第46話
ナナにはドモンの気持ちが突然すっと引いていく瞬間が分かる。何度かそんなドモンを見ていたからだ。
ナナはそのドモンがとても怖い。
なのになぜかそれに惹かれている自分もいた。
普段のふざけたスケベなおじさんが本当の姿なのか?それとも陰を感じる冷たい今の姿が本当のドモンなのか?
話を聞く限りドモンは複雑な環境で育ち、そして何度も何度も壊されてはなんとか自分を保っている状態なのだろうとナナは考えていた。
事実、この世界に来てからも一度壊されかけているのだ。
その一度だけでも、ナナは思い出すだけで頭がおかしくなりそうなくらいの怒りや悲しみの感情が湧く。
実際に被害にあった本人はきっとそれどころの感情ではないはずだ。
なのに「よくあることだ」とドモンは簡単に片付けてしまった。
やはりそんなはずはないとナナは思う。
体も心も、傷跡は残る。
その傷跡を普段の明るいドモンで隠しながら、ここまで生き長らえてきたのではないだろうか?
今のドモンはその傷跡が剥き出しになっている状態だ。
とても怖いけれど、私が癒やしてあげたい。
今の冷たいドモンに惹かれているのはそんな気持ちなのかもしれないと、ドモンにくっつきながらナナはそう思っていた。
「ドーモーン?」ナナが敢えて明るく話しかける。
「・・・・」
「私もチキンカツサンドってやつ食べたいなぁ」
「ん?あぁそろそろ昼飯時だな」
そう言って立ち上がろうとしたドモンの腕に絡まり「でももうちょっとだけ」と甘えた。
そんなナナに怪訝そうな顔をするドモン。
「ねぇドモン」
「なんだ?」
「お家に帰ったら・・・私のことをメチャクチャにしていいよ?壊してもいい」
「しねぇよ。いややっぱりしようかな?アハハ」
ナナの言葉で、明るいいつものドモンが少し帰ってくる。
それをナナは嬉しく思いながら「本当に好きにしてもいいのに」とうつむいて小声で囁いた。
その一言でナナの気持ちが伝わったドモン。自分を犠牲にしてでも、ナナは救いの手を差し伸べようとしているのだと。
それがとても愛おしく感じ、ナナの後頭部を鷲掴みにして強引に振り向かせ、キスをしようとしていた。ナナの顔が一気に紅潮する。
だが「貴様らはこの屋敷で何をしておるのだ・・・」というカールの声で邪魔をされてしまった。
ドモンはハッとした顔を見せ正気に戻り、慌てて立ち上がり「悪い悪い」とバツの悪そうな顔をしていたが、寸前で待ったをかけられた形でおあずけを食らってしまったナナはキッとカールを睨みつける。
「ちょっとそこのおじさん!邪魔しないでよ!」と完全に頭のネジが飛んでしまっているナナ。
「そ、そこのおじさんだと?!」と、突然のあまりにもひどい言い草にショックを受けるカール。
「ナナ・・・いくらなんでも『そこのおじさん』は酷いと思うぞ?しかも領主の屋敷でその領主に向かって・・・まあ確かにおじさんだけれども。カールおじさん・・・ククク」とドモン。
「貴様も同い年なのだぞ!」
「ドモンは違うもん」
「同じだろうが!!!」
ナナの意味不明なえこひいきに怒り心頭なカール。
そしてドモンは、自分がつけたあだ名によって、『おじさん』と付け加えると何かのお菓子のキャラクターの名前になってしまっていることに気がつき「今度麦わら帽子をかぶらせないと」と笑っていた。
そんなやり取りを見てもハラハラしている人はもういない。
ドモン達、そしてこの雰囲気にすっかり慣れてしまい、綿あめを頬張りながら皆笑顔を見せる。
「さあ昼飯でも食べてから本題の健康保険の話でもしようぜ!綿あめはその道具置いとくから、また今度作って食べろ」
「やったぁ!」とドモンの言葉に喜ぶ子供達。
「コック達、厨房借りていいか?それとみんなの手も借りたい」
「ええそれはもちろん!」
「残りのみんなは食堂かなんかで待っていてくれ。じゃあ行くぞ」
ドモンがコック達とナナを引き連れ厨房へと向かう。
「侍女やお前ら含めて、この屋敷は全員で何人いるんだ?」とドモンがコック長に話しかけた。
