り絞ったのだ。
サンの勇気はドモンにも伝わり・・・なぜかサンはお尻を叩かれた。
ナナとサンのお尻をドモンが交互に叩く。躾のように。
まるで『お前は俺のものだ』と言わんばかりの暴挙、信じられないほどのセクハラ且つパワハラであったが、サンにはそれが嬉しく思えた。
ドモンのものとして扱われる、その優越感で、もう頭がどうにかなりそうだった。
御主人様の好みに染められていく!奥様と一緒に!私は必要とされている!
そうしてサンの願いはドモンに届き、カールの許可も得て、ドモンに仕えることになった。
何年かぶりに屋敷を出たサンの胸は高鳴る。
そばにいることを必ず認めてもらえるように、召使いとしての居場所を貰えるように、全身全霊をかけて働こうと思うサン。
しかしそれは良い意味で裏切られることとなった。
『もう俺の家族みたいなもんだ。遠慮なんかするな』
大旦那であるヨハンの言葉にサンは戸惑った。
屋敷で働くまでは親戚達に『お前は家族ではない』と言われ続け、それが当然の事だと思っていた。
侍女となって働くようになってからは身分の違いもあり、遠慮するのが当たり前である。
それなのに。
主人であるはずのドモンが料理を作り、大旦那であるヨハンが仕事中にも関わらずそれを与えてくれ、奥様となるナナと一緒に食べろという。
まるで家族のよう。
そう思った瞬間、サンの涙が止まらなくなってしまったのだ。
やっと辿り着いた。やっと手に入れた。やっと感じた。これが家族の温もり。
「おぉよしよし。辛かったのかい?」とエリーがサンを抱きしめる。また涙が溢れる。
そんなサンをエリーが二階へと連れて行き、この日は店じまいとなった。
片付けを終え、二階のリビングに集まった5人。
これまでの経緯をナナがヨハンに話し始めた。
「えぇ?!ドモンお前、医者のところへは行かなかったのか?!」
「いなかったんだよたまたま。で、時間つぶしでもしようと思ってさ・・・」
「お酒飲みに行っちゃったのよ。『すごい薄着の女達がいる店』に!」
またふくれっ面になったナナがそう言うと、あちゃ~とヨハンがしかめっ面をした。
「俺も金貨持たせちまったからな・・・」
「お父さんは悪くないわよ!ドモンが悪い!」
ドキドキするドモン。
その後の事は頼むからバラさないで欲しいと願う気持ちは、当然ナナには届かない。
「で、金を全部使っちまって怒られたと?」
「違うわ!浮気したのよ!!」
「な、なんだって~?!」
ナナの言葉に驚くヨハン。頭を抱えるドモン。
自分の娘の恋人が浮気したとなれば、それも当然の反応である。
ドモンが「だから誤解なんだってば」と苦しい言い訳をした。
「目が覚めたら裸で寝てて、どうやらそうなっちまってたと後から察したわけか」とヨハンがため息を吐く。
「酔ってたんだろうし、百歩譲ってそれは仕方ないわよ。女の方から誘ったかもしれないしね。でもね、その後その女達みんなと水浴びすることないじゃないのよ!!もうっ!!」
ナナの言葉にゴクリとつばを飲むヨハン。
それは男のロマンだなとつい考えてしまったのだ。
エリーに「ヨハン?」とニッコリ笑顔で睨まれる。
「まあそんな事もあってカールさんが気を使ってくれて、屋敷の庭で私達の結婚式を開いてくれることになったのよ」と息を整えつつ語るナナ。
「えぇ?!貴族様の屋敷で結婚式?!」
「それと今日呼ばれたのは、結婚式用のドレスを作ってくれるって話だったのよ!」とエリー。
ドレスのことはなんとなくドモンに聞いていたのでそこまで驚かずに済んだが、結婚式のことは想定外。
その場所のことよりも、庶民の結婚式に貴族達が参加するという事が一番の驚きだった。
「そ、それは光栄なことだけどよ・・いやぁこりゃなんとも参ったな」
「で、ドモンは結婚式はどうでもいいからサンをくれって」
「えっ!!はぁ?!」
「も、申し訳ありません大旦那様・・・」
ナナの言葉でまた更に驚いたヨハンに謝るサン。
「サンが謝ることはないよ。でもよ・・・」とヨハンがドモンを睨む。
淀みのない真っ直ぐな目でヨハンを見返すドモン。
「重要だったんだな?結婚式よりも」
「そうだ。みんなには悪いと思ったけど・・・」
ドモンがそう返事をしたところで今度はサンが話し出す。
なぜドモンがそうしてくれたのかを。そして今までの自分の事を。
「なんか・・・ドモンと似てるね」とナナが涙を拭う。
「そうだなぁ・・・直感でわかったなんて格好良いことは言えないけど、なんとなく馬が合いそうな感じがしてさ」と言いながら、タバコに火をつけるドモン。
「機転も利くし、仕事が早いところも似てるな」
「ドモンさんとも息がぴったりで」
「し、癪だけど確かに・・・長年連れ添ったおしどり夫婦みたいだった」
ヨハンとエリーの言葉を認め、ナナがそう言って口を尖らす。
「そ、そんな!奥様が一番です!!私なんか比べようもございませんし、召使いで十分でございます!!」
大慌てて否定するサン。
その言葉にドモンとナナ、そしてヨハンとエリーも目をあわせて不思議そうな顔をしたあと、サンの方へと向き直し一斉にこう言った。
「サンは家族だよ」
サンが泣き止むまでの二時間、ナナとエリーが慰め続け、ドモンとヨハンは残り少ないウイスキーをちびちびと飲みながら、コソコソと薄着の女性がいる店の話をして盛り上がっていた。
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