第37話

ナナは激怒した。必ず、かの自分勝手なおじさんを止めなければならぬと決意した。



暴行事件があってから三日が過ぎた日の朝。

ベッドから起き上がったドモンが「ちょっと行ってくる」と言ってから20分は経っていた。

あの体だからお手洗いも時間がかかるのだろうとベッドの中でまどろみながら考えていたのだが、いくらなんでも遅すぎるとナナは心配になった。


トイレまで探しに行ったがドモンはいない。

軽食でも食べようとしてるのかとキッチンも探したがここにもいなかった。


何か嫌な予感を感じつつ、家中ドモンを探したが見つからない。

すれ違っていたのかも知れないとベッドのあるナナの部屋まで戻ってみたが、やはりいなかった。

が、そこで見つけてしまったものがある。ドモンが脱いだ寝間着だ。


慌ててドモンの靴を探すナナ。だが見つからない。

そして服も一着見つからないのを確認してナナの心臓の鼓動が早くなる。


そんなまさか?いやいやそれはない。

間違いなくドモンは脚を骨折しているのだ。

そう考えながらも一階の店の方まで下りてみた。


ナナはそこで気がついた。

スイングドアの外にある、閉店時に閉める表のドアが開いていたのだ。


「まさか嘘でしょ??・・・あ~んのバカ・・・!!」


まだ早朝で人通りが少ないとは言え、すでに何人かが歩いている表へとナナは飛び出した。

飛び出してきたナナに、人々の好奇の眼差しが向けられる。だが自分が見られていることもかまわず、キョロキョロとドモンを探したが見当たらない。


「ドモン!どこ行ったのドモン!返事なさい!!」


が、当然ドモンからの返事はない。

あれだけ自分を大切にしてとお願いをしたのにも関わらず、ドモンはナナの事を置いてどこかに行ってしまった。

それがわかった瞬間、ナナは激怒したのだ。



ナナは口惜しく、地団駄踏んだ。ものも言いたくなくなった。

呆れ返りながらふと店の左側の道の先を見ると、明らかに他の人より遅い歩き方をしている人の姿が小さく見えた。


トテトテトボトボと老人のようにゆっくりと歩いているが、身長は老人より高い。

その姿を見つけた瞬間、ナナは全力で走り出す。


300メートル以上距離はあったが、ナナはあっという間に距離を詰める。

徐々に近づくにつれてそれがドモンだと完全に把握した。

ナナは安心したと共に更に怒りが増していた。


「待ちさなさいドモン!!」と残り100メートルというところでナナが叫び、ドモンがゆっくり振り向いた。

「おーいナナ」と少しだけ驚きながらも呑気に手を振っている。

それを見たナナが一歩進むごとにバカ!と心の中で叫びながら更に加速した。そしてついにドモンを捉えた。



「ハァハァハァハァ・・・あーんたぁぁ!!」

「ど、どうしたんだ?しかもその格・・・」とナナの迫力に焦るドモン。その言葉を遮りナナは言葉を続ける。


「あんたいい加減にしなさいよっ!!ハァハァ・・・」

「え?!え?!」

「勝手に家飛び出してどこ行こうってのよ!」

「えぇ?!」


ドモンは何も悪気がなかったのでとにかく驚いていた。

ある程度歩けるようになったので、リハビリの散歩ついでに医者のところでも一度行ってみようと思っていただけなのだ。治り具合も気になっていた。


「ちょっと行ってくるって言っただろ?ナナはまだ寝てたし」

「歩けないのに何言ってんのバカ!」

「いやほら・・・ちゃんと歩いてるぞ?まだ早くは歩けないけど」

「・・・・」


言われてみれば、ゆっくりとはいえ結構な距離をドモンは進んでいた。

骨折したまま歩ける距離ではない。


「どういう事よ」

「どういう事も何も、そりゃ治ってきたんだろ」

「そんなわけないじゃない」

「でも実際歩けるし、こんなに歩いてるだろうに」


全く納得も同意も出来ないナナ。


「バカみたいにまた我慢してんでしょ」

「バカは余計だよ。多少痛みはあるけどそこまで我慢ってほどでもないよほら」と軽く足踏みをしてみせる。


「あイテ!」

「やっぱり我慢してるんじゃない!」

「だから痛いって言っても『あイテ!』で済むくらいだってば本当に」


ドモンにとっては突き指を慣らすために、手をぎゅっぎゅっと多少痛みを堪えながら握っているようなものであった。


「信用できない。そもそもあの状態から三日で外を出歩く方がおかしいのよ?わかる?」

「でも俺はネグリジェ一枚で外を出歩く方が余程おかしいと思うぞ?せめて下着くらい・・・」

「え・・・?」


ドモンにそう言われてナナはゆっくりと視線を下に落とし、真っ赤な顔になりながらゆっくりとドモンの方に視線を上げた。

大声で騒いでいたから、周囲に人が集まっているのも視線を向けられているのもナナはわかってはいた。が、大声で騒ぐ前から視線が集中していた理由がわかった。

もう周りを見る気にはなれないナナが真っ直ぐドモンだけを見る。



「ねぇドモン、いっその事人間の尊厳全部捨てちゃったら楽になれるかな?アハハ」と、涙目でネグリジェをその場で脱ぎ捨てようとするナナをドモンが慌てて止める。

「なんで真っ裸になろうとしてるんだよ!とりあえず俺の上着を着ろ!」とドモンが上着を脱いで渡したが、ナナの胸囲だと男物のMサイズの上着のボタンなど掛けられるはずもない。