「え?私達も含めてですか?」
「ああ全員だ。全員で同じ物を同時に食う」
「そんな!!」
本来そんな事は当然許されるはずがない。だが・・・
「今日は俺がルールだ。だから今日は全員で食う」
ドモンは譲る気がない。
こうなったドモンはカールが相手でも一歩も引かないのをナナは知っている。
「ドモンがこう言ったらそれはもう決まりなの。首をハネると脅しても無駄なのよ」とナナがコック長に説明をしていると、いつの間にか厨房にいたカールが「そやつが言うことは本当だ。それに皆で食べるという事も問題はない」と宣言をした。驚くコック達。
「是非これからは毎食そうしてもらいたいもんだね」
「善処する」
「ふん!で何人いる?」
「屋敷の中だけではなく、庭師や御者なども含めれば100名近くはおるだろうな」
「はいよ了解」
ドモンの言葉にカールが答えた。
そしてくるりと振り向くなり、ドモンがコック達に一気に指示を出す。
「作るのはチキンカツサンドを三百だ!」
「はい!」
「まずは三百個分のマヨネーズ作りを行う!卵百個で手分けしてマヨネーズを作って冷やしとけ!作り方はわかってるんだよな?」
「はい!」
数名のコック達がテキパキと動き出した。
「パン生地は三百個分あるか?」
「足りません!今からだと発酵が間に合わないかと」
「カールおつかい」
「うむ。騎士を使いにやる」
前にカールがおつかいに出されたパン屋まで、三名の騎士を買い付けに行かせる。
他のパン屋を当たってでも、とにかく三百個確保しろと命令を飛ばした。
「鶏肉は150あるか?」
「モモ肉もムネ肉も用意できます!」
「じゃあ今日はモモ肉を使う。すぐに用意して軽く塩コショウで下味をつけ小麦粉をまぶしておいて」
「はい!」
鶏肉に小麦粉を何故まぶすのかはわからなかったが、今はドモンの言うことが絶対だ。
疑問を持ってはいけないのだ。
「あと硬くなった古いパンはあるか?」
「ふ、古いパンですか?!廃棄しようと思っていたものならまだたくさんありますが・・・」
「それを全部おろし金で削ってくれ。パンの粉を作る。カビは取り除けよ?」
「け、削るのですか?!古いパンを粉に??」
疑問を持ってはいけないのは頭でわかっていたものの、流石にここまで来ると理解し難く、つい疑問を持ってしまうのも仕方のないことだった。
ドモンもたくさんの卵を割って溶き卵を作りながら更に指示を出す。
「深めの鍋をいくつか用意して、油を鍋の半分くらいまで入れて火にかけろ」
「チキンカツってからあげなの?!」とドモンの言葉にナナが反応した。
「からあげとは別だよ。でもこれも美味いから期待してていいぞ。油で揚げるものは大抵なんでも美味いんだけどな」とニコっと笑うと、つられてナナもニコっと笑った。
コック達は「油を鍋の半分も?!」「油で調理するのか??」「油で揚げるとはなんのことだ?」と大騒ぎしだした。
ここまで来るともう疑問を持つなというのも無理というもの。
動揺を見せるコック達を落ち着かせるために「此奴の言うことを聞け!調理に関しては間違いないから信じるのだ!」とカールが声をかけた。
声をかけついでにドモンにも話しかけるカール。
「ドモンよ、また茶色の美味い物を作るのだな?」
「なんだそりゃ?」とドモンが笑うが「だってドモンが作る茶色の物は全部美味しいじゃない」と、ナナも当然のように真顔で言う。
「まあ確かに俺の世界では『茶色は裏切らない』という言葉を残した人もいるけど」
「うむ」とドモンの言葉にカールが頷き、コック長がメモを取る。
「あと『カレーは飲み物』とか『12、13、ジューシー!』とか『宝石箱や!』なんて言葉もあったな」
「・・・・」
「なにか重要な格言なのかと思って途中まで真剣に聞いていたけど・・・聞いて損した」
カールとナナが深いため息を吐き、コック長がそっとメモを破り捨てた。
