第7話 惚れ薬はただのおまじない?

 わあああああああ!


 フェリクスは心の中で叫んだ。わ、私としたことが!


「ん? なんだ、この本。『惚れ薬の作り方』?」


 気づくな、拾うな、このおめでた王子ーー!!


 フェリクスの心の叫びが聞こえるはずもなく、ユリアンはフェリクスが拾うよりも早く、床の本を手にした。


 どうしよう。


 フェリクスが固まっていると、


「なんだ、この本? ずいぶん古いみたいだけど、おまじない本か? フェリシアもなんだかんだ言って、女の子なんだなあ」


 ペラペラと本をめくりながら、呑気な声を上げた。

 ミランと同様に魔力がなく、魔法と無縁なユリアンには中身が読めないようで、あからさまに興味がなさそうだった。そもそもこの男の頭は今、ビアンカでいっぱいだ。深く言及してくることもなさそうで、フェリクスはほっとした。


「返してよ、ユリアン」


 フェリクスはユリアンの手から本を取り戻そうとしたが、ユリアンは本を高々と上げ、


「誰か好きな奴いるのか、フェリシア」


 と、本を返す代わりにフェリクスに質問した。

 なんでそうなる、とフェリクスはいらいらしたが、よくよく考えるとこんな本を懐に持っていたらそういう考えに至りもするか、と冷静に思い直す。


「正直に好きな奴教えてくれたら、返してあげるよー」


 ユリアンは実に楽しそうに頭の上で書物を左右に振った。ユリアンは男性としてはかなりの長身で、フェリクスでもなかなか本に手が届かない。


「教えろよー。フェリシアちゃーん」


 冷静な頭でフェリクスはこの男に殺意を覚えた。魔法で吹き飛ばしてしまおうかと本気で考える。


「……いないよ、そんな人。いいから返して。本気で怒るよ」


「怖いなあ。別におかしいことじゃないだろ、お前だって好きな人の一人くらい。誰だ? 魔法師団の団員か? 王宮内の誰かか? あ、まさか、俺? ごめーん、俺にはビアンカという愛する女性が……」


 吹き飛ばそう、と体内の魔力を高めたとき、


「それとも、ミランか?」


 想定外の名前の登場に、フェリクスは魔力を引っ込め、青い目を丸くした。


「どうしてミラン殿下?」


「お前とミラン、朝に王宮の外を二人で歩いてなかったか? 廊下でも一緒だったし」


 ……薔薇を取りに行ったときだ。見られていたのか。


「ミラン殿下にはマルガレーテ様がいらっしゃるじゃない。変なことを言うのはやめて。それに、ミラン殿下は私のこと、女だと気がついてないから」


 甚だ心外だと思って、そういい放つ。あの自己中、無鉄砲王子に気があると思われるなんて。


「あー、なんだそうなのか。たしかにあいつは魔法師団と繋がりが特にないしな」


「そういうこと。接点がないのに、わざわざ女だって言うこともないでしょう。だからミラン王子には黙っててね。あと、それ、返してもらうよ」


 ユリアンの高く掲げた右手から書物がひとりでに離れ、フェリクスの手に自動的に収まった。


「ずるいな、魔法か」


 ユリアンは口をへの字に曲げた。


「貴方が子供っぽいことするからでしょう」


 そろそろ部屋に戻らないと。ミラン殿下のことだから、心配して、何をしでかすか、分からない。

 フェリクスはさっさと会話を切り上げたかった。だけど、頭の片隅では、ユリアンの言葉を反芻していた。


 ――ずいぶん古いみたいだけど、おまじない本か?――


 ミランに初めてこの書物を見せてもらったときから、この書物は、ただのおまじない本ではない、とフェリクスは思っている。

 書いてあることがいちいちそれっぽいし、何より、書物からかすかに魔力が感じられたからだ。

 だからこの「惚れ薬の作り方」は、誰かが昔々、個人的に生み出した魔法だと思っていた。


 魔法の体系化は古くからされており、公式上「人の心を操作するような魔法はない」とされている。魔法学校でも一切習わない。そんな魔法があっちこっちで使われたら、何も信じられなくなってしまうからだ。

 そうは言っても「存在している」ということは暗黙の了解で、魔力を持つ者は心得ている。魔法は未知数だ。

 

 フェリクス自身、相手の心を自分に向けさせる魔法が存在していても、何ら不思議はないと思っている。そうまでして相手に好かれたいという心理は理解しかねるが、中にはそういう者もいるだろう。ミランのように。


 この本が、その類いの魔法の本にあたるだろうか?

 この本のとおりに作った惚れ薬は、本当に効き目があるのだろうか。

 使い込みの件をばらされたくなくて、若干思考停止し、深く考えなかった。

 もし、ユリアンの言った通りこの本がただのおまじない本だったら、このまま「惚れ薬作り」を続けていても無駄なんじゃないだろうか……。

 いや、だけどミラン殿下は蜂の大群に突っ込んだり、悪いことと知りながらユリアンの部屋からポエム集をくすねたり、やる気満々だ。水を差したら、がっかりするだろう。それに、使い込みが……。


「フェリシア? どうした、ぼうっとして」


 ユリアンがフェリクスの顔の前で左右に手を振った。

 いけない、ユリアンの前だというのに、つい考え込んでしまった。


「ううん、何でも……」


「すまん。冗談だったんだが」


 ユリアンはフェリクスが気分を害したと思い込んで、真面目な顔をして、謝った。

 フェリクスはそんな様子のユリアンに苦笑して、


「この本は魔法の研究の一環で持っていただけだよ。別に何も気にしてないから、変な気を使わないで」


 と、改めて書物を懐に入れた。


「そうか。ならいいんだが」


「ビアンカ様が待っているんじゃないの」


「! そうだった! じゃあな、フェリシア、土産買ってくるからな」


 くるりと踵を返し、足早に立ち去っていくユリアンを見送ると、フェリクスは団長室のドアを開けた。

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