第36話
一晩中ベッドの横の椅子に座って看病をしていたはずのナナだが、自分自身気が付かないうちにベッドで寝ていた。
そのナナの服の胸の部分には大きな血の跡。
ジュウジュウコトコトと料理をする音でナナは目覚め、自分の姿、そしてドモンがいない事に気が付き跳ね起きた。まさか?!と。
「よう起きたか。悪いな服汚して。止血するのにナナのおっぱいが丁度良さそうでベッドに引っ張り込んじゃったんだよアハハ」
料理をしながらナナの方を見たドモン。潰れていたはずの左目が開いていた。
いや、今はそんな事より・・・とナナは首を振る。
「ドモン・・何をしているの?寝てないと駄目じゃない?ねぇ!!ねぇってば!!!」とナナが叫ぶ。
その声にヨハンとエリーも起きてきた。
「ナナが料理してたんじゃないのか?!」
「ドモンさん駄目よ!まだ動いちゃ!!」
その言葉も当然である。
フライパンを持つ左腕は間違いなく骨折している。手を添えている程度だけれども。
脚に至っては元の障害の事もあり、もう何がなんだか分からないほど昨日はプラプラしていたのだ。
「い、痛くないの?」とナナが聞くが、そんなはずはない。痛いはずだ。
「まぁ我慢できなくは無い」
単にドモンが我慢しているだけだ。
「ナスカ!医者を呼んできなさい!」というヨハンの声を遮って「いいからいいから。今度自分で行くから。まずは飯にしよう」と炊いたお米をお椀に盛ろうとしていた。
慌ててエリーがドモンと代わり、ナナがドモンを座らせる。
「う、お・・・・わ・・・く・・・」
椅子に腰掛ける動きだけで苦悶の表情。
ナナはなんだか怒りが湧いてきた。
「だから寝てなさいと言ったでしょう?寝なさいドモン!ねぇ言う事を聞いて?ね?」
ナナの母性本能が爆発、いや、緊急指令を出しているのだ。
だがそれも意に介さぬドモン。
「飯食べたら流石に寝るよ。とにかく血の補給だけはさせてくれ」
「約束できる?」とまだママ口調のナナ。
「するからその口調は止めろ。肋骨がズレるだろ・・・くくく」と静かめに笑う。
「エリー、フライパンの肉をご飯にのせて、残ってるタレも上からかけていってくれる?」とドモンが呑気に指示を出す。
「こ、これでいいのかい?随分美味しそうな匂いだねぇ」とエリーがお椀を持ってきた。
「さあ、これが俺の故郷北海道、十勝名物の豚丼だ。口の中に米ごと一気にぶち込んでいけ。躊躇はするなよ、熱いうちに食え」
ドモンの言葉に三人が茶碗を持ち豚丼を掻き込む。
苦そうに見えた黒いタレが甘じょっぱく、そして香ばしい。
それが豚肉の脂の甘味と合体し、旨味が口中に広がっていく。
「んん?!んっんんんんん、んんんっ!!」
「本当にそうねえ!」
飯を食いながらのナナの言葉に普通に返事をするエリー。
流石にドモンにも分からない。
「お前は何を言ってんだよ・・・」と呆れ返るドモンに『あれ?!真っ黒なのにオイシっ』って言ってたのよねぇとエリーが通訳した。
「んっんっ」とナナが頷く。
「きっと巨乳さん同士伝わるんだな」とドモンが冗談を言いながら食べようとしたが、やはりまだお椀も箸も持てない状態。
慌ててナナがスプーンを手に取り「食べさせてあげるから動かないで!」と口に豚丼を持っていった。
そうだった。
この人は半日前に死にかけていたんだ。
こんな美味しいものを作ってしまうから忘れかけていた。
ナナはそれを思い出し、手に持つスプーンが震えだす。
「ねぇドモン・・怪我が痛いのは見て分かるけど、頭の方は本当に大丈夫なの?」
「頭はこれ以上悪くなる事ないからな」とナナの質問に冗談でドモンは返す。
「お願いドモン、ふざけないで。ボーッとするとか暑く感じるとか何か気が付くことはない?」
ドモンに食べさせながら真剣に聞く。
「まああれだけ強くスケボーで何度も頭殴られりゃ普通の人は死ぬからな」