「と、とにかく!実際にいくつか作ってみせるから作り方を覚えろ。ここからは集中しろ。油断したら大やけどを負うことになるぞ」
先程の発言を無かった事にしたドモンが、小麦粉をまぶした鶏肉を溶き卵に浸し、削ってもらったパン粉をまぶして熱した油の中へと投入した。
「うわっ!危ない!」
「煮えた油の中へ突っ込んだ?!」
「あれは食えるのか??」
コック達が衝撃を受ける。
「油の温度は170度、肉を投入した瞬間の音と浮いてくる早さで判断する。感覚で覚えろ」
「は、はい!!」
「ナナ、少し深めの皿の上に網」
「いつものあれね!わかったわ!」
ドモンが説明しながらテキパキと料理を進める。
その様子を初めて見たカール、そしてコック達は感嘆した。
「・・・天才かよ貴様。皆よく見ておけ」とカール。
「もう神の領域です」とコック長が、瞬きもせずドモンの手元を見つめている。
油で調理をする様子を見たことがない二人にとっては、ドモンの動きがものすごい手さばきに見えていたのだ。
「何を大げさな。上手い下手はあるけど、これはみんな作っていたものだ」とトングをカチャカチャ鳴らしてドモンが笑う。菜箸がなかったので仕方なくトングを使って揚げていた。
「さてそろそろまた集中しろ。音が変わるぞ」
ドモンがそう言って数十秒後、ジュワジュワという音からパチパチという弾ける音へと変化した。
「ここだ」と油の中から取り出し、網の上へと鶏肉を置く。
油が切れたものからひとつまな板の上に置き、ドモンが試食用にとザクザク切って皿に盛っていき、作ってもらったマヨネーズを皿の横に添え、調理台の上へと置いた。
「待たせたな、これが『チキンカツ』だ。ソースはないからこのマヨネーズを付けて食べてみろ」
スーッと手を伸ばしたナナの腕を掴み「ナーナ!一応カールからだ」とドモンが制した。
「うむ」とフォークをチキンカツに突き刺し、マヨネーズを付けて口へと運ぶカール。
ドモン以外の全員が固唾を呑む。ドモンはすでに次のチキンカツを揚げる準備に取り掛かっていた。
ザクッという音と共に、口いっぱいに肉汁が弾け飛び、あっという間に旨味が拡がっていく。
カールは目を瞑りながら上を向き、その味を噛みしめた。
噛む度にほとばしるその旨味に言葉も出ず「うぅ」と、しかめっ面で唸り声を上げることしか出来なかった。
それを見ていたナナが「ねぇ私も!」と手を伸ばし、アチチと言いながら素手で口の中へと放り込んだ。
「ナナ・・・どうせお前は食っても『んんんー!』しか言わんだろ」とドモンが言っている最中に「んんんー!んんー!!」と予想通りの反応を見せる。
「なんだよ二人共、全く味の感想が伝わってねぇじゃねーか。ほらコック長も早く」とドモンが促す。
「では」と口に運んだコック長も「これは・・・!!」と言ったきり反応がない。
それは他のコック達も同様だった。
「おいお前ら、美味いか不味いかくらい言えよ。作り甲斐がねぇな」と苦笑するドモン。
「美味いに決まっておろうが!見てわからんか!」と何故かカールが怒り出した。
「笑顔で怒るんじゃねぇよ怖いな。さ、このチキンカツをどんどん作るぞみんな。出来上がったら半分に切ってマヨネーズを付けてパンに挟む。キャベツの千切りも一緒に挟むから誰か用意を頼む」
「はい!!!」
ドモンの指示に力強く返事をするコック達。
自分達がようやく何を作っているのかがわかったからだ。
コック達にはもう見えている。これを食べているみんなの笑顔が。
料理人冥利に尽きるの一言。
自分が何のために料理人になったのか?このためだ。
料理で人を喜ばせ、笑顔にさせたい。感動をさせたい。
その道標となる者が今目の前にいて、自分に対して指示を与えてくれる。
返事が大きくなるのも自然なことだった。
それを見届けると「じゃ外でタバコ吸ってるから後は頼んだぞ」と、その道標はスタスタと厨房を出ていってしまった。
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