髪を切る? (完)
「団長、危ない!」
「えっ」
ゴオオオオオオ!!
魔物が口から吹いた炎がフェリクスを襲う。フェリクスは素早く身をかわしたが、彼女の長い金髪の先が、少し焦げてしまった。
「フェリクス殿、大丈夫か」
パフォーマンスの練習を見ていたミランが声を掛ける。今日は学校が休みで、公務もなかったので、一日中、魔法師団のマネージャーの仕事に専念していた。
「大丈夫です。ちょっと髪が焦げただけで、怪我はありません」
フェリクスはミランにそう答えると、狼狽えている魔物に近づいた。蛇と蝙蝠を足して二で割ったような外見の魔物は、叱られると思ったのか、とぐろを巻いて頭を引っ込めてしまった。
「怒ってないよ。炎を吹くタイミングが難しかったんだね。もう一度、練習しようね」
フェリクスはそう言って魔物をそっと撫でた。魔物は引っ込めていた頭をぴょこっと出すと、微笑むフェリクスに安心したように翼を羽ばたかせた。
「団長、これを機に、ちょっとイメチェンしたらどうですか? 髪を短くして」
団員の一人がそんなことを言った。
「今は貴族女性でも自由に髪型を楽しんでいるじゃないですか。団長、魔法師団に入ってから、ずっと同じ髪型だし」
フェリクスは魔法師団に入ってからずっと、長い金髪を一つに束ねた髪型で通している。それがフェリクス・ブライトナーとしてのトレードマークだと、彼女は思っていた。
「団長は美人だからどんな髪型でも似合いますよ」
「うーん、そろそろ髪を整えに行こうとは思っていたけど……」
「あれっ。美人を否定しないんですね! もちろん美人ですけど!」
おどける団員をよそに、フェリクス自身、髪を切るのも悪くないかも、と思いはじめていた。手入れだってぐっと楽になるし。今は腰のあたりまである髪を、肩ぐらいに揃えて……。
「ミラン殿下も、フェリクス団長がイメージチェンジするの、いいと思いませんか?」
団員が会話に入らず突っ立ていた、ミランに聞いた。
「いいと思うよ。魔法師団として髪型を変えるのは新鮮味があるし。全然、いいんじゃないかな」
ミランは軽快に答えた。
♦♦♦
その日の夜。
夕食を終えたあと、ミランが団長室にやってきた。フェリクスはフェリシアの顔に戻って、紅茶を淹れながら、ミランにこう言った。
「髪の毛、切らないですから」
ミランはソファに座り、足を組んだ姿勢でスタイリッシュ手帳に何か書きこんでいたが、唐突なフェリシアの言葉に「え」と顔を上げる。
フェリシアはミランの前に静かに紅茶のカップを置いた。そして、彼女にしてはめずらしく、ちょっと得意そうな顔でこう言った。
「ミラン殿下は私に髪を切って欲しくなさそうなので」
その言葉に、ミランはさっと顔を赤くした。そして早口でまくし立てた。
「そ、そんなこと僕がいつ言ったんだ? 君が切りたかったら切っていいんだよ。訓練場でもそう言っただろ。団員が言ってたとおり、君ならどんな髪型も似合うよ」
「切って欲しくない、というお顔をずっとしていたじゃないですか」
ミランは思っていることがすぐに顔に出る。口では「全然、いいんじゃないかな」と言っていても、心の中では「全然よくなかった」のだ。ミランは髪の長いままのフェリシアでいて欲しかった。
「なんだよ、その言い方。まるで僕のせいで髪を切らないみたいじゃないか。僕は君にそんなことを強制したりなんかしないよ」
ミランは乱暴に紅茶をすすった。フェリシアはそんな様子のミランにちょっと慌てた。
「いいえ。ミラン殿下のせいじゃないです。私がミラン殿下の望むようにしたいんです。ダメでしょうか?」
ミランとは対照的に表情があまり変わらないフェリシアが、気落ちしたように目を伏せたので、ミランは紅茶を吹き出しそうになり、ごほごほとむせた。
「だ、ダメじゃないよ、もちろん、ダメじゃない。けど、君は髪を切りたかったんじゃないの? そんなに長いと手入れも大変だろう」
「大変じゃありません。その、ミラン殿下の……ためでしたら」
何もミランの言いなりになっているわけではなく、フェリシアはなんとなく、ごく自然にそうしたいと思うのだった。魔法師団の活動に影響が出ないのであれば、できる限り、ミランの望むようにしたい。
「フェリシア……君って人は」
「紅茶が冷めてしまいます。はやく明日のスケジュールの確認をしましょう」
「あれ、照れてるの?」
「照れてませんよ、別に。本当のことを言ったまでです」
「照れてるでしょ、フェリシア可愛い。こっちにおいで」
「ちょ、やめて……まだスケジュールが……しょうがないですね」
(……すごいなあ。髪を切る切らないの話で、ここまで二人の世界を作り出すなんて)
(しっ。静かにしろ。二人に気づかれる。今日はこのまま帰るぞ。団長への質問は明日だ)
団長室の入り口で立ったままの団員二人組は、音を立てないよう、そろそろと部屋を出て行く。
二人は今日の練習について質問があったので、団長室を訪れたのだが、今後は魔法通話でアポイントをとってからのほうがよさそうだと思った。
「ちゃんとノックして、失礼します、って、何度も何度も言ったんだけどなあ」
「団長ってば、ミラン殿下の心の内は読み取れるくせに、
「団長はしっかりしているようでうっかりだからな」
「俺達がサポートしないとな、その辺は。魔法師団団員として」
♦♦♦
次の日も、パフォーマンスの練習が行われた。
「あれ~? フェリシア、照れてるの~?」
「照れてませんよお~、ミラン殿下~」
「フェリシアかわいい~、こっちおいで~」
「ちょっと、やめてえええ~」
魔法師団員たちの声が訓練場に響き渡る。昨日団長室を訪れ、フェリシアとミランが取り込み中だったのですみやかに立ち去った団員二名が、その話を他の団員に広めたのは明白だった。
「ま、真面目にパフォーマンスの練習をしろー! 頼むから! お願いだから!」
フェリクスはおどけながら攻撃魔法を繰り出す団員たちに叫んだ。彼女は、もう今後一切、いくら夜遅くになろうとも、団長室でミランと二人の世界を作らないと決めた。心に決めた。
「ミラン殿下も、マネージャーとして、何とか言って下さい!」
「そんなことでムキになるなよ、フェリクス殿。君は、クールな魔法師団団長なんだから」
ミランは苦笑するだけだった。普段澄ましているフェリクスがムキになっているのがおかしくてたまらない。
ただフェリクスの髪を焦がしてしまったあの蛇蝙蝠魔物だけが「どうしたの? 大丈夫?」とばかりに、フェリクスに寄り添い、翼でフェリクスの頭を撫でてくれるのであった。
髪を切る? 終わり。
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