笑いながら、うっかりドモンが口を滑らせハッとした。
ガタッとヨハンとナナが立ち上がる。
ヨハンは騎士や憲兵に連絡しようとして、ナナはもちろん犯人を八つ裂きにしようとして。
「あー待った待った。あのさ、許してやって貰えないかな?あいつら。頼むよ」
ドモンの言葉に皆絶句する。
こんな事をされて許す?出来るはずが無い。
今ここでドモンに「頼むよ」とお願いをさせた事すら憎らしいのだ。
「面倒だしさ、きっとちょっとやんちゃしただけだし。とにかく相手が俺で良かったよ。俺死なないしな」と笑う。
良い訳がない。
「そんな事より豚丼食べようよ。せっかく頑張って作ったんだから」というドモンの言葉で、渋々ナナとヨハンが席に着いた。
しばしの静寂のあと、その空気を嫌いナナが話し始める。
「ドモンの故郷、十勝って言うのね」
「いや違う。十勝方面は一回しか行ったことないよ」とドモン。
「さっき俺の故郷って言ってたじゃないの」
「俺は北海道の札幌ってところで生まれたんだ。ただこの北海道ってのが島なんだけど、国全体の4~5分の1くらいあるんじゃないかってくらいデカい島なんだよ。十勝は同じ島の中ってだけだ」
「ドモンの生まれたところとはどのくらい離れてるの?」
「距離が200kmくらい離れてるから・・・うーん馬車で行くとしたら10日以上かかるんじゃないか?山も越えるしな」
ドモンの話を聞きナナが吹き出す。いつものように。
「もうぜんぜん故郷じゃないでしょそれ!別の領地か下手すれば別の国よ?」
「確かにそうだ」とドモンも笑う。
ドモンが傷ついてさえなければ確かにいつもの会話だ。
しかし実際今目の前にいるドモンは、目は少し回復して開いているが、まだ死にかけと言えるくらいボロボロなのである。
家族のひとりだけがボロボロのまま食卓を囲むその異常さ、不自然さに、ナナだけではなくヨハンやエリーも頭がおかしくなりそうだった。
なぜそうまでしてドモンは平静を装うのか?冷静でいられるのか?
何を聞いても「平気平気、よくあるよくある」としか言わない。
ナナがドモンを抱えてベッドに寝かせ看病をし、一階でヨハンとエリーが開店準備をしていると、何頭かの馬の足音が聞こえ店に一斉に飛び込んできた。
「主よ!ドモンは今どうなっておる!」
貴族のグラが護衛の騎士、憲兵などを引き連れやってきていた。
昨夜の事件のことはすでに伝わっており、カールが陣頭指揮を取って犯人探しを全力で行っているとのことだった。
朝一番で医者の方からもその状態を聞き、慌てて様子を見に来たのだ。
グラはドモンがかなりの重症であると伝えられていたため、まず間違いなく医者の元へと運ばれていると踏んだのだが、そこで空振りを食った形になっていた。
「ああドモンは・・・」思わず言葉に詰まるヨハン。
「あちこち骨折をして、目も潰れた状態で運ばれてきました・・・息も絶え絶えで」エリーが代わりに続けて答えた。
「なんということだ・・・」とグラが唇を噛む。
昨日ドモン達と打ち解け、皆に盛大に見送られながら帰宅し、明け方まで眠れぬほど気持ちが高揚していた。
そしてベッドでその日の出来事の余韻を楽しんでいた頃、その時すでにドモンは瀕死の重傷を負わされていたとは流石にグラもつゆ程も思わずにいた。その一報はまさに青天の霹靂であった。
「医者が言うには今日明日が山だと言っておったが・・・どうなのだ?」とグラが神妙な顔つきで問う。
「そ、それが・・・」ヨハンはまた言葉に詰まる。
「あ、朝一番に起きて料理をしていただと?!冗談も休み休み言え!!」
店の中にグラの怒号が響き、思わずヨハンとエリーの身も竦む。
グラが医者から聞いた話では、助かるかどうかは五分五分で、頭の方の怪我を見る限り後遺症が残る可能性が高いということだった。
手足ももう元通りにするのは難しく、記憶障害等も懸念されると。
