第6話 ミランの想い

 ミランは腕を組んで立ったまま、無遠慮にフェリクスの顔を眺めた。


「新・魔法師団団長は美男子だけれど、やや取っつきにくい雰囲気がある、と例の月刊誌に書いてあったぞ。真面目過ぎるからじゃないのか」


 常識を語ったまでなのに「真面目すぎ」でこっちが悪いみたいに言われるのは心外である。そもそもユリアンにばれたらどうするのか。何か言い返そうかと思ったが、「王家に連なる者の愛の証」がないと惚れ薬はできない→惚れ薬作りに協力しないと使い込みをばらされる→失職、という理論チャートが頭に浮かび、何も言い返せない。

 ミランは微動だにせず押し黙るフェリクスを見て、怒っていると思ったようで、


「兄弟間のことだし、中身を見るつもりはなかったから、いいと思ったんだが。それに薔薇の花を盗むのはよくてポエム集はだめなのか?」


 と、どこかバツが悪そうに弁明した。


「そ、それは……」


 ポエム集は人の心ののぞき見だ。やっぱりよくないと思う。あれ、でも中を読む気がないなら、いいのか?


「フェリクス殿」


 フェリクスが俯いて考えていると、いつのまにかミランがすぐ近くに立って、フェリクスの顔を覗き込んでいた。


「僕のことを軽蔑してくれてもかまわない。だけど、僕は『惚れ薬』を君に作ってもらいたい。君を使い込みの件で脅してもだ。……僕は、それでも、マルガレーテの心が欲しい」


「そのマルガレーテ様の心は、本当の心じゃないんですよ? それでもいいんですか」


 つい、そう口にしてしまって、しまった、と思った。ミランの顔から表情がなくなったからだ。出過ぎたことを言って、地雷を踏んでしまった――。

 一瞬、時が止まったかのように二人は静止する。やがてミランがこう言った。


「君は、人を好きになったことがないのか」


 ミランの声は冷静だった。そのはしばみ色の目は、フェリクスの青い目を真っすぐに捉えていた。


「……はい。今まで一度もありません」


 私は何を言わされているのだろうと思ったが、なんとなく誤魔化したり嘘を言ったりできない雰囲気だった。


「……そうか」


 そう言って、ミランがフェリクスから目を逸らす。フェリクスは止めていた息を吐き出した。


「僕は……今までで一番、世界中の誰よりも、マルガレーテのことが好きだよ。運命の相手だと思っている。こんなやり方が正しくないことくらい、僕だって分かってる。けど、僕は、彼女に、マルガレーテに、笑いかけてもらいたいんだ。たとえそれが作りものでも」


 フェリクスに言っているというよりも、自分自身に言い聞かせているような口ぶりだった。

 ミランの痛くて仕方がないとでもいうような顔を見ていると、人を好きになったことがない自分には意見する資格なんてないように思えて、フェリクスは何も言えなくなってしまった。


「……分かりました、ミラン殿下。私は、最後まで、ミラン殿下のお手伝いをさせていただきますよ」


 気がつけばフェリクスはそう口にしていた。と、そのとき、


「フェリクス君、いるか?」


 ドアの向こうから第二王子、ユリアンの声がした。


 「ま、まずい、兄貴だ。くそっ。もうばれたのか。フェリクス殿、僕は奥に隠れる。何とか誤魔化してくれ」


 ミランは小声でフェリクスに耳打ちし、愛のポエム集を懐に入れた。


「えっ。ちょっと、ミラン殿下、誤魔化すって」


「今、僕の手伝いを最後まですると言ったじゃないか。頼むぞ、フェリクス殿」


 そう言うと、風のように素早く部屋の奥のカーテンの後ろに隠れてしまった。

 さっきまでのシリアスな展開はなんだったんだ。そう思ったフェリクスだが、こうなったら仕方ない。

 腹を括って、ドアを開けた。


 そこには思った通り、長身で短髪の男性、ユリアンが一人で立っていた。だがミランの盗みに気がついて、フェリクスに彼の所在を聞きに来たにしては穏やかな顔つきである。

 いや、穏やかというより、喜色満面にあふれている。


 ……?


 不思議に思ったが、フェリクスは彼を部屋に入れないために、とりあえずこう言った。 


「お待たせして申し訳ありません、ユリアン殿下。今午後の撮影の衣装を試着していたところだから、部屋が散らかっていて」


 我ながらうまい嘘だと思った。案の定、フェリクスを女だと知っているユリアンは、


「む、そ、そうか。それは間が悪かったな。ごめんごめん。だけど着替えるときは部屋に鍵くらい掛けたほうがいいぞ」


 と、ちょっとあたふたし、その隙にフェリクスが部屋から廊下に出て、部屋のドアをさっと閉めたことを何とも言わなかった。


「どうかしたの、ユリアン」


 フェリクスが同窓時代の口調で尋ねると、ユリアンは目尻を下げ、だらしない顔つきになって、こう叫んだ。


「フェリシア、ありがとう! お前の助言のおかげだ。ビアンカの様子がおかしかったのは、俺の誕生日ドッキリサプライズを悟られないようにするためだったみたいだ! せっかく貴方を驚かせようと色々用意してたのに……ってむくれる彼女の可愛さったらないぜ!」


 は?


 なんと?


「しかも、近日中に王太子兄上の婚約者が決まるそうなんだ。そうしたら、俺達の結婚ももうすぐかもしれない。あ、この話はトップシークレットだからな? いやあ、ビアンカに思い切って聞いてみてよかった。全部俺の杞憂だったわけだ、ははは、本当にありがとう、フェリシア!」


「……用件はそれだけですか」


 フェリクスはすっかり脱力し、溶けたバターみたいにふやけた顔のユリアンを見上げた。


「ああ、そうだ。お前にちゃんと礼を言いたくてな。実は今からビアンカとお忍びデートなんだ、土産なにがいい?」


 この男は、ミラン殿下を探していたんじゃないのか? いや、どう見ても、ビアンカ嬢のことで頭がいっぱいで、ポエム集がなくなったことなんて、一ミリも気がついてなさそうだ。

 そうと分かれば退散退散……。


「それは良かったね、ユリアン。ビアンカ様と、どうかお幸せに」


 フェリクスは当たり障りのないことを言って、部屋に戻ろうとした。そのとき。


 どさっ。


 懐に入れていた「惚れ薬の作り方」の書物が、床に落ちた。

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