「なんてサイズだよ。仕方ないからとにかくサラシみたいに服を胸に巻け」と、ドモンがナナにエプロンのような形で服を巻いて、背中で袖同士を縛った。

「ドモン、ズボンも頂戴・・・」

「そんな事出来るわけ無いだろ!大体お前の尻が入るわけないし。そこは透けてないから多少は我慢しろ」

「うぅ・・・スースーするぅ」


ナナとそんなやり取りをしていたら、ドモンの脚の調子もまたおかしくなってしまった。


「ほらナナがアホなことやるから脚の調子も悪くなってきちゃったよ。もう・・・本当に調子良かったのにぃ!」

「私ももう歩けない。二度と外を歩けない」とナナが落ち込む。

「お前と俺の『歩けない』を一緒にするな!」ドモンがその場にへたり込みながら叫んだ。


そんな二人の周りには更にぞろぞろと人が集まり始めていたが、そこへ馬車造りを頼んでいた大工もやってきた。


「お前達、こんなところで何をやってるんだ?」と話しかける大工。

「おう!いやね、医者のところまで歩いて行こうと思ってたんだけど、脚が痛みだして動けなくなっちゃったんだよ」とドモン。


「聞いたぞ、うちに来た後大怪我したんだろ?そりゃまだ歩くのもキツいだろう」

「少し休めば大丈夫だとは思うけど・・・」

「ちょっとここで待っていろ」


そう言って大工は走り去っていった。

程なくして一台の馬車がドモン達の前に到着する。

御者としてのファルと大工が並んで馬車の前部に乗っていた。


「まだ未完成なんだけどよ、座席と荷台部分は出来たんだ」と壁と屋根がまだない馬車から飛び降りながら大工が言う。

「この馬車なら怪我人を運んでも問題ないはずだ」とファル。


この世界では怪我人を馬車に乗せることは、何かから逃げる時など余程のことがない限りあり得ないことだった。

その振動で更に怪我が深刻なものになってしまうからだ。だがこの新しい馬車ならば・・・


「実験するなら今の俺は一番適しているかも知れないな」とドモンが立ち上がりながら笑う。

「そういうことだ」と言ったファルと大工がドモンの両肩を支え、馬車の座席まで抱えて連れて行って寝かせた。


「みんな見ないでぇ!」と真っ赤な顔をしたナナも馬車に乗る。すでに野次馬は数百人。

下から覗かれれば終わりという状況で高い所に登るのは自殺行為であったが、ドモンをひとりで乗せるわけにはいかないと意を決して馬車に飛び乗りドモンに膝枕をした。怪我をしてる頭は流石に守らなければならないのだ。


ハイヨーという掛け声で馬車は動き出す。


「ド、ドモン!!」

「あ、ああ・・・」


ナナとドモンの言葉に、ファルと大工は振り向きもせずニヤけている。

ある程度整った道とはいえ、多少の揺れがあるだけで振動は伝わらない。

馬車の改造はドモンの想像を遥かに超える成果を上げていた。


「傷には響かないか?」と大工がようやく振り向く。

「あぁ完璧だ。驚いたよ本当に・・・頑張れば出来るもんなんだな。あんた達は凄いよ」


ドモンは感動していた。

ここまで劇的に進化する姿を見て、そしてそれを体験したことに。

人間の努力が実を結ぶ瞬間。

ライト兄弟が空を飛ぶことに成功した時もこんな気持ちだったのだろうか?とドモンは考える。


「ドモンさんが怪我で寝込んでるって聞いてよ、みんなで頑張ったんだ。元気になったあんたに見せてやりたくてな」

「鍛冶屋も二日徹夜したらしいぞ?」とファルが大工の言葉に続ける。


ナナは膝枕の上にあるドモンの頭を撫でながら「ほらね、あなたを想う人はここにもいるのよ?」とニコっと笑った。



「・・・ってあんた達どこへ行くのよ!私の家に戻るんじゃないの?!」とナナが驚く。

「さっき医者のところまで行こうとしてってドモンさんが言ってただろ」と大工。

「わ、私の格好を見なさいよ!ちょっと待ってやっぱり見ないで!!」ナナがジタバタしている。


「ナナ、君は、まっぱだかじゃないか。早くその服を着るがいい。この可愛いおじさんは、ナナの裸体を、皆に見られるのが、たまらなく口惜しいのだ」

「だから着れないんだっての!そもそも裸じゃないし!あと可愛いおじさんって誰のことよ?!というか何なのその口調は!」

ドモンの言葉に、ナナは、ひどく赤面した。



そんなバカなやり取りをしながら『怪我人を乗せた馬車』が医者の家へと到着する。

これにより、この新型馬車の噂が街中に一気に広まることとなった。

図らずしもこの一連の騒動が、とてつもない宣伝効果をもたらすこととなったのだ。一名の痴女の噂と共に。



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