南柯(なんか)の夢

翌日、店の玄関に臨時休業と書いた紙を貼り、弥姫はボンヤリと店内を眺める。


元は古い日本家屋であり、空き家バンクに登録されていた。

家族ぐるみの付き合いをしていた建築業者にリノベーションを依頼し、レトロに、ノスタルジックに、古民家風に、木材が映えるようにと注文した。


一階にはトイレ、風呂、脱衣所、七畳の和室(仏間兼客間)、リビングダイニング、キッチン、店舗があり、二階には六畳の洋室(二部屋)と七畳の洋室(弥姫の自室)と広いバルコニーがある。


店内は少し狭いが、カウンターと机とソファーを合わせれば十五席あり、一人で切り盛りするには丁度良い。

壁中を這うキャットステップはサハスにもラブジャにも客にも好評である。

梟形のドアベル、レジの近くにちょこんと座るかえるのウエルカムストーン、店内のあちこちに顔を出す動物(兎、狐、栗鼠、猫)のオブジェとそれを引き立てる観葉植物のフェイクグリーン、どれも弥姫が時間をかけて選んだ。

机とソファーの上にはつるのフェイクグリーンが絡んだペンダントライトがあり、それに蝙蝠こうもりのオブジェが乗っている。

魔女の隠れ家、それがこの店のコンセプトであり、店名だ。


『ここも諦めなきゃいけないのかな?』


この家には弥姫の理想と夢が詰まっている。

外装と内装は勿論だが、土地にもこだわりにこだわった。

集客に苦労する程の田舎ではないが、目の前に隣家がある程に都会でもなく、山に囲まれ、広域農道が通る風光明媚ふうこうめいびな場所。

徒歩数分の所にコンビニと温泉旅館があり、三十分も歩けばスーパーやガソリンスタンドがある。


バルコニーから夜空を見上げ、自室の窓から朝陽を浴びる、それが弥姫のライフスタイルに加わったのは最近だ。

ゆったりと移り変わる景色は彼女の目も心も癒した。


『嫌だ……。

こんなのっ、こんなの理不尽だ。

何で私だけっ!』


声にならない声を溜め息に溶かし、カウンターにもたれる弥姫。

二週間くらい前から少し歩くだけでも息が上がるようになった。


『死にたくない。

死にたくない。

まだ……、まだ何もしてない。

これからだったのに………。

家が出来て、初めての引っ越しにワタワタして、開店初日はドキドキしたなぁ。

仲良くなったご近所さんが四~五人来てくれたっけ。

初めての注文はスフレのヨーグルトケーキだった。

何回も失敗して、開店直前に出来たのが初めての成功作、あの時は焦ったなぁ。

看板メニューがないとか、有り得ないもん。

初めての常連さんは女子高生だった。

お父さんがウザイとか、彼氏と喧嘩したとか、ダイエットを始めたとか、色んな事を話してくれて、私も色んな事を話した。

親の愚痴で盛り上がった事もあった。

大人気ないけど、楽しかったな。

女子トークなんてそんなもんか………。

もう会えないんだな、あの子とも、他の常連さんとも。

挨拶しといた方がいいかな?

ああ、実家の整理もしないと。

死ぬって、結構忙しいんだな』


取り留めもなく考えながら、弥姫は何もかもを諦めて微笑ん…………、微笑もうとして止めた。

泣ける時に泣いておこうと思ったからだ。

死者は泣きたくても泣けない。


「っ……………、うぅぅぅ、うっぐ」


「ニャーーーオ」


「ラブジャ」


ラブジャは生後約七年の雌のきじ猫である。

西洋の血が入っているらしく、目はヘーゼルだ。

ラブジャは弥姫の足首に体を擦り付けながらゴロゴロと鳴き、次いでその場に寝そべった。


『死んだら、ラブジャにも会えないんだな』


ラブジャの顔を見つめながら物思いに沈む弥姫。

死んだ人は誰かの記憶の中でしか生きられないというが、ラブジャはいつまで自分を覚えているだろう。

どれだけの人が自分を思い出してくれるだろう。

どれだけの人にどれだけの物を残せただろう。

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