「み、皆で朝食を食べながら、自分の故郷の話を語っていたんですよ。何もなかったように・・・」とエリー。
「バカな・・・」
グラはそう言ってヨハンにドモンの様子を見る許可を得て、二階へと駆け上がって行った。
駆け上がったところで、ナナに支えられて立っているドモンと鉢合わせる。
ナナの制止も聞かず、ドモンが下へ様子を見に行こうとしている最中だったのだ。
目は開いているものの、顔、特に縫い付けてある左目付近が腫れ上がり、左腕がぷらぷらと揺れ、両足のつま先が別々にあらぬ方向へと向いている。
「き、貴様は何をやっておるのだ!!お前もなぜ此奴を止めぬ!!」とグラが二人へ叫ぶ。
「おぉやっぱりグラだったか。今日はどうした?」とドモン。ナナは何も言えずにいた。
「どうしたもクソもあるか!今すぐ横になれ!!」
あまりの無茶に心配を通り越し怒りすら沸いてくる。
大慌てでドモンをベッドに戻すグラ。
その様子を見てナナはやはり自分の感覚が正しかったと悟る。常識的に、そして絶対的にドモンがおかしいのだ。
「とにかく今は養生していろ。犯人は必ず見つけてやる」
「いやぁ犯人探しはもういいんだよ、まあよくあることだしさ。ただできれば治療費だけしばらく立て替えてもらえれば嬉しいんだけどハハハ」
グラの言葉に相変わらずの態度のドモン。ナナは頭を抱える。
その言葉に呆気に取られるグラ。
「何を言っておるのだ貴様は!!」
「こんなおっさんひとりどうこうなったって今更どうでもいいしな」
「本当に何を言ってるのドモン!やめてよ!!」ドモンの言葉にナナも叫ぶ。
「それとも何か隠し事でもあるのか?まさか貴様が何かやったのではあるまいな?!」
グラの言葉にナナもギョッとする。確かにそうじゃなければ庇う意味がない。
「イヤイヤそんなことはないよ。多少酔ってたし記憶もまだ曖昧だけどな。元々脚が悪いのに若者の集団に何か仕掛けるようなことは絶対にしないって」とドモン。
「本当に間違いないんだな?そして相手は若者の集団なのだな?」
グラにそう問われてドモンはまた口を滑らしたと気がつく。
「板に車輪を付けた道具で夜に広場で遊んでいた若者達です!間違いありません!!」
「ナナもういいんだ」とドモンがナナを止めたが「すぐそのように皆に伝える!貴様は黙って寝ていろ」とグラが階段を駆け下りていった。
「どうして犯人達をそんなに庇うの?」とナナは涙を浮かべた。
「だって格好良かったじゃないか。若いし未来がある」
「だったら自分の事はどうだっていいっていうの?!」
「そりゃそうだろ」とナナの言葉にキョトンとしながら即答するドモン。
「えっ」とナナの言葉が詰まる。
ドモンは何か隠し事があるわけでも、脅されたりしているわけでも、何か特別な理由で庇っているわけでもなかった。
本当に、心底自分の事などどうでも良かったのだ。
恐らくそれは、ドモンの生まれ育った境遇も関係しているのだろうとナナは察した。
「ドモンあのね?前にも言ったけど、もうひとりではないのよ?」
「・・・・」
「自分の事をどうでもいいという事は、あなたを想う私の事もどうでもいいという事なのよ?」
「え?」
ナナは子供を諭すように、ゆっくり優しく語りかける。
「お願いだから自分の事をもっと大切にして下さい。あなたを想う人達とあなたを愛する私のためにも」
涙腺が限界を迎えたナナが涙をボロボロとこぼす。
「ごめん・・・?」とドモンが謝り、そのまま眠りについた。
その後の犯人探しは初動の遅れもあった為、捜査は難航を極めた。
犯人の若者達はもうすでに別の街へと旅立った後らしく、カールの尽力も虚しく犯人の特定と確保には至らなかった。
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