雨の日 (完)

「雨、止まないな……」


 魔法師団団長室の窓から外を眺め、ミランが呟いた。この一週間、王都を中心に雨が降り続いている。

 エルドゥ王国はあまり雨が降らない国である。こんなに雨の日が続くのはめずらしいことだった。


「これじゃあ、朝の訓練も出来ないし、魔法師団の活動も限られてしまう。つまらないなあ」


 ミラン第三王子は、ソファに背を預けて、ひとりごちた。


「そんなこと言ったって、仕方ないじゃないですか。団員たちは、ひまが出来たって、喜んでますよ」


 魔法師団団長フェリクス・ブライトナーは今、フェリシア・ローデンバルト令嬢に戻って、ミランに紅茶を差し出した。


「ありがとう、フェリシア。分かってるけど、僕は雨が嫌いだよ。じめじめするし、気が滅入る」


「それは、何となく分かります」


 活動的で、元気いっぱいに外を飛び回っている姿が似合うミランにとって、雨は煩わしいのだろう。フェリシアはそんなふうに思った。


「髪の毛もなんだか変になるんだよ。いつも以上にうねるというか、まとまらない」


 ミランはぶすっとして、自分のライトブラウンの髪を摘まんだ。


「ミラン殿下は癖毛ですからね」


 フェリシアは微笑みながら、自分もソファに腰かけ、紅茶を飲んだ。お茶請けは、ミラン用にチョコクッキー、自分用にわさびクッキーを用意した。


「君の髪の毛はならないのか」


「ならないですね」


 リボンでひとつに束ねてあるフェリシアの長い金の髪は、特に手入れをしなくても、真っすぐである。おかげで髪を結い上げるのに苦労しない。


「あーあ、はやく雨やまないかなあ。貴族学校でも剣術の授業が取りやめになるし、いいことないよ」


 ミランはチョコクッキーをひとつ口に放り入れて、文句を言った。それを聞いたフェリシアは、


「私は雨の日も好きですよ。こういう日は、静かに読書をするのがうってつけです。捗りますよ」


 と言って、むくれるミランを諭した。


 そういえば、ミラン殿下が静かに読書している姿は、まだ見たことがないな。冒険小説や青春小説をよく読むって仰ってたけど。……それにしても、ミラン殿下って、読んでる内容がいちいち顔に出そう……なんて。


 フェリシアはそんなことを思って一人心の中で笑った。何せミランは思っていることがすぐに顔に出る質である。


「静かに読書かあ。そういえば最近は読んでないなあ。フェリシア、何かおすすめある?」


「そうですね……あ、ちょっとすみません、魔法通話が」


 連日の雨でひまになった団員が、王宮内の酒場で問題を起こしたようだ。


「申し訳ありません、ミラン殿下。ちょっと様子を見てきます。もしよかったら、私の私室にある本を読んでもいいですよ。ミステリーが多いですけれど、それ以外のもありますので」


 フェリシアは魔法師団の制服にすばやく着替えると、魔法師団団長「フェリクス・ブライトナー」の顔になった。


「こんな遅くに? 僕も行こうか?」


 時刻は夜十時をまわっている。


「多分、いやきっと大したことないですから。大丈夫です、すぐに戻りますので」



 ……本当に大したことなかった。いや、酒場にとっては大したことだ。大迷惑だ。もう酒場は終わりの時間なのに、べろべろに酔っぱらった数人の団員が床に倒れ込んで帰らないのだった。


 フェリクスは魔力を使うまでもなく、団員をひとりひとり叩き起こし、それぞれ自室に帰らせた。


 まったく。雨でヒマだと、ろくなことしないな。


 団長として酒場で働く方々に何度も謝罪し、フェリクスは団長室に戻った。


「ただいま戻りました、ミラン殿下――」


 フェリクスはそのまま立ち尽くした。不覚にも、その場から数十秒間、動けなかった。


「あ、ごめん。フェリシア、おかえり。さっそく君に借りた本、読んでいるよ」


 立ち尽くすフェリクスに気がついたミランが、読んでいた本から顔を上げた。


「……どうしたの、フェリシア? こっちに来ないの? なに固まってるんだい」


「いいえ。なんでもありません」


 フェリクスは、フェリシアに戻って、ミランの正面に静かに座った。目の前のミランは怪訝な顔をしている。


 ……い、言えない。真剣に本を読んでいるミラン殿下の顔がいつもと違って大人っぽくて見とれてたなんて。


 いつも表情豊かで、子供っぽさが目立つだけに、何かに集中している真剣な顔というのは新鮮だった。フェリシアはドキドキを何とか抑えようと、テーブルの上の「わさびクッキー」に手を伸ばす。チョコクッキーのほうは空だった。


「フェリシア、君の紅茶冷めちゃったんじゃない? 僕が淹れ直してあげるよ」


「ありがとうございます。じゃあお言葉に甘えて」


 ミランが淹れてくれた紅茶でわさびクッキーを流し込み、なんとか気持ちを落ち着けるフェリシアだった。

 そんなフェリシアを不思議そうに見つめていたミランだが、突然改まってこう言った。


「団長のお勤めご苦労様。いつもありがとう、フェリシア。僕が淹れた紅茶はどうかな?」


 ちょっと心配そうなその顔は、いつものミランだった。


「……うん、おいしい」


 とある雨の日の、ちょっとした発見だった。読書をするミラン殿下は、いつもと違う大人の男性の顔――。




 雨の日   終わり。

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